人体発火現象

「これはまたハデに」

「燃えましたねぇ……」

 イーリスと水瀬は、目の前に広がる黒い残骸の前に立っていた。

 かつて野菜プラントとして生徒達に新鮮な野菜を供給し続けた、功労者のなれの果てだ。

 

 その現場は黄色いテープで仕切られ、何人もの男女が出入りしている。

 

「華雅消防署の野村です」

 イーリスの姿を見た消防士の一人が駆け寄ってきた。

 制服を着た背の低い、筋肉質の男だった。

「生徒会から見分でいらっしゃった。シスター・イーリスさんと、報道部の水瀬さんですね?」

「はい。ご苦労をおかけします」イーリスは頭を下げた。

「恐縮です―――現場にご案内します」

 

 歩くたびに何かが砕ける音がする。

 足下は水浸しで、革靴が汚れる。

 跳ねた水でソックスが汚れ、水瀬は顔をしかめた。

 

「火災の程度からして、ここにあった配電盤から出火したと思われます」

 野村が指さしたのは、黒く原型のわからないまでに焼けこげた、かろうじてかつて金属だったろうことがわかる代物だ。

「燃えてますねぇ」感心したように水瀬が言うと、デジカメのシャッターを切った。

「ええ。古い建物ですし、手入れもされていなかったですから、配電盤内にどうも鳥が巣を作っていたらしくて。それがショートして発生した電気火災―――そんなところですね」

「それで建物って、燃えるんですか?」

「ん?ああ。そりゃ、こういう鉄筋でも、燃えるものさえあれば燃えるよ」

 野村の水瀬を見る目付きは、なんだか水瀬にとって背筋が寒くなるものがあった。

 あからさまに教養の制服、こと、スカートに視線が注がれているのがわかるからだ。

 “燃える”が“萌える”と聞こえて仕方ない。

「ここは倉庫代わりに使っていたらしいね。配電盤の周りは、段ボールや薬品が積んであって、それに火が移った。その後は建材なんかが燃える。そう、珍しいことじゃないね」

「……プラントはどうですか?」

「案内しよう。ほら、こっち―――手を貸そうか?」

 野村は、さりげなく手をさしのべてくる。

「あ、ありがとうございます」

 水瀬は、その手に触れた。

 まるで水瀬の手を舐めるかのような手の動き。

 その脂ぎった感触。

 水瀬は内心で顔をゆがめた。

 

 プラントは、配電盤のある部屋の隣だ。

 かなり広いかと思ったら、いくつもの小部屋に区切られている構造らしい。

 今は、壁がすべて燃え崩れたため、端まで見えるが、かつては違った景色が広がっていたろう。

「プラントといっても、もう機材はほとんど撤去されていて、この部屋しか運用されていなかったようだね」

 そう、指を指された先にあるのは、焼けて崩れた鉄骨の残骸だ。

「これ、なんですか?」

「ああ。照明と保温機が崩れたんだよ。それでもね?どうもその下、土の上に藁くずを積んであったらしいね。灰がすごかったよ」

「あの……生えていた草とかは、何か残っていました?」

「まだ調べていないけど、藁と一緒に燃えたろうね。何が生えていたかわからないよ」

 水瀬は念のため、焼けた土をに触れてみようとして、この男の言うとおりだろう。と、手を引っ込めた。

 

 焼け跡から出た二人は、大きく息をした。 

「これ、完全に証拠隠滅ですね」

「ああ。全ての魔法薬を引っこ抜き、焼き払った後に放火した。そんなところだな」

「ですね」

「ところで水瀬」イーリスがあたりを確かめると、水瀬に訊ねた。

「貴様、殿下に何しでかした?部屋で殿下が日本刀片手にご乱心あそばされたと聞いたぞ?」

「僕もわかんないんですよ」

 水瀬は、心底困るという顔で言った。

「何だか、ヘンな夢を見た後、ほら。お疲れだったじゃないですか。ここんところ、睡眠不足が続いていらっしゃったし」

「寝ぼけた。栗須殿はそうおおせだったが、間違いないのだな?」

「何だか、イーリスさん。僕を疑っています?」

「親が親、だからな」

「今はエリスとエマが振り回していますから、しばらくナリは潜めるでしょう」

「問題はお前だ」

「僕は祷子さん一筋です」

「なんだそれは。綾乃ちゃんが聞いたら泣くぞ……おい」

「今日、質問多いですね」

「お前、綾乃ちゃん、キライなのか?」

「彼女は単なる友達です」

「今度、そう面と向かって言ってやろうか?」

「暴れますよ?綾乃ちゃんのことだから」

「素直に吐け。どう思っているか。これでもシスターだぞ?」

「……上に“暴力”ってつくクセに」

 ガンッ!

「ほらぁ!」

 頭上から振り下ろされた一撃に、涙目になって抗議する水瀬。

「ああ。頭のてっぺんに虫がいたんだ。虫が。しかも毒虫」

「嘘つきぃ……」

「人のつむじなんて、見たことないだろう?」

「そんなことないもん!小学生とか、保育園児のなら見たことが!」

「そうか……ん?」

「どうしました?」

 イーリスの視線の先、そこにはよろよろ走るポンコツの車が1台。

 降りてきたのは、大柄なひげ面の男。白衣を着ているが、どうみても医者には見えない。

「あれ、生物の牧村先生だ」

「知っているのか?」

「イーリスさんに請求書送った人」

「……ああ。理科棟のあれか。水瀬」

「何?」

「その件は、あとでゆっくりと話し合おう」

「や・だ♪」

 そういうと、水瀬は牧野めがけて一目散に走り出した。

 

 

「ああ。焼けたというから、様子を見に来たんだ」

 スバル360から降りた牧野が、外れたドアを何とか戻そうと四苦八苦しながら水瀬に言った。

「そういえば、先生は、シスター・マリアにあのプラントを貸していたとか」

「ああ。何でも、ハーブを育てたいとかでな」

「ハーブ?」

「ああ。東欧原産のなんだか知らないが、とにかく、プラントのカギはシスターが持っていたし、いろいろ恩義があるからな」

「……恩義?」

 イーリスが怪訝そうに訊ねた。

「一介の理科教師が、聖職者に恩義とは?」

「あのシスターは植物学では博士号を持つ人物だからね。だから論文指導を受けたりとか、いろいろとね」

 牧野は、明らかに言葉を濁している。

「論文代筆とか?」

「!!」

 ガチャンッ!

 何気ない水瀬の言葉に、牧野は過敏に反応した。

「なっ、何を!み、水瀬君だったな!き、教師に対して何という失礼な!」

「調べればわかります。それより先生、ドア、落ちましたよ」

「……」

 無言でドアに向かう牧野に、イーリスはささやくように言った。

「先生。協力してくだされば、我々の口から疑惑を外に漏らしはしません」

「……」

「先生。シスターが、中でに何を育てていたか、ご存じでしょう?それをちょっと口にしていただければよいのです」

「……東欧原産のパロイカだ」

 牧野はドアに視線を向けながら言った。

「パロイカ?」

「ハーブの一種。葉には強い安静効果がある。ただし」

「ただし?」イーリスが先を促す。

「パロイカはダミーだ。あんなに広い葉だ。その上、窓際だけに植えられていた。私は窓から中をのぞくしかなかった。その上、窓には段ボールが積み上げられ、その隙間から見ただけだ。中は知らない」

「―――合い鍵、あったんでしょう?」

「ど、どこまで私を脅す気だ?」

「このままでは、プラント焼失の責任は、管理者に行くでしょうね。先生?施設焼失の責任を負わされての懲戒解雇。……そのお歳で、次に行くところはおありですか?ご家族抱えての転職?世間は、厳しいですよ?」

「た……頼む。それだけは」牧野の声は震えている。

「わ、私には養わねばならない家族が……」

「協力の代償は、懲戒回避です。損な取引とは思えません」

「……シスターには言うな。頼む。黙っていてくれ」

「勿論」イーリスは残酷な笑みを浮かべて頷いた。

「正直、あれは日本の植物図鑑には載っていない。私には未知の植物だ。背丈は約20センチ。青い葉に赤い小さい身をいくつもつけた植物。―――新種かと思ったから、スケッチはしてある」

「スケッチは?」

「理科準備室にある」

 

 

「せっ、先生!降ろしてくださいっ!」

 プラントまでの道は未舗装の凸凹(デコボコ)道だ。

 スバル360、通称「テントウムシ」の後席に放り込まれた水瀬は、揺れる度に頭を天井にイヤという位ぶつけていた。

「何を言うか!」

 牧野は上機嫌だ。

「エンジン快調!これがオールドカーの醍醐味というものだ!」

「車労る意味でももっと大人しく―――痛っ!」

 ガンッ!

 天井に頭をぶつけた水瀬は、今度こそ大人しくなった。

 

 

 理科準備室のカギをポケットから取り出しつつ、牧野は念を押すようにイーリスに言った。

「くれぐれも、先ほどの約束は」

「我々を信頼下さい」

「……わかった―――ん?」

 カギを穴に差し込もうとした牧野が手を止めて鍵穴をのぞき込んだ。

「何か?」

「泥棒だ」

「泥棒?」イーリスはその言葉に、水瀬の顔を見た。

「何で僕の顔見るのかな?かな!?」

「この学園で一番胡散臭いヤツがなにをいうか」

「誰か、カギをこじ開けたな。カギが壊されている」

「……先生。少し離れていてください」

 イーリスは、ドアを開いた途端、水瀬を室内に放り込んだ。

  ポイッ

「にぎゃっ!?」

 ドシンッ!

 ガシャンッ!

 ドアの向こうから、水瀬の悲鳴と何かが崩れる音がする。

「……」

 二人がそっとのぞき込むと、パイプ椅子と一緒に床に転がる水瀬の姿があった。

「無事か」

 そういうイーリスが舌打ちしたのを、水瀬は聞き逃さなかった。

「僕はちっとも無事じゃない!」

 水瀬は鼻を押さえながら叫んだ。

「センサー式対人地雷でも仕掛けられていたらどうするつもりだったんですか!」

「そのために放り込んだに決まっているだろうが」

 イーリスのつれない言葉に水瀬が抗議するが

 

 ぎゅむっ。

 

「牧野先生、何か盗まれた物はありませんか?」

 イーリスはその顔を土足で踏みつけて黙らせた。

 

「待ってくれ……いや。少しは掃除しておけばよかったな。ここには金目のモノはないし……あっ!」

 牧野はあわてて本棚に近づくと、棚を引っかき回し、

「……盗まれたよ。シスター」

 そう、力無く答えた。

「スケッチが?」

「ああ。無くなっている」

「……」

「すまん。シスター。私が出来る協力は、ここまでだ」

 

 

「やられましたね」

 理科棟から出た水瀬の開口一番の言葉だ。

「まぁ、いい」イーリスは言った。

 遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてくる。

「元から土産程度の代物だ。すでにノインテーターは手に入った。他の証拠もいくつも見つかっている。立件は不可能ではない」

「どちらにしても?」

「魔法薬製造に関する国際法違反―――死刑だ」

「じゃあ、どうします?予備拘束しますか?」

「そうだな。証拠固めは途中だが、逃亡されては困る。それに、これ以上は、我々戦闘部隊より専門部隊に任せるべきだろう。水瀬、殿下にご報告しろ」

「はい」

 水瀬がポケットに手を伸ばした途端、着信音が鳴り響いた。

「お前―――何で着信音がそのアンパンマンなんだ?」

「好きなんだもん」

「ドコが」

「似てるから」

「何と何が」

「主人公と僕」

「向こうは食えるが、貴様は食えん」

「愛と正義しか友達いない正義の味方―――似てるでしょ?」

「お前、自分で言ってて悲しくないか?」

「もう慣れた―――水瀬です。……あっ、会長?」

 イーリスはパトカーのサイレンが鳴り響く中、空を見た。

 珍しく雲一つ無い青い空が広がっていた。

 夏の空と違う、青くても凍てつくような空だ。

「……」

 イーリスは思った。

 (血生臭い闇に生きた私も、空を感じることが出来るようなったのだな)

 

「イーリスさん」水瀬が携帯をしまいながらイーリスに言った。

「ん?」イーリスは視線を空から放さない。

「終わりました」

「何がだ」

「死にました」

「誰が?」

「シスター・マリアです」

「何っ!?」

 

 

 水瀬達が駆けつけた先、そこは「聖マリア教会」。

 そう、シスター・マリアが朝のミサを行うあの教会だ。

 パトカーだけでなく、消防車までが駆けつけていた。

 

 イーリスが、教会入り口に立っていた制服警官に近衛の身分証明書を突きつけた。

「近衛府イーリス少佐である。この騒ぎは何だ?」

 近衛相手だ。警察官は敬礼の後、イーリスに答えた。

「華雅署の江尻巡査であります!教会内で人が燃えたとの報告がありました」

「人が……燃えた?」

「はっ。はい!あっ、巡査長!」

 江尻巡査が、近くにいた上司を捕まえ、イーリスのことを報告する。

 すぐに上司が駆けつけてくる。

「どうも。長沢巡査長であります。現場にご案内します。どうぞこちらへ―――ああ。お嬢ちゃん。この先はダメだよ」

「え?あっ、あの、イーリスさん?」

「必要なら呼ぶ」

 イーリスは、そう言って巡査長と共に教会内へと入っていった。

 

「目撃者によると、ミサの最中、突然燃えた。というのですがねぇ。これが信頼できないんですよ」

 歩きながら、長沢が言った。

「何しろ、全員、発見された時は気絶してましたから」

「気絶?」

「ええ。シスターが燃えた瞬間、あまりのことに気絶したと……あり得ますか?12人が一度に仲良く気絶するなんて」

「普通は考えられることではないな」

「そうでしょう!?」

「通報者は?」

「近くを通りかかった教養科の生徒です。教会からただならぬ悲鳴が聞こえたので、執事に確認させに入ったと」

「ほう?執事も災難だ」

「全くで。ところで近衛さん」

 長沢はイーリスにこっそりと訊ねた。

「―――これ、第三種でしょ?」

「そうだな……そうなるな」

「いや。こんな人体発火なんて、テレビの作り話だけで結構ですよ。私達にゃ手に余る」

「ふん……勘弁して欲しいのはこっちも同じだ。焼身自殺の可能性は?」

「死体を見て下さいよ」

 鑑識が撮影を終えた所らしい。

 説教壇の一部が焼けこげ、そこには焼け残った衣服の一部と靴だけが残されていた。

「全身、原型残さないほど燃える……あり得ませんよ。骨まで残らないんです。しかも、これほどの燃え方なのに、延焼していない」

「……成る程。自殺・他殺共に線としては消さざるを得ないな」

「だから、第三種か聞いたんですよ」

「私を最初からここに入れ、情報を渡したのも、そういうことか?」

 長沢は、エッヘッヘッと、品のない笑い声で答えた。

 

 

 

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