任務と信頼と
絶望の中から突然現れた救いの光明。
水瀬の登場は、日菜子にとってまさにそれだった。
「吸血鬼達は石化してあります。殿下―――わっ!?」
水瀬が驚いたのは、日菜子が何も言わずに自分の胸の中に抱きついてきたから。
「!?……あ、あの……で、殿下?」
「……ヒック……ヒック」
「な、泣いているんですか?あの、どこかお怪我を?」
「……ち、違います」
日菜子が水瀬の胸から顔を上げ、俯いた。
涙がその頬を流れ落ちるのを、水瀬は見た。
「あ、あの……」
水瀬は、日菜子の震える肩にそっと触れた。
それは、自分より1つ年下の女の子の肩。
なぜかその時、水瀬はその肩を、“主君の肩”と見ることが出来なかった。
皇女として政務に明け暮れる身とはいえ、今、こうして触れる肩は、女の子の肩だ。
そうとしか思えない。
殿下が何の目的をもっているのかは知らない。
だが、せっかく学校にいるのなら、生徒としての時を満喫してほしい。
そう思う。
だからこそ、こんな所にいてほしくない。
こんなに、泣かないでほしい。
「殿下……」
キュッ
制服越しに伝わる日菜子の柔らかい肉体と、甘い香りが水瀬は確かに感じた。
(こうして見ると、殿下ってすごく可愛いんだけど)
とは思いつつも、このヘタレがここで日菜子に何か出来るはずがない。
「何か」が出来れば、こいつもヘタレが返上し、父由忠と肩を並べ、
綾乃か美奈子に殺されるだろう。
いかん。
作品が終わってしまう。
それでは困るのだ。
しかし、心配する必要はない。
このヘタレがここまで考えた次の瞬間、涙を流す日菜子に抱いたのは、
困惑。
ただ、それだけだ。
水瀬は正直、困惑していた。
自分と接する女の子は、呆れているか怒っているのが普通。
綾乃にしても美奈子、樟葉にルシフェル……例外は祷子位なものだ。
つまり、水瀬は泣いている女の子なんてほとんど目にしたことがない。
しかも、それが自分の主君ならなおのことだ。
「殿下?僕、こういう時、どうすれば?」
「……歯を」
日菜子がポツリと言った。
「歯?」
「……歯を、食いしばりなさい」
「へ?」
日菜子は深呼吸した後、顔を上げて水瀬を見つめた。
いや、睨み付けた。
「遅いんです!このバカぁぁぁっ!!」
バッチーンッ!!
「痛ーっっ!!」
スゴイ音が室内に響き渡った。
数分後のこと。
「いいですか、水瀬」
涙を拭き終えた日菜子が水瀬を再度、睨み付けた。
「……」
水瀬からの返事はない。
「もうっ!」
日菜子は水瀬の胸ぐらを掴んで壁から引きはがした。
「何をこんな時に壁にめりこんでいるんですかっ!?」
「だっ……誰が壁に……」
「自分でめり込んだんです!」
「……もう、そうしておいて下さい」
「いいですか?」日菜子は水瀬に目線を合わせながら言った。
「はい?」
「こっ、この事は極秘です」
「はぁ?」
「わかっているんですかっ!?」
「え?……あのぉ。何でまた」
「私も皇族の一員ですっ!皇族たる者、威厳というものが大切なんです!!……そっ、それを、あんな……あんな失態を……」
脳裏を敵にねじ伏せられ、おびえる無様な姿が走馬燈のように走り抜けた。
ロクに相手も出来なかった。
まさに屈辱そのものだ。
「……いいんじゃないですか?」水瀬は不思議そうにそう言った。
「よくありませんっ!」
「誰でも失態は犯すものです。失敗したらそこから学べばいいんです。そうでしょう?」
笑顔で説得する水瀬だが、
「……」
ジトッ。とした目で日菜子が答えた。
「あなたにだけは、言われたくありません」
イーリスが水瀬達に合流したのはそれから5分後のことだ。
「成る程、な」
目の前の石化した吸血鬼達を前に、イーリスは言った。
「ヴァチカンがしくじったというわけか……だが、奴らとてプロだ。……水瀬。シスター・フォルテシア達は?」
「生存者はシスター・フォルテシアのみ。吸血鬼と一緒に石化しちゃいました。シスターのあの状態じゃ、緊急手術しても五分五分でしょうから」
「時間もない。適切な判断だな」
「回収班に回収させます……イーリスさんは?」
「敵は閉鎖空間をかなりあちこちの隠し部屋とつなげていると見るべきだな。あの部屋と他の通路はほぼ遮断されている」
「で、ですけれどね?」
「ん?」
水瀬がイーリスに渡したのは、軍用のGPSナビだ。
黒地に白い線で描かれているのが、この学校の地図だということはすぐにわかった。
そして、白い点が一つ点滅していた。
「シスター・フォルテシアが持っていました。これ、なんだと思いますか?」
「反応が―――教会か?」
「ええ。シスター達、敵のどこかに、発信装置を取り付けたんじゃないでしょうか?」
「―――ヴァチカンの置き土産という所か」
「イーリスさん」
「行くか?」
「はい……殿下、申し訳ありません。これ以上は」
「ダメです」
「はっ?」
そのきっぱりとした口調に、水瀬は目が点になった。
「あのぉ殿下?この先は今まで以上に危険なのですが?」
「だとしたら、どうだというのですか?」
日菜子は言った。
「あれほどの屈辱を受けたお礼はきっちりさせていただきますっ!どこですか!?さぁ、行きましょうっ!」
「……」
「……何があったかは聞かんが……」イーリスも、日菜子の決意というか、無鉄砲ともいうべき行動に正直ため息をついた。
「止めても無駄、だろうな」
「殿下、負けず嫌いだから……」
「何か言いましたか!?」
「いえ、別に」
三人はとにかく、地下から出た。
暗闇に慣れた目に太陽の光がまぶしい。
「―――それで?」
日菜子は水瀬に訊ねた。
「どこなのですか?」
「教会です」
「そこにシスター・マリアがいるのですね?」
「問題は、です」イーリスが日菜子に言った。
「我々が、シスター・マリアを討つ理由が何か、です」
「それは―――」
言いかけて日菜子は黙った。
シスター・マリアと吸血鬼の関係は、まだ自分たちですら確証があることではない。
ヴァチカン第十三課達の求めるモノと、自分たちのそれがイコールである保証はどこにもない。
日菜子にも、ありはしない。
「とにかく、行くだけ行きましょう」水瀬が日菜子に言った。
「発信器の反応が、シスター・マリアのものであるかどうか、それだけでも確かめる意義はある―――違いますか?」
教会は静まりかえっていた。
「シスター・マリア?」
問いかけに答える声も、ない。
「水瀬、反応は?」
「反応あり……近くにいます」
「シスター・マリア?」
「水瀬!」
それに気づいたのは、日菜子だった。
「あそこ!」
日菜子が指さす先、そこは壁におかれたベンチ。
そこに眠るように横たわるのは―――
「村上先輩?それに、上条先輩も」
「シスター・マリアはどうします?」
「二人の回収が先です。発信器は生きているのでしょう?」
「御意」
舞達に駆け寄る生徒とシスター・イーリス。その光景を隠し窓から見つめる4つの目。
シスター・マリアと白銀だ。
「“操作”はしてあるんでしょう?」
シスター・マリアは、指先に乗せた小さなチップ―――発信器を玩びながら白銀に訊ねた。
「はい。対策は万全です」
「なら、単に保護しただけのあの子達に下手なマネはしないでしょう」
シスター・マリアはのぞき窓から目を離した。
「しかし、よろしいのですか?」
「あの二人が戻ることで、生徒会の捜査は止まります。シスター・イーリス達も、木戸達を退治したことですし」
「木戸達は惜しいことをしました」
「全くです」
二人は部屋から出た。
「そろそろ、この学園も足を洗う頃かしらねぇ」
「私ならそうします」
「そうですね」
シスター・マリアは楽しそうに言った。
「では、そろそろ仕上げの準備に入りますか」
舞とうららは、意識が回復しないまま保健室へ収容された。
保険医達の診断結果は、精神的疲労によるもの。
続いて、療法魔導師の資格を楯に、水瀬が即座にやったこと。
それは、二人の隔離。
保健室にあった隔離施設を借り受け、二人を収容するや、そこに籠もってしまった。
そこへイーリスが様子を見に入りこんだことが騒ぎの発端になった。
「―――なっ……なっ……っ!!」
イーリスは赤面して言葉が出てこない様子。
「えっ?―――ああ。イーリスさん」
水瀬にそう声をかけられるが、どうしたものか。
とにかく、イーリスは自分が驚いていることだけははっきりわかった。
何に?
イーリスが驚いたのは、舞とうららの今の格好だ。
どこから持ってきたのか、二人とも並んで産婦人科のあの椅子に拘束されていたのだ。
女として屈辱ともいわれるあの椅子に乗る二人の女性を前に考え込んでいるのは水瀬だ。
「きっ、貴様ぁっ!」
突然、イーリスは顔を真っ赤にして水瀬になぐりかかった。
「ち、ちょっとイーリスさん!?」
突然のことに困惑しながら、辛くも逃げる水瀬。
「意識がないことをいいことに、何という不埒なことを!」
イーリスはナイフを抜いた。
「えっ?イーリスさんってば!何言ってるの!?」
「この光景を前に弁解するなぁっ!」
「?……あっ!違うってば!違うよイーリスさんっ!」
「何がだっ!」
イーリスはさらに水瀬に襲いかかる。
「二人の下半身を露出させてそのいかがわしい光景を見つめているなんて、どう説明つけるつもりだ!?」
「手術の準備中!」
「手術?」
「ちょっと待て悠理。このシスター、誰じゃ?」
イーリスは意外な言葉に動きを止めた。
見ると、水瀬の他に、小学生らしい小柄な少女と、白いローブをまとった、背の高い男とも女ともつかぬ者が一人、立っていた。
小さい女の子に水瀬が説明する。
「シスター・イーリスさんです。近衛の」
「何?由忠の部下か?」
じっと見つめる少女。
黒い髪に白い肌、大きな瞳。東洋の人形を思い出すその姿は、かなりかわいい。
「イーリスさん。あの、今から手術するから、部外者は出て欲しいんだけど」
「お前、医師免許ないだろうが」イーリスは言い切った。
「療法魔導師は医師同様の手術はそれだけで行うことは出来ない規則だろう?」
「こ、この人に」指さした先にはローブがいた。
「誰だ?」
「知り合いのお医者さん」
「だから、誰だ?」
「ううっ……」
「悠理」小さい女の子がじれたように言った。
「私達には時間がない。その邪魔者を連れて外へ出ておれ」
「は、はい……」
水瀬は、四苦八苦して嫌がるイーリスを連れて部屋を出た。
「いい加減にしろっ!」
部屋の鍵がかかったことを確認した水瀬は、怒鳴るイーリスの拘束を外した。
イーリスが怒る理由は水瀬にもわかる。
仲間内での勝手な行動、つまり、単独行動をイーリスが許さないからだ。
仲間。
怒るのは、イーリスが水瀬をそれでも仲間だと認めてくれている証拠。
それだけに、水瀬は内心、申し訳なさで一杯だった。
「貴様!どういうことだ!?」
「……あの二人は、どうしても明らかにすることができないの……ごめんね?」
そう答える水瀬は泣きそうな眼をしていた。
「そんなセリフで人を納得させることができると、本気で思っているのか!?」
「思ってはいないよぉ」水瀬は困り果てた声で言った。
「でもね?……近衛って、そういうところなんだよ?」
「何?」
イーリスには、その意味がわからない。
「あの二人、近衛騎士団の関係者だというのか?」
「違う。強いて言えば近衛魔導兵団というか――遊撃隊」
近衛魔導兵団は、魔導師によって構成された組織。
魔法騎士も本来はこの兵団の支配下にある。
近衛騎士団を中心とする近衛兵団が表の部隊とすれば、魔導兵団はまさに影の部隊だ。
それだけに謎が多い。
近衛兵団に何年在籍しても、決して魔導兵団の内実を知ることは出来ないとされる程の秘匿される組織。
さらに遊撃隊となれば、イーリスもその名は知っていても、関係者に会ったのは初めてだ。
「……あの二人、魔導師か?」
「それすら答えられない。答える権限すらない。もし、それでも答えたら、僕は殺される。イーリスさんもね」
「……」
イーリスは悟った。
「つまり、関わらない方がいい。そう、いいたいんだな?」
「うん―――ごめんね?あの二人に起きていることについては、イーリスさんの権限では介入できないことだって……それだけは納得して」
「出来るか」イーリスはそっぽを向いた。
「イーリスさん」
「では聞く。何故、お前だけは許されるんだ?それが納得できん!」
「……僕は樟葉さんとは別ルートの命令で動いている。それでわかる?」
「つまり、お前は魔導兵団の要請で動いていると?」
「そういうことにしておいて。本来任務のノインテーターの捜査、バイヤーの殲滅という警察経由の任務は、本当はもう僕の任務じゃない」
「誰がやっている?」
「教養科はイーリスさん。普通科はもう一人、生徒を潜入させたって聞いている。権限消失しているから、誰かは僕も知ることが出来ない」
「つまり、お前の後釜として、私はルーマニアから呼び出されたというわけか」
「そう。それで僕は遊撃隊の任務を執行している」
「任務内容は?」
「答えられると思う?」
「……気に入らないな」
「お仕事だよ」
「……」
「……」
「わかった!」イーリスは、パンッと手を叩くなり大声でそう言った。
「グチグチいっていても始まらない!二人は手術なんだろう?」
「う、うん……摘出手術」
「摘出?」
「これくらいはいいよね?胎内に植え付けられた妖魔の種を摘出して洗浄するの。上条先輩はもう少し厄介だけど」
「……そうか」
イーリスは水瀬から離れた。
「ごめんね」
「いや。こっちこそ大人げなくてすまん」
「くすっ。最近、イーリスさんも日本人っぽくなったね。そうやって謝るあたり」
「……ふん。むやみに謝っているわけじゃない」
「本当に、バカよねぇ」
うららの下半身に手を置いていた小さな女の子……つまり、神音(かみね)が呆れたように呟いた。
「この程度の視覚操作で誤魔化しきれると本気で思っていたのかしら」
「医師である私には何とも答えられませんが」
ローブ姿はエルフのオレアンだ。
「そうね。―――あ、悠理?追い返した?」
「はい。何とか」そう答える水瀬は心なしか元気がない。
「どうしたの?」
「この立場にいると、周囲の信頼なくしやすいなぁって」
「それが水瀬家の宿命よ」神音は言った。
「周囲の信頼ではなく、あくまで上からの信頼を勝ち取るの。わかる?」
「……はぁ。それでおばあちゃん」
「こっちのデカイ女の方の膣内洗浄は終了。肛門の方も一応やっておいた」
「後遺症のようなものは」
「ありません」答えたのはオレアンだ。
「上条先輩は?」
「この爆乳はこれからなんだけど―――オレアン?」
「見て下さい」
オレアンがうららの下半身から薄皮を剥がす。
魔法処理された人工皮膚だ。
問題はその下から出てきたモノ。
「これは……」
「これが、ドムの巣です」
水瀬には、その赤黒いモノがどうみても人間の男性器に思えてしまう。
だが、うららは女性。
普通に考えたら、ありえないことだ。
「これを摘出すべく呼び出されはしたのですが……」
オレアンは患者を前に躊躇している。
「どうしたのですか?」
「後遺症が」
「後遺症?」
「はい。媒体の快楽神経と巣がリンクしていることは以前説明した通りです。問題は、それを外さなければならないことです」
「?」悠理には意味がわからない。
「つまり、どんな負担がかかるかわからないと?」神音が補足するように訊ねる。
「はい。ここまで巣が成長しているとは考えていませんでした。神経を調べたのですが、これはかなりのレベルで神経同士がつながっています。これほどの状態で成功した施術を、少なくとも私は知りません」
「つまり、妖精界ですら誰もやったことがないと?」
「天界も、です。……この者、もう少し様子を見てもらえませんか?このまま枯死させて、神経のリンクが自然と外れるのを待った方が得策です。でないと」
「どうなるの?」
「神経、精神、共に大打撃です。快楽だけを追い求める獣と化すか、快楽を失うか……いえ。廃人、死、どんなオチがつくか、私にもわかりません」
「……成長を止めることも出来ない?」
「その分、枯死が遅れます」
「枯死するまでの時間は?」
「私の見立てでは次の満月に繁殖期を迎えるはず。その時、種を絞るだけ絞れば、確実に」
「巣の中を洗浄して、今、その状態を作ることは?」神音の思いつきに、
「危険すぎます」オレアンは驚いたように答えた。
「巣そのものが自らの役目を終えたと判断せず、奪われたと判断するでしょう。その苦痛が媒体の神経に襲いかかります。単純な生物程度ですけど、それでも本能は強いですよ?」
「枯死を待つしかないですね……」
「それ以外に、安全に巣を摘出する方法はありません」
イーリスが日菜子の部屋へ入ったのは、その日の夜のことだ。
見ると、日菜子が水瀬を締め上げていた。
「殿下」
「待ちなさい。今、水瀬を手打ちにするところです!」
「いえ。―――それをお許しいただきたく、参上したのですが?」
その手にはナイフが握られていた。
二人が激怒している理由は一つだ。
あの請求書だ。
「水瀬?もう一度聞きます。これはどういうことですか?」
「で、ですから―――情報収集、です」
「芹沢白銀の情報は大切だ。それは認めよう」イーリスが水瀬に近づきながら言った。
「だが、壁の修理費も加えて1億近い請求書を送りつけてくるとは何事だ?」
「で、でも!壁は僕のせいじゃないし!あの店員さん、祷子さんにそっくりだから」
「スマイルだけでなんですか!この莫大な金額はっ!」
日菜子も怒り心頭だ。
「あなたに関する一切の費用は基本的に私のポケットマネーから出るんです!近衛とは別会計なんですよ!?あ、あなたはこの金額を私に負担させる気ですか!?」
「に、任務ですよ?」
水瀬も抵抗するが、その声は弱々しい。
「それに祷子さんの笑顔は、心にとっての御馳走っていうか」
「最小経費で最大利益を上げるっていうビジネスの基本を知らないのですかっ!」
日菜子の怒鳴り声はヒートアップする一方だ。
「大体、スマイルなんて笑顔見るだけでしょう!?見たいなら私達のを見せてあげます!なんですか祷子祷子って!見苦しいっ!」
「殿下のおっしゃるとおりだ。我々ほどの美女美少女の笑顔なら満足するだろう?」
「怖いからいいですっ!」
「何ですかその言いぐさは!」
「どういう意味だ水瀬っ!」
結局……。
「薄情ですぅっ!」
「何がですかっ!」
経費は全額、近衛府経理局へ申請し、その許可を得ることで決着した。
「殿下は僕に死ねとおっしゃるんですか!?」
「死ねと命じる権利はあります!」
水瀬がどんなに嫌がっても、悲鳴を上げても、それは上司命令だ。
「あの、栗須殿?」
未だに説教が続く日菜子と水瀬から目を外して、イーリスが栗須に訊ねた。
「その、近衛府経理局とは、それほど申請が通らないのですか?」
「通るはずがありません」栗須はお茶の準備をしながら言った。
「ガメつさでは西の吉○か東の経理局かって位です。イーリス大尉?試しに借金なんて申請してご覧なさい?あなたでも翌日には東京湾に浮きますよ?」
「……無理、ですな」
「無理、です」
ピーンポーン
来客を告げるチャイムが鳴り、対応に出た栗須がすぐに戻ってきた。
「殿下?」
「何です!?もう少しかかりますっ!水瀬っ!ビービー泣いてないで、私の話を聞きなさいっ!」
「あの、お客様です」
「誰です?」
「生徒会長の―――その、妹が」
「クリスさんが?」
「失礼いたします」
入ってきたのは、クリスだ。
顔が青くなっているのは、日菜子が水瀬を締め上げているのを見たからだろう。
「どうぞ」
水瀬を放り捨てた日菜子に椅子を勧められると、一礼して席に座る。
普段の傍若無人な覇気がまるでない。
その理由を知る日菜子は面白そうに言った。
「天敵のお姉さんの前だからって、もう少し楽にしてくださいな」
「恐れ入ります……」ちらと栗須を盗み見た後、クリスは言った。
「風紀委員長村雲舞と書記上条うららの件、無事の発見、ありがとうございました」
「いえ。それは私ではなく、水瀬はともかく、シスター・イーリスの功績です」
「……」
何故か、クリスはそれには答えず、ただ下を向いたままだ。
何かを聞きたくて切り出すべきか迷っている。
そんなそぶりだ。
「どうしたのですか?」
「折り入ってお願いが」
「?」
「この学園の自治を担う生徒会長としてお願いします」
「はい?」
「吸血鬼化した生徒達を戻して下さい。お願いします」
「戻す?」
「はい。……その、普通の人間に……出来ませんか?」
その目にはすがるような光があった。
日菜子は答えた。
「可能ですし、もう準備に入っています」
クリスの顔が明るくなる。
「本当ですか?」
「ええ。―――成る程?吸血鬼化した生徒を元に戻すことで、生徒達に無用な混乱を引き起こさずに済ませたいということですね?」
「その通りです」
「わかりました。経過は理事長経由で生徒会に伝えましょう……それにしても大変ですね。村雲先輩と上条先輩。さらには芹沢先輩。中枢から行方不明3名ですか?」
「私に対立候補がいたら今頃大変なことになっています」
ピーピーピーピー
インターフォンが鳴り響いた。
「失礼いたしました」
栗須が一礼の後、インターフォンをとった。
「はい。312号室―――あら……はい。はっ?」
「先輩達は今、部屋でお休みでしたっけ?」
「はい。すでに保健室から寮へ移送されています。先程、目を覚ましたので水瀬の立ち会いで面会してきましたが……また、肝心の記憶が」
「報告は受けましたが……上条先輩が行方不明になったと思ったら、まさか村雲先輩までとは、正直驚きましたが一安心ですね」
「白銀が裏で糸を引いているのは間違いないと思います。何しろ三角関係ですから」
「え?」
クリスの口からなんでもないという顔で出た言葉に、日菜子は思わず固まった。
「三角関係……ですか?」
「はい」
クリスは紅茶に手を伸ばしたかと思うと、ほとんど一気飲みした後、クッキーをパクつきながら言った。
「ようするに、年頃の女子にありがちな同性愛関係。……女子校によくあるアレです」
「み、みなさん、そういう?」
日菜子が赤面しながら続きを促した。
「少なくとも、白銀は真性のそれです。まぁ、舞とうららは幼なじみの友情以上のちょっとって感じですか」
「それじゃ、芹沢先輩は」
「ええ。昔っから白銀が舞にちょっかい出していたのは、二人の関係が面白くないからです。昔からいざこざが絶えたことがありません」
ケーキをぱくつきながらクリスは続けた。
「しかも舞はあの通り、周囲からモテるタイプですから、余計」
「なるほど」
パカンッ!
「あいたっ!」
突然の脳天チョップにクリスがたまらず悲鳴をあげた。
後ろから近づいてきた栗須の一撃だ。
「こら、アリス?食べ過ぎ」
「ううっ。姉さんのイジわる」
「あら?クリスは、父方の姓でしたっけ?」
栗須は憮然としたままメモを日菜子に渡した。
「はい。離婚しても母がクリスを名乗り続けたので、父に引き取られた私がカタカナでクリス姓。母に引き取られた姉が栗須姓を名乗っています」
「……」
それが日菜子に聞こえていたかはわからない。
メモの中身。
それは上条うららのメイドからの連絡内容。
「水瀬。イーリス」
その声色は部下を指揮するそれだ。
「はっ」
「ぐすっ……はい?」
「上条、村雲両先輩への現在の対応は?」
「発信器を装着させ、メイド隊の監視下にあります」イーリスが即答した。
「メイド隊と連携し、速やかに二人を確保しなさい」
「まさか」
イーリス、水瀬、クリス……三人が強張った顔で日菜子を見た。
「先輩達が姿を消しました」
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