第3話、あなたは空飛ぶ魚を信じるか?
あの後、俺は琴葉を連れて逃げ回った。だが、あの大学生二人は意外にもしぶとく、俺たちの後を追ってくる。
(くそ、逃げたはいいもののこれでは琴葉と水族館に来た意味がなくなるぞ)
そう思った俺は琴葉の手を引き、フロアの階段降りては上がり、逃げては隠れを繰り返し、彼らを巻いた。
今現在、俺たちは二階のスタジアムにいる。客の少ない観客席の通路階段の真ん中で辺りを見渡してみるが、さっきの大学生どもはいないようだ。諦めて帰ってくれたら嬉しい。
「尚登見て、……わぁすごい。」
琴葉が一段階段を上がり、ショーを指差す。そこではスタジアム内に流れるBGMと連動して動くイルカたちの姿があった。
「確かにな、あんなに洗練されたイルカのジャンプは初めて見たよ。すごいな、どうやってイルカに教えているんだろうな。」
「そこは飼育員さんが直々にお手本を見せて……」
「……琴葉、飼育員さんは人間だぞ。いくらなんでも無理だろう。」
「そこは根性で」
「無理だ。合理的に考えろ。」
THEスタジアムでは、イルカのショーをやっていた。赤青緑ピンクとライトアップされた噴水とともにイルカたちが舞い飛ぶ姿は実に圧巻だった。 時々飛んでくる水飛沫さえなければ、熱中して魅入ってしまいそうだ。
ふと視線を感じて後ろに振り向き、階段の上層を見上げる。そこには黒のゴスロリを着た女性がこちらをガン見して近づいていた。
そして、俺たちの真後ろの階段上層に立つと持っていた籠から何やら青っぽい、青魚のような物を取り出してこちらに投げようとした。俺はあの未来メールを思い出す。観客がイルカの大ジャンプを受けて大きな歓声を上げた。
「伏せろッ琴葉‼︎」
「うぁッ。」
俺は咄嗟に琴葉を覆い被さるように押し倒した。飛んできたスポンジのようなものが背中を転がっていく。琴葉は押し倒した衝撃で階段に背中をぶつけたらしく、悲痛な顔をしたが、すぐに今の俺たちの体勢を見て顔をボッと赤らめた。
「え?ちょっ?え?ま、待って。キスはまだ早……」
俺はゴニョゴニョ言っている琴葉をよそに大勢を起き上げて顔を上げた。
もう既にゴスロリ女性は俺たちの十段上まで降りていた。下からは彼女の仲間と思しき黒いラバースーツの女性が一人、一段一段登ってきていた。
ゴスロリ女性が言う。
「あら残念。もう少しで琴葉さんのデートの邪魔ができたのに……残念だわ。」
「お前たちはなんだ?どうして、俺たちを狙って投げた?」
「あら、狙ったのは琴葉さんだけよ。それに投げたのは売店で売ってた、魚の玩具よ、大したものじゃないわ。フフフ、私達は琴葉さんに用があるの。そのついでに二人のデートを邪魔しただけ。少し琴葉さんに恨みがあっただけでただの戯れよ。それよりしばらく琴葉さんをお借りしていいでしょうか。何その琴葉さんと大切な大切な話をするだけですから。」
いかにもやばそうなゴスロリ女性の言い分に軽い恐怖と嫌悪感を感じる。俺は琴葉に密かに呼びかける
「琴葉、立てるか。」
「え?えーとその…」
「なんだ?」
「恥ずかしいんだけど、私腰が抜けちゃって今…」
「そうか、わかった。」
「よろしいですか?琴葉さんとの時間をいただいても…」
コツコツとローファーの階段を踏む音が上から近づいてくる。
この状況は俺自身よく理解できていないが、腹を括るしかないことは直感でわかった。琴葉を守るため、逃げなくては!
「琴葉持ち上げるぞ。」
「へぇ?……ひゃあい⁉︎」
俺は素早い動作で琴葉をお姫様抱っこで持ち上げ、上段にいたゴスロリ女性に肩で体当たりした。
「キャッ!」
俺はその勢いで階段を一気に駆け上がる。階段の頂上を登り切ると後ろから、
「ま、待ちなさい。待ちなさいってばッッッ‼︎‼︎」と声がしたので、振り返ればこちらを追いかけてくるゴスロリ女性とラバー女性がこちらに迫っている。どうやらゴスロリ女性は上手く受け身を取ったようだった。俺はすぐさま、その場を立ち去った。琴葉をお姫様抱っこで抱えたままで。
「え?このままッ‼︎」
「階段で転ぶと危ないからなぁ。」
「えっ、ちょっ。尚登、これは恥ずいよ。」
「我慢しろ。根性だろ。」
「そ、そんなぁぁぁぁぁぁぁー‼︎‼︎‼︎‼︎」
俺たちは水族館入り口まで戻ってきた。あの大学生もゴスロリとラバーも追ってきてはいない。琴葉をゆっくり地に降ろし、俺は少し安堵する。全身の筋肉の強張りが和らいでいく。
「琴葉、この水族館を早めに出るぞ。なんかここはヤバい。直感でヤバいと感じるんだ。」
「うん、わかった。……………………ねぇ、尚登。」
「なんだ?」
「最近さ、私達って距離ができたと思わない?」
「今は距離が近いだろう。」
「そうじゃなくて、心の距離、心の。」
「あぁそっちの。」
「そう、そっちの。」
「……。」
「……。」
しばしの沈黙が場に漂う。
「……もちろん、高校になってこうして休日に遊ぶくらいの仲が続いているのは嬉しいよ。幼馴染っていうのもあるだろうけど、同じ高校に入ってこれまでと同じように分け隔てなく接してくれて友達でいさせてくれる。尚登と友達でよかったって思うんだ私。」
「……。」
「だけど、同時に気づいていたんだ、この関係は数年ほどくらいで終わるんだなって。」
「それは違うぞ。」
「違くないよ。私達は高校生でやばて大学に行って就活を経て仕事に就いては、結婚をして歳を取る。その過程でいつか私と尚登の友達という関係は希薄に、終わってしまったかのように思えるほどの存在に成り下がってしまうのは確かだよね。」
琴葉の声がどんどん酸っぱくなっていく。涙声に似た、彼女の叫びの声がどうしようもなく広がる。
「私、怖いんだ。夢に見るほど、叫びたくなるほど、どうしようもなく怖いんだ。尚登とはもっと上の関係を築きたい。だけどこの感情を尚登にぶつけて関係が壊れてしまったり、無くなってしまったりしたらもう私……。」
「……。」
俺は何も言えず、前のめりになった琴葉の背中をさする。手で覆った顔にはきっと俺には見せれない表情をしているのだろう。子どもの頃から慣れていた手つきはちっぽけなことで泣いてしまった片方をもう片方があやす当然の配慮で幾多になっても変わらない。だが、この行為自体をしなくなる日が訪れることを二人は知っている。別に名残惜しい訳ではない、が、そういう関係が消えていくのは悲しい。
俺にとって、琴葉は……。
「尚登、私……。」
「ストップだ、琴葉。」
「⁉︎」
「俺としても琴葉との幼馴染兼友人の関係が心地よいと思っているし、もうしばし続けたいと思っている。」
「でも」
「故にその先の言葉を飲み込んでくれ、琴葉。俺に少しだけ考える時間をくれ。」
「えっ………。」
「この話は慎重になるべきだ。お互いのためにも、友人関係を続ける上でも。」
「ユウ……ジン………。」
「だから、この場で君の告白を受けることはできない。」
パシャリと言われたその答えに琴葉はどんよりとした落胆の表情を見せていた。
*******
私は心のどこかで、期待していたのかもしれない。私は麻倉尚登が雨宮琴葉の告白を即答でyesと返す理想図が実現することを期待していた。だが、その理想図は彼の言葉で散り散りになってしまった。告白しようとした私に彼からは待って欲しいと言われただけだが、それは私と友達としての関係を続けるための、思い留まらせるための詭弁だったのではないかと思ってしまう。
もしかしたら、尚登はこのまま私の告白に対する返事を一生待ってもらってこのまま私と友人関係を引っ張るかもしれない、いやそもそも勇気を振り絞って言おうとした告白さえ聞いてくれなかった、それはつまり、尚登からしたら、私の思いに答える気がないという意思表示なのかもしれない。そう考えてしまうと私の心は真っ暗な海底に落ちていく重い鉛になっていた。
私は俯き、尚登の顔が見れない。愛の告白さえしていないのに私と尚登の間には深い溝を通る秋の寒風が吹いているような気がした。
*******
「帰ろうか。」
「……うん。」
ほとんど無言で水族館を出ていく二人の姿を六人の影が見ていた。その中には、ハチ公前から尾行してきたパーカーの男性も琴葉をナンパした大学生二人組も、スタジアムで琴葉と尚登に接近したラバースーツの女性もゴスロリの女性も混じっていた。
「失敗、かな?」
黒コートを着た女性、この計画の発案者である雨宮涼音はそう呟いた。
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