統べる力

「クススッ……おいしそう」

 

 いつの間にいたのか。

 

 ドアの前で立ちふさがるように女子生徒が立っているのを、日菜子は背筋が寒くなる思い出見た。

 

 制服は普通科生徒のそれ。

 あばた顔が血に飢えて歪んでいた。

 

「ねぇ……本当に高貴な人の血って、おいしいのぉ?ねぇ……味見させてよぉ」

 

「……くっ!」

 

 日菜子は走りかけて足を止めた。

 

 どこへ逃げればいいというのだ?

 

 逃げ場なんて、ない。

 

「リボンが青ってことは中等部ね?」

 煙の向こうから、声の主が姿を現した。

 普通科生徒が3人、そして教養科生徒が1人。

 リボンから高等部の生徒。

 彼女が頭らしい。

「―――お返事は?」

「……そうです」

「先輩、しかも種としても上の方に御下問されたら素早く答える。よろし?」

「なぜ、あなた達は吸血鬼になんか」

「わからない?」

 教養科の生徒は、うっとりとした声で言った。

「この若さを保つため。そして―――」

 彼女は、足下に転がるレミントン神父の亡骸を鷲掴みにして片手で持ち上げた。

「こんなオヤジ共の道具にならないためよ」

「道具?」

「そう。私たち女は、どんなことしても、オトコの道具にされる。仕事の、性の、そして全ての……生まれて死ぬまで。愛する相手、結婚相手まで、全部をこんな汚らしいオヤジ達に定められ、逃げることも出来ず、それに従って生きる」

 

 彼女は、神父の亡骸を一瞥すると、汚らしいといわんばかりに放り投げた。

 

 ぐちゃっ

 

 いやな音を立てて神父の亡骸が床に落ちた。

 

「―――私は、私たちは、そんな人生がイヤだった。だから神にすがった。そして、この身体を手に入れたのよ……永遠に老いることのない、美しさを保ち続ける身体をね」

「そんなことをして……」

「あなたみたいな、高貴な血を持つなら、逆にわかるんじゃない?」

「知りません!」

 日菜子は叫んだ。

「好きでこの階級に生まれてきたわけではありません!何一つ自由にならないことばかりです!ですけど、それでも私は私であろうって、生きています!そこから逃げたあなた達とは違うのです!」

「―――逃げた?あなた、私たちをバカにする気?」

「あなた方は楽へと逃げたのです!人生の苦難から逃げて、楽だと思ったからそんな身体になった!そうでしょう?人として恥を知りなさいっ!」

「いってくれる!」

「!!」

 突然、彼女達の爪がカギ爪のように伸びた。

「可愛く命乞いでもしてくれれば、仲間にだってしてあげたのに。……もう殺す」

 ヒヒヒッ

 ヒヒッ

 ヒヒヒッ

 ヒヒッ

 取り巻きだろう普通科生徒達の目にも、残虐な光が宿っているのがわかる。

「―――犯しながら殺してあげる。楽しいわ。あなたが血まみれの臓器をまき散らしながら死んでいくのを、犯しながら見る事が出来るなんて」

「私を殺すことなんて出来ません!」

 日菜子も覚悟を決めた。

 魔法騎士ではない。

 だが、日菜子も騎士の身体を持つ身だ。

 十分な訓練を受けたわけではない。

 だが、吸血鬼が騎士同様の身体能力を持つといえど、なんとかそれに追いつくことは出来るはずだ。

 

「試させてよ」

 そう言うと、彼女たちは爪を光らせ、一斉に動いた。

 自分を串刺しにするつもりなのは、日菜子にもわかる。

 だが―――

 

 ギャッ!!

 ガァッ!!

 

 吸血鬼達は、目に見えない力にはじき飛ばされ、床に転がった。

 

「なっ!?」

 

「だから言ったでしょう?私を殺すことなんて出来ませんって」

 それは日菜子の強がりだ。

 

 “統べる力”

 

 それが日菜子の力。

 

 騎士達を統率し、己の支配下におくことが出来る特殊能力。

 この力の前に、騎士達は為す術もなく、その気になれば一般人をも支配下における。

 天皇家、ヴァチカン、聖導皇家(せいどうこうけ)をはじめ、世界の伝統的支配階級にある者達の力。王家貴族の存在を裏付ける原動力。

 一種の対人脳波コントロールに近い能力であり、普通は本来の目的以外で使用されることはない。

 日菜子はこの力を皇族三姉妹の中で、いや、一説には歴代天皇の中で最も強く持つからこそ、次期皇位継承権第一位を持つ。

 その日菜子ほどの力となると、コントロール出来る対象は人だけとは限らない。

 それに日菜子が気づいたのは、ほんの偶然からだったのは事実だ。

 “統べる力”

 それは空間へ干渉し、空間を変形させる力にもなるのだ。

 “空間干渉能力”

 専門的にはそう呼ぶ力。

 魔法騎士達の絶対魔法防御のような全身をカバーするほどの強力かつ広範囲な力こそないものの、このように襲ってきた敵を阻止する程度なら、十分に役立つ。

 

「―――やってくれるじゃない」

 立ち上がった教養科生徒は、楽しそうに言った。

「入り口を塞ぎなさい。見た所、力は強いけど、そうはもたないでしょうからね」

「!!」

 

 そう。

 

 それが問題だ。

 この応用技は、防御であって攻撃ではない。

 しかも、常に展開することは出来ない。

 日菜子が出来ること。

 それは、襲ってくる敵をはじき返すだけなのだ。

 しかも―――

 

「魔法も長時間の使用は出来ないわ。このまま消耗を待ちましょう」

 

 “統べる力”は魔力より消耗が早い。

 逆らう者を取り押さえる力といっても過言ではないのだ。

 日菜子はドアを目指した。

 だがそこはすでに吸血鬼と化した普通科生徒達で塞がれている。

 退路がない。

「ど、どいてください」

「イヤよ」

「イヤ」

「ゴハンが逃げちゃうじゃない」

 

「―――くっ!」

 日菜子はポケットから拳銃を抜いた。

「銀の弾丸は痛いですよ!?」

「それは怖い」

「っ!?」

 

 しまった!

 そう思った時は遅すぎた。

 前方の普通科生徒達に気を取られ、背後がおろそかになっていたのは、あきらかな日菜子の失点だ。

「きゃっ!」

 腕をねじ上げられ、床にねじ伏せられた。

「痛っ!」

「あら?接触した相手にはあの力は出せないのかしら?……それにしても、ふふっ。さすがに高貴なお方は違う。こんな物騒なモノをお持ちなんて」

 教養科の彼女は、日菜子の手から拳銃を取り上げた。

「犯して犯しぬいた挙げ句、トドメはこれで刺してあげましょうか?」

「―――くっ!」

「あらあら?そんな怖い目でにらみ返して。何?手足の骨、へし折ってあげようか?それとも引きちぎられる方がお望み?」

 

 関節をきめられているせいで身動きがとれない。

 日菜子は、その先に待っている運命を考え、慄然とした。

 

 地位も

 生まれも

 日菜子が持っている全てが

 

 彼女の命を保証してはくれない。

 

 今の日菜子は、“ただの”女の子に過ぎないのだ。

 

「あっ……あっ……」

 無為。

 無力。

 それが日菜子を恐怖させた。

 

 

「ふふっ……あら?もうおびえだしたの?……よく見れば、あなたかなり可愛いわね。たっぷり犯してあげるからね?」

「……ひっ!」

 日菜子の耳に走る女の舌に日菜子は小さく悲鳴を上げた。

 

 勝ち誇った相手の目。

 それに、自分は何も抵抗することが出来ない。

 頬を撫でられる嫌悪感にもどうすることも出来ない。

 

 誰か……

 

 日菜子は心の中で叫ばずにはいられなかった。

 

 誰か、助けて!!

 

 それは、皇族という地位を離れた一人の女の子としての日菜子の叫び。

 誰に届くこともないことは、日菜子自身が一番よく知っている。

 それでも、叫ばずにはいられない、心の叫び。

 

「さぁ?服を脱がしましょうか?」

「いっ、嫌っ!」

 日菜子を強引に引きずり倒し、教養科の生徒が日菜子に馬乗りになってそのブラウスに手をかけた。

 

 嫌だ。

 こんなの嫌だ。

 助けて。

 

 恐怖のあまりつむった瞼の向こう。

 

 そこには、自分を守るべく戦ってくれた少年の姿があった。

 

 私にとって唯一の自由。

 

 それを、与えてくれる、あの頼りない少年―――

 

 少年は私に約束してくれた。

 

 『呼んでいただければ、助けに参りますよ?』

 

 その思いが、日菜子の口から叫びとなって飛び出した。

 

「み、水瀬ーっ!!」

 

 

 その叫びは届かないだろう。

 それでも出た言葉。

 それは、私の一縷の希望。

 かなわぬ希望。

 

 だが―――

 

 

 

 

 

「なっ?―――ぎゃっ!!」

 

 

 

 

 凄まじい風を切る音と共に、馬乗りになっていたはずの女子生徒の姿が消えた。

 

 

「―――えっ?」

 

 恐る恐る瞼を開ける。

 

 その先にいたのは、吸血鬼ではなかった。

 

 

 銀色の髪をツインテールにした小柄な女子生徒。

 

 日菜子が心の中で最も信頼する大切な少年。

 

 日菜子の大切な、騎士―――

 

 その少年が振り向いて言った。

 

 

「お呼びになりましたか?殿下?」

 

 

 

 

 水瀬だった。

 

 

 

 

 

 

 

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