支配する者と隷従する者
「嘘つきぃ……舞さんには……ヒグッ……舞さんにだけは……言わないって……」
室内に、うららの嗚咽が響く。
「だから……だから私……」
「フンッ。いいこと?うらら」
白銀は乱暴にうららのあごを捉えると、その耳元でささやいた。
「約束ってね?破るためにあるのよ?」
「そんな……そんなぁ……」
白銀には、うららの嗚咽なんて聞こえはしない。
ただ、愛する者が傷つき、泣きじゃくる姿が見えるだけ。
それが、白銀にとっての満足だった。
「白銀!」舞が吠えた。
「うららをこれ以上傷つけるな!このままじゃうららの心は―――」
「壊れても何でも、私に従いさえすれば、それでいいのよ」
「し、正気か!?貴様っ!」
「ええ。正気も正気」真顔でそう言い切った後、白銀は自嘲気味に薄く笑った。
「―――従わない者に存在価値はないわ」
「うららを巻き込むな!白銀、頼む。うららを、うららを解放してくれ!」
「何、勘違いしているのよ」
「きゃっ!」
背後からうららを抱きしめ、指でうららの全身を愛撫するように手をはわせる白銀は、舞に言った。
「あんた、どこまでバカなのよ?約束だろうが何だろうが、人は人を裏切り、憎み、傷つけ、敗者を嘲り笑うものよ?
自分さえよければ、他人なんて、世界なんてどうでもいい存在。
それが、人間―――信じる方がバカなのよ」
残酷なことを、冷たく言い放てる白銀が、うららには信じられなかった。
この学校の生徒に悪人はいない。
うららは、そう信じていたから。
それなのに……。
「白銀さん……なんで……どうして……」
「人ってね?二通りしかいないの」白銀は言った。
「支配する側と服従する側―――いい?人間に必要なのは、信頼関係じゃない。絶対的な主従関係よ。主人と、それに隷従し、主人を満足させる者がいればいいの。
それが人間社会よ?
わかるでしょう?
だからうらら。あなたは私という主人に隷従して、私を満足させれば、それでいいの」
「そんな……私は」
「何なら、あなたを私の仲間にしてあげてもいいのよ?」
「仲……間?」
「そう」
笑う白銀の顔が、残忍に歪んだ。
「しっ、白銀!まっ、待て!」
舞が叫ぶが、白銀にその言葉は届かない。
「舞?見ていなさい。あなたの大切なうらら、あなたの手の届かない所へ送ってやるわ」
白銀の瞳が残酷に輝く。
だめだ。
止めなくちゃ、だめだ。
でも、私には止められない。
ああ―――神様。
どうか、どうかうららを
うららを助けてください。
舞は祈った。
舞の双眸から涙がこぼれ落ちた。
私は、うららが好きだ。
世界で一番、うららが好きだ。
その私が、うららを守れない。
舞は自分を呪った。
自分の無力さを呪った。
その彼女の目の前で、
大切なうららの首筋に近づくもの
それは
白銀の牙。
うららの白い肌に
愛して止まないうららの白い肌に
「ひぐっ!?」
牙が、突き刺さった。
「うらら……」
舞に出来ることは、その光景をただ、見つめるだけ。
「あっ……あっ……ま……舞……さん……」
うららの身体がビクビクと痙攣し、目が白目に変わる。
「ごめんなさい……ごめんなさい……私、私……」
「うらら……」
いくら鈍い私でも、目の前で起きていることは理解できる。
白銀のいう“仲間”が何なのか。
うららが、その仲間になる。
それが、どういう意味なのか。
それに私は何も、出来はしないことも。
舞は目をつむった。
そして
何が起きたかわからなかった。
爆音
衝撃
全身を走る激痛
それが、舞の感じ取った全て。
舞は意識を失った。
「うっ……くっ……」
舞とうららが倒れる前の床で床をのたうち回っていたのは、白銀だ。
「白銀?」
ドアの方から冷たい声がする。
「答えなさい。白銀」
「はっ―――は―――」
「これは一体、何のマネです?」
「こっ、これは―――ガハッ!」
白銀の口から赤黒い液体がはき出された。
「誰が、“媒体”に手を出していいと命じました?」
カツン―――カツン―――
革靴の甲高い音が室内に響き渡る。
「もっ、申し訳ありません。つ、つい」
グシャッ
鈍い音と共に、蹴り上げられた白銀の身体が宙を舞った。
「あなたを仲間にしたのは、失敗だったのかもしれません」
声の主の靴が、白銀の顔を踏みにじる。
「お、お許しを―――お許しを―――」
「私がいつ、あなたに主人面することを許しました?あなたがいつ、誰かの主人であることを認めました?」
「申し訳―――申し訳―――」
「人の上に立てるのは、唯一、神のみです」
そのつま先が、白銀のあごを捉えた。
ギャッ!!白銀の鈍い悲鳴が上がった。
「神の代理人である私以外、この世に形ある主人はいないと、あなたは認め、そして私の下僕になったのではなかったのですか?」
「ヒッ……ヒッ……ヒグッ……」
「私はあなたに命じましたよね?“媒体”の相手をして、“媒体”の出す“卵”を採取しろと―――誰が、“媒体”を弄(もてあそ)べと命じたのですか?」
声の主は、不満げに倒れる舞とうららを一瞥した。
「一体、あなたはどれほどの“卵”を無駄にしてくれたというのです?」
ポイッ
そんな感じで、声の主は、ポケットから何かを白銀に放った。
ギャァァァァァァァァァァッッッ!!
室内に白銀の苦悶の絶叫が響き渡り、肉を焼く嫌な臭いが漂った。
「―――効くでしょう?よかったですね?聖別された特別な銀をいただけるなんて。これ?」
不満そうに声の主は言った。
「罰ですよ?お礼を言いなさい」
ヒギャァァァァァッ!!!
のたうち回りながら、白銀は何とか身体を焼くそれを払いのけた。
「アッ、アアアアアアアアアアッ!!」
払いのけた指までが、骨まで焼けた。
「―――もう一度、味わった方がよろしいですか?」
「おっ、お許し下さい。お許しください!!」
腹這いになることでようやく謝罪の姿勢をとった白銀が言った。
「出過ぎたマネをしました!申し訳有りません!」
「お礼を言えを言え。そう命じたのですよ?」
声の主がポケットに手を入れた。
「ヒィッ!?あっ、ありがとうございました!」
「よろしい。卵を無駄にしたことは、また別に罰しましょう」
声の主は、ため息混じりに言った。
「せっかく、この国の警察幹部の娘であるからこそ、あなたを仲間にしたのです。私をこれ以上、失望させないでくださいな」
「―――はっ、はい……申し訳ありません」
「普通なら、万死に値する所です。さて―――とにかく、新たな“媒体”は捕まえてきたようですね。それだけは褒めてさしあげましょう」
声の主がうららに近づき、その首筋に手を回した。
「―――何ですか?この娘の血を味わっただけですか?」
「……」白銀は俯いたまま、答えなかった。
「この娘を仲間にするつもりはなかったのですか?」
「ただの“人間”としてのうららを、もう少し楽しみたいのです」
白銀は、絶え絶えの声で答え、立ち上がった。
全身に擦り傷と火傷を負い、立っているのもやっとという感じだ。
「いずれ、“媒体”の任を終えた後、うららを私に下さるというお約束」
「―――ああ。そうでしたね。それまで、人間として、この“媒体”を置くと?」
「はい」
「―――この娘、大丈夫なのですね?」
「はっ?」
「行動があまりに不審すぎます。何やら、不安がつきまといます」
およそ、自分の主人の口から出たとは思えない言葉に、白銀は怪訝そうな顔で
「不安、とは?」
「白銀、この娘がどうして私の手に落ちたか、覚えていますか?」
「はい……」
白銀は続けた。
「うららは、父の会社がこの学園で何かをたくらんでいる。そう感づいて、独自に調べていました」
「あなたは、そう思いますか?」
「?と申しますと?」
「あなたも知っての通り、私と会社の繋がりを知ったこの娘は、あの夜、教会に忍び込んできました。無論、私にとっては捕らえるのは造作もないこと。……ところが、です」
「ご主人様?」
「罠にかけた時、この娘の体から、何かが逃げ出しました。私はそれを確かに見たのです」
「何か……とは?」
「強い力を持つ、小動物のような……よくはわかりません。ただ、強い力でした。それを知るために尋問した所が、肝心のこの娘自身、自分が何をしているかわかっていませんでした。何故、自分がこの場にいるか、それすらです。さらに、この娘が学園各地を徘徊し、仲間めがけてためらいもなく鉄パイプを振り下ろした……白銀、説明できますか?この娘の真理を」
「……私の理解を超えています」
「おかしいとは思いませんか?」
「……しかし、うららは」
「あなたがこの娘をどう思うかは知っています。ただ、それ故に、忠義の目を曇らせないようにしてください」
「はっ」白銀は畏まって頷いた。
「この娘の行動から決して目を離してはいけません。何か不審な素振りがあれば」
「……」
「殺しなさい」
「……全ては、御心のままに」白銀は絞り出すようにそう答える。
「白銀?」
「はっ」
「これは、半分はあなたのために言っているのですよ?」
「?」
「もし間違えれば、あなたが殺されるかもしれません」
「ご冗談を」
「私はこんな時に冗談を言う趣味はありません」
声の主の手が、今度は舞の下腹部に触れた。
「ふむ。“種付け”は無事に終わったようですね」
主は、指を動かしながら、満足そうに頷く。
「ふ化までは―――1月足らずでしょうか。前回の“媒体”は恐怖に負け、ふ化前に脱走した挙げ句に、追跡させた原田教諭共々、あのように飛び降り自殺してくれましたが」
「この二人は大丈夫です」
「そう願いましょう」
指を舞から離した声の主は、汚れた指を白銀の目の前に差し出す。
白銀は、一礼の後、その指を口に含んだ。
「上条うらら―――確かに、上条製薬の娘。取引先の娘を押さえてしまえば、薬物販売はやりやすいですし、何より、警視庁、検察庁もあなた達で押さえられる。あなた達が忠実な下僕であることを祈ります」
静かな、それでいて満足そうな声が白銀の耳に届いた。
「それで良いのですね?」
「はい。ご主人様」
白銀はそういって跪(ひざまず)いた。
「白銀はすでに魂を主に、身体と心をご主人様に捧げた身。ご主人様の喜びこそわが全てです。―――シスター・マリア」
「―――よろしい」
声の主、シスター・マリアは、鷹揚に頷くと、白銀に命じた。
「この空間を閉鎖します。白銀、この娘達を連れて、地下礼拝堂へと逃げなさい」
声の主は、そう言って部屋の別な入り口へと歩き出した。
「はっ?」
「侵入者です」
成る程。
イーリスは、感心したように辺りを見回した。
理科棟の地下室にこんな細工が施されているとはな。
「理科棟の地下室は空っぽです」
水瀬はそう報告してきたが、これではそう思っても無理はない。
よほど熟練した鑑識眼を持たないと、そうそうわかる偽装ではないから。
イーリスは地下室の入り口から数歩入った所にある柱に手をやった。
何のことはない、ただのコンクリートの柱。
だが、魔法の力がある者が見ると、そこには肉眼では見えない線が走っているのがわかる。
イーリスにはこの線が何だかわかっている。
魔法によって別次元に作られた、あるいは封印された“偽装空間(ぎそうくうかん)”の入り口となる空間の狭間、いわば隠し扉だ。
魔法を使ってこの狭間を開けば、そこには別の部屋が広がる。
問題なのは、その線が建造物の造りという肉眼での情報と重なるため、一瞥しただけでは、そこら辺にある空間のゆがみ程度にしか見えないこと。
こうした空間の捜査は経験が物を言う。
経験の浅いあの子では、これはわからなかったのだろう。
そう思ったイーリスは、ナイフを抜き、空間を開こうとした。
「シスター・イーリス?」
背後からかかった声に、イーリスはとっさに振り返った。
入り口に立っていたのは、シスター・マリアだった。
「何を、なさっておいでですか?」
「いえ少し」
イーリスは、そっとナイフをしまった。
「こんな所、シスターたる者が来る所ではないでしょう?」
「シスター・マリアこそ、どうしてここに?」
「理科の先生にお会いしに来た所、地下室に誰か入ったと聞きましたので」
「野次馬ですか?」
「失礼ですね。過ちを犯そうとする者がいたら、それを諭し、神の教えに目覚めさせるのも、我らの大切な務めです」
「―――失礼」
「シスター・イーリス。ご用がなければ、出なさい。あなたはここの関係者ではないでしょう」
「ええ」イーリスは、もう一度“偽装空間”の入り口に向き直った。
「これを確認してからにします」
「何をです?」
「シスター・マリア」声だけかけてイーリスはナイフを空間の狭間に突き立てた。
「これをあなたは、ご存じなのでは?」
力任せに開かれた空間。
そこは、うららと舞がいた部屋だった。
「これは?」
シスター・マリアは、驚いたように目を見張った。
「どうしたというのです?こんな部屋がいつの間に」
結構な役者だ。
イーリスは内心、鼻白みながら、シスター・マリアに言った。
「魔法の才能のある方は、こうした空間を簡単に作れるのですが」
「私は知りません。私にとって、魔法とは神の御技。人のなすべき事ではありません」
「そうですか」
イーリスはシスター・マリアを無視するように部屋に入り込んだ。
「ここは、後で調べさせていただきましょう」
「……」
シスター・マリアは、そっとイーリスの背後に続く。
「さて。別な部屋もあるようですね」
室内をざっと見る。
テーブルの他に、拘束具のついた板製のベッドやベンチ、そして古ぼけた冷蔵庫が並ぶ。
壁にはドアが3つ。
うち一つが、今、イーリスのあけた狭間とつながっている。
イーリスはその残りのドアのうち、手近のドアを蹴りあけた。
バンッ!
ミギャッ!!
「きゃっ!?」
突然、ドアの向こうで、猫のような声と女子生徒の悲鳴が響いた。
「?」
イーリスがドアを開けると、そこには壁にめり込んだ水瀬と、突然のことにびっくりして固まっている春菜の姿があった。
どうやら理科棟地下室横の廊下のようだ。
「春菜殿下!」
イーリスは慌てて春菜(日菜子)の元に駆け寄った。
主君にケガでもさせたら一大事だ。
「大変な失礼を」
イーリスは片膝をつき、非礼をわびた。
「いっ、いえ。私は大丈夫ですが」
ちらっと水瀬を見る。
突然出現したドアに弾かれた水瀬は、壁にめり込んだままだ。
「水瀬が」
「問題有りません」イーリスは力任せに水瀬を壁から引きはがし、胸ぐらを掴むと、フルスイングで往復ビンタをかました。
乾いた音が廊下に響き渡った。
ビビビビビヒィン!
「妖怪ネ○ミ男直伝のビビ○ビンタです」
「ひ……ひどい……」
「よし。目が覚めたようだな」
「ネ○ミ男って……イーリスさん今年いくつ―――ギャンッ!」
ぱっ。
突然、胸ぐらを掴んだ手を離された水瀬は、後頭部から床に落ちて、今度こそ動かなくなった。
「で、それで?イーリス、あなたは?」
「はっ。校内を捜索中でした」
トドメとばかりに水瀬を殴りつけた後、イーリスが答えた。
「これは?」
日菜子は空間に突然生じた部屋を指さす。
「偽装空間です」
「入ってよろしいですか?」
「はっ」
うやうやしく一礼の後、室内へ日菜子を春菜と思いこんでいるイーリスが主君を通した。
「失礼します」
日菜子は一礼の後、室内に入り、そしてドアは閉められた。
つまり、水瀬はその場に気絶したまま放って置かれたことになるのだが……。
少なくとも、水瀬を省みてくれる者は、その場にはいなかったことになる。
合掌。
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