水瀬の(経済的)暴走
「ここは?」
「閉鎖空間の中です」
「閉鎖空間?―――話には聞いていましたが、成る程、こういう部屋なのですか?」
「作りは―――いろいろかと思いますが」
日菜子は、目の前にいるシスターに気づき、一礼した。
「これはシスター。ご機嫌よう」
「ご機嫌よう」
「シスターはここのご関係で?」
「関係?いいえ?シスター・イーリスがここに入られたので私も」
「成る程?」
チラリと見たイーリスは、いつの間にか、丁度シスター・マリアと日菜子の間、いわば日菜子の楯となる位置にいた。
「イーリス?それであなたは?」
「はっ。理科棟地下に閉鎖空間を発見。不審なものがないかを」
「ありましたか?」
「現在、捜索中です」
「そうですか。―――生徒が行方不明になる事件が多発しています。存分にやりなさい」
「御意」
イーリスは一礼すると、残ったドアを蹴破った。
「あっ!そこは!」
シスター・マリアの警告は遅かった。
「?」
そこは暗闇の空間。
ドアが蹴破られた途端、ドッと室内に魔素が流れ込んできた。
しまったと舌打ちしたときには遅かった。
「殿下!」
イーリスはドアから飛び下がると、日菜子をかばうように前に立ちはだかった。
「魔素反応です。お下がり下さい」
「そういえば、水瀬は?」
「存じません」
「もうっ。主君が危険だというのに、そばを離れるとは……大幅減俸ですね」
「ご随意に」
「シスター・マリア?」
「はい?」
「怖くないのですか?」
日菜子の突然の言葉に、驚いたようにシスター・マリアは声色を変えた。
「怖いもなにも……何が起きているのかわかりません」
「―――そうですか。もしもの時は、力をお貸しいただけますね?」
「はっ?そ、それは―――」
「貸していただけますね!?」
有無を言わせぬ皇女の迫力というか押しの強さに、シスター・マリアは思わず答えてしまった。
「はっ。はい」
「では、ここに来て下さい―――この国の皇女として命じます。逃げることは認めません」
シスター・マリアを一瞥もせず、日菜子は口元だけ笑って見せた。
「イーリス。損害無視。私もシスター・マリアも気にすることはありません」
「感謝致します」
グウォォォォォォォッ
「―――来ます」
抜かれたナイフが光を放ち、闇から伸びる影に牙をむいた。
「ううっ……痛たたたっ」
「大丈夫かね?」
廊下でノビていた水瀬を助けたのは、生物学教諭牧野太郎だった。
ちなみに生徒からのニックネームは“マッキー”だ。
……どうでもいいか。
「な、なんとか……」
頭がズキズキする。
イーリスさん、やっぱり歳誤魔化してるな。あれ。
絶対そうに違いない。
あ……ウィッグは―――無事か。
よかった。ズレてない。
「何だろうな。壁が崩れて破片が当たったにしては変だ」
何だかズレまくる水瀬の思考をよそに、牧野は崩れた壁に不思議そうに触っていた。
「人災です。完っ璧な人災です」
そういう水瀬は、先ほどイーリスの足が飛び出してきた壁を向いていた。
閉鎖空間に通じる空間のひずみはキレイに消え去っていた。
つまり、空間同士のリンクが切れている。
もう一度、繋がない限り、ここと部屋との行き来は出来ない。
空間を操作している者がいる?
誰だろう?
それに、どことつながっていたんだろう?
「人災?」
そろそろ定年という牧野が、水瀬の一言に怪訝そうに首を傾げた。
「どういうことだね?」
「いろいろあるんです。―――あっ。壁の修理費は、教会のシスター・イーリスに倍額で請求書を回してください」
「え?いいのかね?」
「問題ありません。差額は私に下されば」
「そうはいかんだろう。とにかく、シスター・マリアの方だね?」
「イーリスです。今度赴任してきた。あのシスターフェリシアのいる教会の」
「ああ。普通科の方かい?シスター・マリアかと思ったよ」
「……シスター・マリアは、よくこちらへ?」
「ああ。彼女は植物学で博士号を持っているほどのエキスパートだ。私も随分教えてもらっている」
「えっと、牧野先生ですね?後でお話、うかがってもよろしいですか?」
「ああ。―――ん?そういえば授業中ではないか。君、何をしているのかね?」
水瀬は一目散に牧野の前から逃げ出した。
水瀬は考えた。
もうあの部屋へしばらく近づけない。
イーリスさんがいるし、殿下まで僕を忘れていったということは、僕は必要ないってことだ。
……ぐすっ。
泣きそうになったけど、男の子はくじけてはいけない。
祷子さんがそういっていたから、絶対に間違いはない。
そうだ。
泣いたら祷子さんにしかられてしまう。
よし。
落とし前は殿下とイーリスさんにつけてもらおう。
うん。
グッドな考え。
少しくらいブラックでいいよね?
情けない役はお休みだ。
殿下が傷つけば、それはイーリスさんの責任。殿下の自己責任。
僕のせいじゃない。
状況からして、僕は殿下から護衛を外されたようなものだ。
誰に文句を言われる覚えもない。
殿下が側にいない!!
あーっ。開放的だなぁ。
―――さて。
他を探すことにしよう。
って、どこを?
そこで水瀬は考えた。
現状は?
村雲先輩と上条先輩が行方不明。
芹沢先輩が単独調査中。ただし、所在不明。
殿下は、芹沢先輩を捜せという。
芹沢先輩?
そういえば―――
昨日のイーリスさんからの報告、芹沢先輩について触れていたっけ。
えっと―――?
シスター・マリアと接触していた。だったよね。
シスター・マリアと?
シスター・マリア
シスター・マリア
…………
………
……
あそこ?
でも、あそこは普通科生徒が。
でもなぁ。
あっ。そうだ。
水瀬は踵を返し、そのまま相談室へ向かった。
「いらっしゃいませ」
「つゆだく特盛り持ち帰りで!」
走ってきたせいで息を切らせた水瀬が思わず言ってしまった。
「―――はぁ?」
店員の笑顔が少しだけゆがんだ。
「じゃなくて……えっと……探している人がいます。安くしてください。たしかスマイル0円ですよね?」
「申し訳ございません。当店のスマイルは100万円でございます」
どういうスマイルかはあえて聞かず、水瀬はメニューを手に店員に注文した。
ちなみに、メニューの主な所は以下の通りだ。
所在確認 お一人様 100万円〜
身元確認 お一人様 500万円〜
身元保証 お一人様 1,000万円〜
スマイル 一回 100万円〜(時価)
アリバイ調査 300万円〜
※詳細は店員にお尋ね下さい。
※暗殺・諜報・誘拐活動、喜んで承ります(費用別途相談)
※上記金額には消費税が含まれております(課税率5%)。
※ローンは安全信頼のボッタクリローンへ(年率●%〜)
「掛けでお願いします。請求先は中等部の春菜内親王宛、不足分は教会のシスター・イーリスに。代行は私で」
水瀬はそういって生徒証を店員に渡した。
依頼内容は簡単だ。
ここ一週間の芹沢白銀の24時間の居場所の追跡調査。
その結果により、芹沢白銀が立ち寄る場所のピックアップ。
これだけだ。
だが―――
「では、料金は3,500万円になります。お時間10分少々かかります。商品をお持ちしますので、番号札を持って、そちらでおかけになってお待ち下さい」
3,500万円。
水瀬は少しだけ、支払いを掛けにしたことを後悔した。
この金額を、殿下とイーリスさんが知ったら、どうするだろうか。
どうやって説明すればいいんだろうか。
しかも、
“営業スマイル15回 1,500万円”
問題はこれだ。
だってしょうがないじゃない。
水瀬は自己弁護してみることにした。
だって―――
あの店員さん。
やたらと祷子さんに似ているから……
誰も聞いていないことに気づき、水瀬は自己弁護を止めることにした。
もうどうにでもなれ。
どうせ、これが終われば路上生活だもの。
怖いものなんてない。
そう覚悟を決めた時だ。
「お待たせしましたぁ」
店員が書類を持ってきた。
「あ。ありがとう」
「ごゆっくりどうぞ」
店員のスマイルを見た後、水瀬は満足そうに資料に向かった。
スマイル、一回浮いた。
ちらと請求書をみたら、金額が3,600万円になっていた。
一方、知らずに借金を背負いまくっている人々は妖魔と戦っていた。
「ええいっ!!」
ザンッ!
人型妖魔の懐に飛び込んだイーリスのナイフが相手を切り裂く。
これで10体目。
イーリスの切り裂いた妖魔を隠れ蓑にするように一体がイーリスに接近、その爪を振り下ろす。
右へ飛び、その一撃を避けたイーリスは、魔法の矢で相手の頭部を吹き飛ばして黙らせる。
これで11体目
イーリスはちらと背後を確認した。
殿下とシスター・マリアは無事。
だが、いつまでもこんな所で足止めを喰らっている場合じゃない。
なにより、殿下の玉体に傷でもつけたら―――。
12体目にイーリスは斬りかかった。
「へぇ?」
一方、水瀬はのんびりお茶を飲みながら書類に見入っていた。
データはここ一週間の芹沢白銀の居場所をほとんど把握している。
本当に、どうやって把握しているんだろう。
水瀬は知りたくてウズウズしだした。
「まぁ。上位の白銀寮と教室、委員会室はわかるよなぁ……でも」
水瀬が注目したのは、その次だ。
「聖マリア教会付近……どこそれ?……え?あの礼拝堂の辺り?……シスター・マリアに接触していたのかな?―――あっ。すみませぇん。コーヒーおかわり!」
コーヒーの請求書が増えた面々は、まだ戦っていた。
イーリスが前面で敵をなぎ払っていたものの、いかんせん数が数だ。
魔法の矢が槍襖(やりぶすま)となって妖魔達に襲いかかり、一瞬のうちに敵を殲滅する。
その背後からはぞくぞくと妖魔が現れ、それをイーリスが魔法で攻める。
それが何度となく繰り返されていた。
その最中(さなか)―――
「シスター・マリア」
日菜子はシスター・マリアに訊ねた。
「なっ、何です?」
あまりといえばあまりの光景のせいか、シスター・マリアの顔が引きつっていた。
「シスターとして、あの敵を殲滅する方法はないのですか?」
「さっ、さあ?神にすがるしかないか―――と」
「じゃあ。お祈りして神様の力を与えて下さい。あの者達がもう現れませんようにと」
「え?」
「手駒が減るのは困りますから」
手駒ということばに妙に力を込めた日菜子はにやりと笑ったが、それをハイソの子女が常に浮かべている笑みと判断したシスター・マリアは、頷くとロザリオを握りしめ、声高らかに聖書の詩編を唱え始めた。
主よ、私の祈りをお聞き下さい。
嘆き祈る声に耳を傾けて下さい。
あなたのまこと、恵みの御技によって
私に答えて下さい。
あなたの僕(しもべ)を裁きにかけないで下さい。
御前に正しいと認められる者は
命あるものの中にはいません。
敵は私の魂に追(お)い迫(せま)り
私の命を地に踏みにじり
とこしえの死者と共に
闇に閉ざされた国に住まわせようとします。
「詩編第143編―――でしたっけ?」
誰に聞くわけでもなく、日菜子はひとりごちた後、声高らかに歌い上げた。
勇士よ、腰に剣を帯びよ
それはあなたの栄(さか)えと輝(かがや)き。
輝(かがや)きを帯びて進め。
真実と謙虚と正義を駆って。
「詩編45編より―――でしたよね?ねぇ?真由……さて。イーリス」
ふと、この一説を教えてくれた親友の顔が浮かんだ。
“騎士を鼓舞するのに使えるでしょう?”
“私、神道だよ?”
“……”
本当に、ズレた子だったな……。
その結果。
シスター・マリアと日菜子とどっちが力を発揮したのかはわからない。
シスター・マリアかもしれないし、日菜子かもしれない。
どっちも効かなかったかもしれない。
もしかしたら、もとからそうだったのかもしれない。
あるいはイーリスに恐れをなしたのかもしれない。
闇から妖魔が現れることは、もうなかった。
「あれ?そういえば」
コーヒーに口をつけた水瀬の手が止まった。
そういえば、あの晩、シスター・マリアは言っていたっけ。
『生徒さんが一人、悩みがあるとのことでしたので、懺悔室で相談に乗ってあげていましたの』
深夜零時の懺悔?
相手について深く考えなかったけど……零時に礼拝堂?
普通科生徒じゃ無理だ。
だけど……
夜中に理科棟に姿を隠したうららの件もある。
何故僕は普通科生徒だけがシスター・マリアの相手だと考えたんだろう?
あの教会の地下礼拝堂でのミサを誤魔化すための方便と思っていた。
だけど―――
あの言葉が「本物」だとしたら?
本当に、あの礼拝堂の懺悔室に生徒がいたとしたら?
辻褄は合う。
僕は考えすぎていた。
情報に踊らされていた。
全部が全部、関係ある生徒が普通科生徒である必要はなかったんだ。
僕はシスター・マリアのいう「生徒」を見誤っていた。
「生徒」が、芹沢白銀その人だとしたら?
無理はない。
全部がつながる。
深夜零時の礼拝堂
白銀寮から数分の距離
抜け出しさえすればすぐだ。
メイド達の警戒網にひっかからない抜け道が一本あれば、それで十分。
少なくとも、うららはその道(方法)を知っていた。
他の生徒が知らない理由は、ない。
その中に芹沢白銀がいることは容易に想像がつくし、自然だ。
問題は、そこで何が行われていたかだ。
現場に行こう。
わかることがあるかもしれない。
そういえば、大事なこと、忘れていた。
いけない
いけない
これは必要経費だもんね。
殿下は、芹沢白銀を探せとおっしゃった。
だったら、ターゲットの情報を知るのは当然のこと。
だから、必要経費だもんね。
ついでだ、あの件も調べちゃおう。
経費で。
席を立つと、水瀬はカウンターに立った。
「すみません」
「ご注文は?」
「芹沢白銀の個人情報と、上条うららとの関係について情報を下さい。それと、スマイル5回とコーヒー下さい」
「―――合計で5563万890円です。支払いは掛けでよろしいですか?」
水瀬曰く「祷子さんそっくり」な美人店員のとろけるようなスマイルをみつめる水瀬が答えた。
「おねがいします」
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