礼拝堂

 翌日 華雅女子学園

 

「ふぁぁっ」

 登校途中の水瀬は、あくびの後、大きく伸びをした。

「……眠い」

「当たり前です」

 声をかけてきたのは、春菜だった。

「昨晩はどこにいっていたのですか?かなり遅くに戻ってきたようですけど」

「あっ?まさかあんな時間まで夜更かしされていたんですか?」

「目が覚めただけです。夜遊びなんていけませんよ?」

「ははっ。あれ?」

 水瀬の目の前を、トラム乗り場に向けて生徒達が歩いている。

 全員、水瀬達とは少しだけ、制服が違う。

「普通科の方々です」

「普通科?」

「つまり、その…出自が普通といいますか、その、平民の方々、です」

「ああ」

 

 華雅女子学園は名門だ。

 そこに通う生徒は、基本的に華族階級に属するお金持ちの子女。

 当然、華雅女子学園卒は、超一流の上流社会において必須に近い肩書きとなる。

 生徒達に求められるのは、血筋、家柄、財産―――。

 一つでも欠けていれば、華雅に通う資格は、ない。

 だが、

 血筋や家柄がなくても、その社会的地位を求める者は多い。

 戦後の新興資産家、官僚、田舎代議士などが、その格好の例だ。

 大枚をはたいてでも、娘に華雅女子学園卒の肩書きを与え、それを利用して上流社会に入り込もうとする者達が―――。

 

 そういう者達の子女を、華雅は受け入れた。

 

 そうして入学した生徒達が「普通科」生徒と呼ばれる。

 彼女達は、決して「教養科」に入ることは出来ない。

 

 学校で学ぶ学業なんて、単なる教養にすぎない。

 

 そう言い切ることを、将来に渡り、家柄と地位と財産、いわば身の回りの全てが保証する身分でなければ、教養科は入ることを許されないのだ。

 

 だから、両生徒の扱いは歴然としている。

 普通科生徒は、近代的とされる鉄筋コンクリートのマンションが寮として割り当てられ、身の回りの世話は基本的に自分で行う必要がある。

 対して、教養科生徒は、迎賓館として利用できるほどの豪華な校舎と寮でメイドに傅かれた生活だ。

 中には春菜のように、自前のメイドや執事を用意する生徒もいる。

 

 学習する施設すら別だ。

 だから、入学から卒業式まで、この二つの生徒達が学校生活の面で顔を合わせることは、ないのが前提だ。

 二つの生徒達を隔離することがトラブル防止の前提ということなんだろうが、水瀬に言わせると、徹底しすぎている。となる。

 

 (成る程なぁ)

 水瀬は歩きながら、昨夜、レミントン神父から聞いた話を思い出していた。

 

「ミサに来る生徒の多くは、普通科生徒だ」

「教養、ではなくて?」

「あの生徒達は、宗教を髪飾り程度にしか思っていない。それこそ、神ですら、望めば周りが用意すると考えている手合いだ」

「じゃ、行方不明生徒も」

「当たり前だ。教養の生徒が一人でも欠けて見ろ。上を下にの大騒ぎだぞ?普通の生徒は、親の面子のためだけに入れられたようなものだ。ホームシックになったり、環境の激変に耐えられなくて、普段から家出だの何だの、トラブルを起こす生徒が後を絶たないほどだ。だから、学校側も、大した問題と思わないのだよ」

「成る程……。そういえば、さっき、礼拝堂に灯りがともっていましたけど、あれも普通科の生徒さん達ですか?」

「何?」

 神父は椅子から腰を浮かせた。

「礼拝堂に灯り?知らないぞ?」

「え?でも何かミサが行われている様子でしたよ?」

 神父は机の上のベルを押した。

 ガチャ

「レミントン神父、参りました」

 間をおかずに部屋に入ってきたのは、メガネをかけた10代の修道女だった。

 おかっぱ頭といい、身のこなしとしいい、外見上はトロいという印象だが、水瀬は一目で、彼女が高位の魔法騎士だと見抜いていた。

「シスター・フォルテシア、今晩の礼拝堂の使用予定は?」

「?ありませんけど」

「シスター・マリアは?」

「もう就寝されたようですが?」

「シスター・フォルテシア。すまんが、シスター・マリアが部屋にいるか、調べてくれないか?私は礼拝堂に行く」

「は?はい」

「あ、僕も行きます」

「頼む。ところで、中の様子は?」

 神父はドアに向かって歩きながら水瀬に訪ねた。

「女の人の声で説教が」

「何と?」

「えっと、“神はあなた方が犯すすべての罪をご存じです。罪はあなた方自身の血と肉によってのみ贖われます。神を愛し、神の言葉以外のもの全てを否定しなさい”だったかな?」

「下手な説教を―――」

 

 神父達のいる教員宿舎C館から礼拝堂までは歩いて5分だ。

 礼拝堂の灯りは消えていた。

「シスター・マリアの児戯は終わりかな?それとも、君が幻覚でも見たのかな?」

「どっちでしょうね。入ります?」

 神父は腰に下げた鍵束を手にしながら答えた。

「当たり前だ」

 

 ギィッ

 

 扉が開けられ、礼拝堂の中を、月明かりが照らし出す。

 

 礼拝堂の空気は、シンと静まりかえっている。

 

「……」

「空気が冷えている。何も、ない、か?」

 神父はあたりをきょろきょろと見回し、近くの照明に触れる。

「照明は冷たいな」

「でも、誰か、いたみたいですね」

 水瀬が、不意に呟いた。

「ん?」

「匂いですよ」

「匂い?」

 クンクンと鼻を鳴らす神父。

 確かに、複数の香水の匂いがする。

「女か」

「普通科の生徒ですね。教養の生徒なら、こんな派手に残り香を残さないです」

「よくわかるな」

「教室に出入りすると、わかりますよ」

「では、生徒達は?」

「神父、その前に照明を」

「あ、ああ」

 

 パチッ

 

 照明が点けられ、礼拝堂内部が照らし出される。

 祭壇

 聖母の肖像

 昼間と変わるところはない。

「……」

「うむ。不思議だ。シスター・マリアは何を?」

 

 

 

「私がどうかされましたか?レミントン神父?」

 

 

 

 入り口から聞こえた声に神父も水瀬も振り返る。

 

 そこには、一人のシスターが立っていた。

 整った気品のある顔立ちだが、その双眸から発せられる厳しい視線は、慈愛をもってなるはずのシスターという印象からはかけ離れている。

 むしろ冷酷な印象しか受けない。

 ぞっとするほど厳しい女だ。

 

 

「シスター・マリア」

「今晩わ。レミントン神父。どうなさいました?」

「いや。礼拝堂に灯りが灯っていたと聞いたのでな」

「あら?それで私をお疑いに?」

「他にいるのか?」

「―――そうですか。生徒さんが一人、悩みがあるとのことでしたので、懺悔室で相談に乗ってあげていましたの」

「成る程?こんな門限すぎの時間までか?」

「あら?神父こそ、そちらの生徒さんはどうなのですか?」

「あ」

「教養の新入生さんですね?門限はすぎています。すみやかに寮へ戻りなさい」

「は、はい」

 ちらりと神父を見た水瀬だが、神父は頷いて言った。

「ご苦労だった水瀬君。戻りたまえ」

「はい。神父、いろいろ相談に乗っていただき、ありがとうございました」

「ああ。よい夜を」

「失礼します」

 水瀬がシスター・マリアの横を通り抜けようとした時だ。

「月が赤い夜です」

 シスター・マリアは水瀬にささやくように言った。

「こんな夜は、よくないことが起きます。不用意に暗闇に足を踏み込まないように注意なさい」

「は、はい」

 

 

「もう。いいですか?夜遊びは不良の始まりです。いけないことなんです」

「はい」

「門限は守るものです」

「はい」

 春菜の説教を一々聞き流しながら、水瀬はちらりと礼拝堂を見た。

 礼拝堂では、朝のミサが終わったらしい。

 さっきの普通科の生徒は、ミサの帰りだろうと水瀬は判断した。

 

 神父が出て来るなり、こちらへむけて一礼してきた。

 

 とりあえず、神父は無事のようだ。

 

 少しだけ安堵する。

 

「本当に、昨夜は怖かったんですから」

「怖かった?」

「ええ。外で猫はニャーニャー鳴いているし、不審者は出るし」

「不審者?」

「はい。メイドさん達も取り逃がしたようですけど、どうやら女性とのことです」

「女性、不審者……」

「おかげで私、窓やドアに護符貼り付けて、栗須に一緒に寝てもらったくらいなんですよ?」

「それは大変でしたね」

「もうっ!主君がこんなに不安だったのに、あなたはどこに行っていたんですか!?」

「は、はぁ……別件で」

「もうっ。姉様も水瀬を私の護衛専門にしてくだされはよろしいのに」

「え?」

「な、なんでもありませんっ!」

 

 

 華雅女子学園 応接室

 

 よくないことが起きます。

 

 シスター・マリアは、確かにそう言った。

 

 不用意に暗闇に足を踏み込まないように注意なさい。

 

 そう言った。

 

 それは、もしかしたらシスター・マリアの警告だったのかもしれない。

 

 水瀬が、昨晩、何が起きたのかを知ったのは、学校につくなり、理沙に呼び出された結果だ。

 

 理沙と岩田が、渋い顔で水瀬に言った。

 

「昨日、生徒2人が失踪した」

「二人も、同時に、ですか?」

「一人は木村紀香、普通科高等部3年。もう一人は木戸文乃。教養科中等部2年」

「家出、ですか?」

「二人とも、他の生徒が気づかない間に失踪している。しかも、木戸は―――」

「まさか」

「これが、室内から発見された」

 岩田が取り出したのは、透明なビニールに入った錠剤だ。

「“ノインテーター”の中毒の結果、ですか?」

「そう考えるのが妥当ね。それと」

「まだあるんですか?」

「今朝、すぐ近くの道でな」

 岩田がお茶を飲み干した後、言った。

「骨をくわえた野良犬を、警邏中の警官が捕まえた」

「骨?まぁ、犬が骨ですから―――」

「ああ。それが鶏やブタならいい」

「まさか」

「その警官は、骨の形状から疑問に思い、骨を所轄の警察署の鑑識へ持っていった」

「……」

「性別は不明だが、人間の大腿骨だそうだ。しかも、死後、かなり新しい」

「木村か木戸、どちらか。ということですね?」

「ああ。相変わらず、内密に。だがな」

「まさか、まだ厄介なことってありませんよね」

「君も潜入したばかりで、手の撃ちようがないでしょう?ただ、なるべく早く、動いて欲しいと思ってね」

 理沙と岩田は、腰を上げた。

「高い応接セットって、あんまり好きじゃないわ」

「あれ?これからまだ仕事ですか?」

「当たり前でしょう?すぐに現場よ。現場」

「現場?」

「ええ。アベックの死体が見つかったのよ」

「他殺なら、お姉さん達がなんで?」

「二人とも、血がね?」

「血?」

「体から完全に抜かれているってさ」

 

 

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