ヴァチカン、壊滅
「片づきましたか?」
「はっ。敵の存在は認められません」
イーリスは最敬礼の姿勢で日菜子にそう報告した。
「イーリス?あなたに被害は?」
「ございません」
「何よりです」
やんわりと笑みを浮かべつつ、日菜子が言った。
「ご苦労様でしたイーリス。引き続き、室内の捜索を続行してください」
「はっ!」
「―――さて?シスター・マリア?」
「はい?」
どこかほっとした表情のシスター・マリアが突然の日菜子の言葉に驚いたように答えた。
「何かございましたか?」
「ここは危険なようです」
「そのようですね。あのような悪魔が出てくるなんて―――」
「そこに生徒がいます」
日菜子は、シスター・マリアの言葉を遮るように言った。
「はっ?」
「教会とはいえ、この華雅女子学園の関係者である以上、あなたには生徒を守る義務がおありのはず……違いますか?」
「まぁ……そう、ですね」
「では、安全な所まで生徒を誘導してくださいませ」
「わかりました。それで?その生徒とは?」
「私です」
ニコリと微笑みながら答えられたシスター・マリアは、口の端を少しだけ引きつらせた後、頷いた。
「では、安全な場所にご案内します。殿下」
「はい。では、イーリス。後を任せます」
「御心のままに」
水瀬は、シスター・フェリシア達、つまり、メトセラ教団の教会「アリアハン教会」の前に立った。
昼間、こうして見直すと、改めてそのボロさがわかる。
「フェリシアさん達、苦労してきたんだろうなぁ……あれっ?」
入ろうとしたら、教会正面のドアが閉じられ、ご丁寧に鍵までかかっていた。
「?」
外出中かな?
一瞬、そう思ったが、教会内からは人の気配がする。
数は10を越えている。
しかも、全員が全員、普通の人間ではない。
「……」
水瀬はドアから離れ、侵入ルートを確保すべく、教会の裏手に回った。
歩いていてわかった。
外にも人がいる。
背後から近づく気配は1、その後ろ、建物に狙撃手3
何者か知らないが、かなりの戦力を出している。
水瀬はあえて気づかないふりをして、狙撃手達からは死角になる教会裏手のドアに手をかけた。
「何をしている?」
その途端、声をかけられた水瀬が振り返ると、そこにいたのは作業着姿の男。ただし、サングラスをしている。
見るからに怪しい。
よく不審者として通報されなかったものだ。
水瀬がそう思った途端、男の手が動いた。
左手で口元を覆い、右手にもったスプレーが水瀬を襲った。
「!!」
倒れるような姿勢で瞬間的に移動し、膝の動きだけで飛び跳ねた水瀬の一撃が男の延髄を蹴り上げた。
男は声も上げずに倒れ伏す。
油断といえば油断だが、この男だって、よもや女子生徒からこんな攻撃が来るなんて思いもしなかったに違いない。
男をこのまま放置すれば、それだけで騒ぎになる。
「重い……」
ドアの鍵はかかっていなかった。
水瀬は男を屋内に引きずり込むと、ドアを閉め、鍵をかけた。
「催眠スプレー―――えっと?免許証なし。財布は―――諭吉様が10枚。他にはナイフと―――拳銃か。予備弾倉は―――これね」
手近にあったビニール紐で男を縛り上げ、男の財布の中身を自分のポケットにねじ込んだ水瀬は拳銃を手にした。
「M-92F……えっと?」
シャカッ
弾倉(マガジン)を確かめた水瀬の目に飛び込んできたのは、見慣れた種の弾丸だった。
「対妖魔特殊加工弾―――ヴァチカンかな?」
え?
ただ口から出た言葉に水瀬の思考がひっかかった。
ヴァチカン?
待ってよ?
シスター・フェリシアは言っていたよね。
ヴァチカンはメトセラ教団に介入しないと。
それなのに、今ここにヴァチカンがいるって、どういうこと?
ここはメトセラ教団の縄張りだ。
そこへ武装してヴァチカンの勢力が近づいている。
いや違う。
武装して入り込んでいるんだ。
正面のドアはシスター・フェリシアによって閉められたんじゃない。
ヴァチカンによって閉められたんだ。
まずい。
ヴァチカンが強硬手段に出たということだ。
目的のためには手段は選ばない。
約束事なんて無視して、とにかく目的を果たすことだけを考える。
正義を執行すること。
それだけが彼らの大義だと、座学で聞いた覚えがある。
つまり、厄介な連中だ。
その彼らが動いたんだ。
床に転がっていた小さな石を無理矢理銃身の中程まで詰め込んだ水瀬は、拳銃をホルスターに戻してその場を離れた。
どうにも建付(たてつけ)が悪いらしい。
軋(きし)むドアを苦心して音を立てずに開いた水瀬は、なんとかドアを抜けた。
水瀬が入り込んだのは、倉庫として使われている部屋らしい。
ドアを開けた先は礼拝堂。
ステンドグラスが室内を幻想的な輝きで照らし出していた。
先ほど、ドアの向こうで感じた人の気配が消えている。
「シスター・フェリシアは?」
外部からの狙撃を避けるべく水瀬は体勢を低く、なるべく壁側を小走りに進んだ。
「いた」
シスター・フェリシアは入り口近くの長いすの下に倒れていた。
「こういう時、チビって便利なんだよね」
長いすの影に隠れるようにシスター・フェリシアに近づいた水瀬が、その肩に触れた。
見る限りの外傷、出血は、ない。
「シスター・フェリシア」
声をかけても返事はないが、強く肩を揺すると、弱々しくだかうめき声が漏れる。
生きている。
よし。
神父達の目的はわかりきっている。
水瀬が地下礼拝堂への入り口である説教壇に目を向けた途端、地下が動いた。
連続した鈍い銃声。
爆発音。
そして、沈黙。
「……」
水瀬は、長いすの並ぶ中を、一気に説教壇まで走り抜いた。
はぁ―――はぁ―――はぁ―――
血と硝煙の臭い。
それが、嗅覚でわかる礼拝堂のすべて。
神聖なはずの礼拝堂。その床に倒れる血まみれの肉塊達―――ついさっきまでの同僚達。
それが、視覚でわかる礼拝堂のすべて。
目の前に立つ“そいつら”の存在そのものが発する“恐怖”。
それが、心でわかる礼拝堂のすべて。
シスター・フォルテシアのわかることは、それで全てだ。
―――なっ。何故?
シスター・フォルテシアは自問した。
装備は万全。魔法騎士4、武装兵10
日本で我らが動かせる兵力でも最高レベルが揃っていた。
それなのに、何故?
シスター・マリアがミサを行う地下礼拝堂を捜索、必要に応じて制圧。
それだけだったのに。
単なるミサの場のはずなのに。
何故?
何故、“あんな奴ら”がいるの?
いえ。
違う。
“あんな奴ら”のための我らだ。
今までだって何度も戦い、そして勝利してきた。
仲間だってそうだった。
たった6つだ。
たかが6体だ。
たいしたことはないはずだった。
それなのに―――
ありえない。
私たちが、負けるなんて。
「どうしたのです?」
シスター・フォルテシアの自問を遮るように、声がかけられた。
数メートル先。
一歩の跳躍にすぎない間合い。
そこに“奴ら”がいた。
全員が女だ。
いや、女だった―――そういうべきだろうか?
何人かは床の血肉を貪っている。
皮膚が肉ごと食いちぎられ、臓物が引きずり出される。
正視に耐えられる光景ではない。
「宴の生け贄をお持ちいただき、これでも感謝しているのですよ?」
歳の頃は16.7だろう制服をまとった女が言った。
「それなのに、お返事もないなんて」
冷たい。どこまでも冷たい、女の残虐性がにじみ出た声。
背筋が寒くなった。
「シスター?何をそんな所で?―――ああ。さっきの爆発で吹き飛ばされたんでしたっけ?」
「だっ!黙りなさいっ!!」
シスター・フォルテシアは床に転がっていた自分の霊刃を掴んだ。
「神の名において、あ、あなた達のような、バッ、バケモノをっ!!」
「声が震えてますよ?」
声の主は足下に転がっていた“それ”を掴んだ。
「ほら?美味しそうな血……聖職者の血って健康によさそう」
それはシスター・フォルテシアの仲間の骸(むくろ)の一部。
かぎ爪の一撃で粉砕された魔法騎士の―――首。
うつろな目をした首を鷲掴みにした女が、傷口からしたたる血を旨そうに飲む。
「ああ美味しい―――殿方の血でこれなんですもの」
女は首を乱雑に床に投げ捨て、彼女の仲間があらたな御馳走にむしゃぶりついた。
まさに地獄の光景が、シスター・フォルテシアの目の前で繰り広げられていた。
「!!悪魔がっ!!」
シスター・フォルテシアは怒りに任せて立ち上がろうとした。
爆発に吹き飛ばされたという相手の言葉は本当だ。
殺された仲間が携帯していた爆発物が攻撃によって誤爆したのがその理由だ。
衝撃で頭を打ったせいで立ちくらみが起きるが、それでもシスター・フォルテシアは立ち上がり、そして叫んだ。
「地上における神の執行代理人!ヴァチカン第十三課の名誉にかけて!あなた達を!」
パンッ
礼拝堂に鈍い音が響いた。
「?」
鈍い衝撃と痛みが右の太股に突き刺さった。
ダマルティカに穴が開き、そこから赤い液体がこぼれ落ちる。
血だ。
「はい。撃ちました―――いけない。あなたが撃つんでしたっけ?」
そういう女の手には、拳銃が握られていた。
「ヴッヴァァァァァァァァァァァァァァッッッッ!!」
足を抱え、床をのたうち回るシスター・フォルテシア。
「グッ、きっ、貴様ぁ!!」
その双眸からは戦いと憎悪の意志は消えてはいない。
「殺す!殺す殺す殺す殺す殺すぅぅぅっっ!!神の裁きを受けよ!偉大なる神に―――ヴァチカンに逆らう外道共がぁぁっ!!」
「まぁ怖い」
パンッ
パンッ
パンッ
銃声が響き渡った。
「怖いから、撃っちゃいました」
女はそういうと、銃を床に捨てた。
「シスター・フォルテシア?まだ神の元へ逝くのは早いですわよ?」
「ヴッ……ヴッ……ガハッ」
「何ですか?お腹と頭は外してあげたのに」
女は不満そうに呟いた。
「手足だけですよ?それなのに、もう死ぬ気ですか?」
つまらない。
痛みのあまり意識が保てないシスター・フォルテシアのぼんやりとした目には、女の口がそう動いたように映った。
女が近づいてくる。
でも、私には何も出来ない。
手足が動かない。
痛みで精神が集中できない。
魔法騎士といえど、これでは致命的だ。
悔しい。
シスター・フォルテシアは零れる涙をそのままに相手を睨み付けた。
神のため。
そのためにヴァチカンへ
第十三課へ
そして
ここへ来たのに
ああ。
あいつが近づいてくる。
神の敵
忌まわしき存在
私の
私たちの
神の
敵
その敵の汚らしい手が、私の胸ぐらを掴み上げた。
十三課の一員として、死なぞ恐れてはいない!!
いないんだ。
…………
……
いやだ。
死にたくない。
まだ、恋もしていない。
映画で見たような素敵な恋をしたい。
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。
それなのに。
ああ。
牙が近づいてくる。
あの牙が、私に引導を渡してくれる。
望んでもいない引導を。
もう、だめだ。
願わくば、
せめて、人として死ねますように
かなうお願いは、そんなものだろうか?
シスター・フォルテシアの意識は、そこで途絶えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます