日菜子の見た現実

「さ、探して!」

 室内に栗須の悲鳴に近い声が響き渡る。

「内藤、本部へ連絡!殿下の所在を確認させろっ!」

「り、了解!―――本部!本部どうぞ!」

「……」

 騒ぎをよそに、水瀬は日菜子の立っていたあたりの壁に手をやってじっと考え込んでいた。

「悠理君っ!」

 その耳を栗須がひっぱった。

「痛たたたっ!―――な、何するんですか?」

「主君がいなくなったというのに、何をしているんですかっ!?」

「壁に仕掛けがあったんで、調べていたんですよぉ」

「仕掛け?」

「テレポートですね。閉鎖空間同士をつなげていたのと同じ―――知りません?」

「知りませんっ!じゃ、ここから殿下を追えるんですね!?」

「それが……」水瀬は言葉を濁した。

「それが?」

「つながっている先を調べていたんですけど、さっき、耳引っ張られた時、魔法の一部を壊しちゃいまして」

「……」

「どことつながっているかすら、わかんない有様で」

 ハハハッ。

 乾いた笑い声を上げる水瀬だが、栗須の顔は怒りで赤く染まっていた。

「こ―――この」

「く、栗須さん!?」

 思わず後ずさる水瀬に、栗須は時計塔全体が鳴動するほどの声で怒鳴りつけた。

「この役立たず!」

 

 

「ひぁぁぁぁぁぁっ!!」

 室内に白銀の甘い悲鳴が響き渡る。

 白銀の体に走る快楽は、電気のように全身を駆け回り、その度に白銀から理性を奪い取っていく。

 それは、未熟な10代の少女に耐えられる代物ではなかった。

「だめぇ!おかしくなるぅっっ!!」

「安心しろ。その辺の手加減は心得ている」

 そう、イーリスが耳元でささやくだけで、白銀の体は激しく反応する。

 自分の体なのに、自分の体を走る快楽を自分ではどうすることもできないもどかしさが、白銀を狂わせる。

「言うことを聞く気になったか?」

 

 聞けばどうなるか―――。

 

 褒美が出る。

 

 褒美?

 

 そう。

 

 快楽。

 

 それが、自らの快楽の絶頂へ達する唯一の手段。

 

 拒めば発狂するまで責められるかもしれない。

 

 白銀の理性の判断ではない。

 

 その前に跪いたのは、白銀の体だった。

 

「き、聞きますっ!何でも言うこと聞くからぁぁっ!!だから、だからぁぁっ!」

「聞いてくださいだろう?」

 イーリスの指先が、白銀を敏感に嬲り続ける。

「あああっ!!……ヒグッ、き、聞いてくださぁい!!」

「お願いしますはどうした?」

 イーリスの舌に耳たぶを責められ、白銀は悲鳴に近い声を上げた。

「ヒァッ!おっ、お願いします!聞いてください!私を、私をぉっっ!」

 

 白銀は自ら宣言した通り、イーリスの問いかけに全て応じた。

「シスターは……」

「背景には……」

「妖魔達は……」

 

 

「わかったか?」

 イーリスは、ベッドから降りて服に手をかけながら白銀に訊ねた。

 ベッドに横たわる白銀の反応は、ない。

 

「“快楽が、時に苦痛に勝る拷問になる”とは、こういうことだ」

 

 白銀が何故答えないか、気絶させたイーリス自身が一番わかりきっていることだ。

 

「―――フン」

 

 着替え終わったイーリスは、白銀を一瞥してから思った。

 

 (修道院は、女子校と同じだからな。年期が違うんだ。それにしても……)

 

 問題は、白銀の口から漏れた、シスター・マリア達のたくらみだ。

 

 学園を隠れ蓑に薬物製造拠点をこの地に作る。

 魔法薬の副産物として生まれた妖魔は、兵隊として確保し、金を出す研究機関に売りつける。

 学園の少女達を洗脳、もしくは吸血鬼化することで、政財界に配下を増やす。

 

 正気の計画では、ない。

 

 一国が吸血鬼を従える女に傅(かしづ)く寸前だったなんて。

 

 これは、テロどころではない。

 まずい。

 妖魔はその多数を撃破したが、問題は吸血鬼だ。

 かなりの数が、未だに戦力として温存されている上、白銀達にも語っていない、何かをたくらんでいるという。

 放っておくことは出来ない。

 

 ピーンポーン

 不意に、チャイムが鳴り響いた。

 

「?」

 シスター・マリア達が、白銀奪還に動いたか?

 イーリスは、ナイフを抜き、ドアに近づいた。

 

 ガチャ

「―――なんだ。栗須殿か」

 ドアの前に立っていたのは、栗須だ。

 何故か、とても言いづらいという顔をしていた。

 

「?どうした?」

「あっ、あの―――殿下のことで」

「殿下のこと?殿下の御身に何かあったのですか?」

「え。ええ。それで―――その、中に入っても、よろしいですか?」

「?何故です?」

「殿下が、中にいらっしゃるはずなんです」

「!?」イーリスは驚愕の表情で栗須を見た。

「ど、どういうことですか?」

 

 まずい。

 

 イーリスは青くなった。

 

 どういうことかわからない。

 

 だが、ここに、春菜殿下がいらっしゃるとしたら―――殿下の教育上、いや、本音ぶちまけで私の地位が危うい。

 

「は、春菜殿下が、ここへ?」

「日菜子殿下ですよ?」

「……」

 

 イーリスは、一瞬、目を点にした後、聞いた。

「はい?」

 

「ですから、あれは、春菜殿下に変装した、日菜子殿下です」

「……栗須殿、私をかつごうとしていませんか?」

「まさか。よく考えてください」栗須はあきれ顔で言った。

「春菜殿下は、騎士も魔法も、何一つ、継いでいらっしゃらない、ただの女の子なのですよ?」

「―――あ、ああ」

 何が言いたいのかわかった。

 地下通路で、殿下が刀を水瀬から借りたことだ。

 一般人として剣を使えると曲解していたのだ。

 

「なんということだ」

 事態がより最悪の方向に向かって、まるでジェットコースターのように動き出したことを、イーリスは知った。

 春菜殿下なら、それとなく頼めばいい。

 問題は、自分の主君である日菜子殿下に知られなければよい。

 そう思っていたからだ。

 ところが、肝心要の日菜子殿下が、その悪事を間近でご覧とあっては、イーリスは逃げようがない。

 

「殿下の所在、反応がこの室内、クローゼットのあたりから出ているんです」

「……」

 クローゼットは、白銀のベッドのある部屋だ。

 最悪だ。そんな間近で……。

「水瀬君によれば、時計塔の風紀委員会室とこの部屋のクローゼットが魔法でつながっていたらしいんです。で、それに気づかなかった殿下が、この部屋のクローゼットへ」

「そ、そう、ですか」

 イーリスは青い顔でドアを開けた。

「ただし、お願いが」

「何です?」

「中で見た事項については、一切他言しないで下さい。それと、日菜子殿下が起きていらっしゃったら、目を開けたまま夢を見ていらっしゃると諭して下さい」

「?はぁ……意味、わかりませんけど……とにかく、入りますね?」

 

 イーリスは、天を仰ぎ見ながらロザリオを握りしめた。

 

「……」

 ベッドに横たわる全裸の女性

 室内にこもる強烈なまでの女の香り

 さすがにこの部屋で何があったか、栗須も女である以上、察しないワケにはいかない。

 

 つまり、白百合が似合う(自主規制)だ。

 

 (ここに在学中、いろいろ話は聞きましたが……生徒とシスターは初めてですねぇ)

 イーリスが焦る理由がわかる栗須は、それでも相手が吸血鬼であることを知っている以上、警戒せずにはいられない。

 起こさないよう、そっとクローゼットに近づいて、扉を開いた。

 

「殿下?」

 

 いた。

 

 赤い顔をした日菜子が、正座する姿勢でからっぽのクローゼットの中にいた。

 

 一瞬、等身大の人形かと見まごうばかりで、栗須も軽く驚いた。

「大丈夫ですか?」

「……」

 フルフル

 日菜子は無言で首を横に振った。

「お怪我でも?」

 フルフル

「と、とにかく、立てますか?」

 無言で立ち上がる日菜子。

「お部屋へ戻りましょう。―――今夜のことは、イーリスさんにも箝口令を敷いておきますから。ご心配なく」

「……ありがとう、ございます」

 

 

「あれ?」

 部屋に戻ってきた水瀬が、きょとんとした顔で栗須やイーリスを見た。

 何故か二人とも、無言のままだ。

「どうしたの?」

「な、なんでもありません」

「気にするな」

「?ヘンだよぉ。まるで気まずい瞬間に立ち会ったみたいな顔で」

「よ、余計なお世話だっ!」

「悠理君っ!オトナをからかうものではありませんよっ!?」

「!?」

 

 

 一方―――

 シャワーを浴び、体を清めた日菜子は、なぜかベッドの上に正座して、キャビネットに飾ってある亡き両親の写真と向かい合っていた。

「お母様―――日菜子は……日菜子は、オトナの階段を登ってしまいました……多分、1……いえ、3段飛びくらいで……」

 

 日菜子は両親へ祈りを捧げた後、眠りに身を任せようとしたが、なかなか出来ない。

 

 クローゼットの中からのぞき見た光景は、中学生の日菜子には、刺激が強すぎた。

 

 (女同士でもする人がいるとは……聞いていたけど)

 

 顔が赤くなる。

 

 (イーリス、あれは……仕事、なんですよね?そうですよね?)

 

 そうだ。

 そうに違いない。

 それにしても……アノ時のオンナの人は、芹沢先輩みたいな人でも、ああなるんだ。

 

 

 それが、信じられない。

 

 

 そして、いつしか眠りに落ちた日菜子は、クローゼットの中から見た光景を、夢に見た。

 

 

 白銀となった日菜子を責めるのは―――

 

 

「さて。悠理君?殿下は今朝―――」

 

 バンッ!!

 

「起きるのが遅いはずって……殿下?」

 

 乱暴に開かれたドアの向こう。

 

 そこには、パジャマ姿の日菜子が、抜き身の日本刀を手に提げて立っていた。

 

 目が尋常ではない。

 

「水瀬ぇ……」

 その声は、聞く者の寿命を確実に縮めるほどの恐怖心を感じる代物だ。

 

「はっ、はいっ!?」

 あまりの姿にひきまくりの水瀬が答えた。

「あ、あの……殿下?」

 

 ブンッ!

 日菜子の一撃が、水瀬を襲った。

 テーブルが一瞬で真っ二つになる。

 

「よ、よくも私を!」

「で、殿下!?な、何を!?」

「で、殿下?悠理君?」

「よくも嫌がる私を―――」

「殿下ぁ!僕は潔白です!目を覚ましてくださぁぃ!」

「あんな恥ずかしいこと―――責任を取りなさいっ!」

 

 

 

 結局―――

 

 自分が夢と現実をごっちゃにしていることに気づいた日菜子が、再度ベッドに潜り込んで、次の日丸一日、そこから出ようとしなかったのは事実だ。

 

 

 夢で、水瀬に何をされたのか、

 

 

 つまり、イーリスと白銀が何をしていたのか、それを、夢の中の自分を白銀の立場に、イーリスの立場を水瀬に託して、日菜子は、ののしりとしてほぼ全てを水瀬に叩き付けた。

 

 しかし、それは、要するに、日菜子は、エッチな夢を見ながら

 

 寝ぼけていた。

 

 ということで……

 

 

 

「いゃぁぁぁぁぁっ!!いっそ殺してぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 

 布団の中で悶絶する日菜子の部屋から、幾度となく聞こえた涙混じりの悲鳴が、これだったという。

 

 

 

 

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