第23話 ウサギ小屋ー最終章ー(1)
女子って、怖い。
特にわたしのような、空気を読むのが苦手な人間にとって、女の子同士の付き合いは相当の試練だ。グループだけの暗黙の了解とか全然気づけないし、耳に口を当てる近さのヒソヒソ話も、小さい頃に中耳炎になって聴力が低めのわたしには、ほとんど聞き取れない。
だから幼稚園の頃から何度も締め出された。
昨日まで笑顔で遊んでいた子に、空気のように無視されるのは、結構心をやられる。しかもその思い当たる原因が、他の子より相槌を打つのが遅れてしまい、イラッとさせたことくらいだったりすると……もう絶望的だ。
だから小学二年になってレナと同じ組になった時は、驚いた。
レナは表も裏もなく、いつでも笑顔で接してくれる。たとえ授業中でも。違う意見を言っても不機嫌になったりしない。大きな目をもっと丸くして、ちゃんと聞いてくれる。失敗しても、迷惑をかけても、笑っておしまい。でもレナだって、本当は大変なことたくさんあったんだよね……
だから、レナ。
あの事件の後、わたしはレナみたいに振舞うことに決めたよ。レナには全然届かないけど。誰にでも平等に、誰にでも笑顔。笑顔はよく忘れるし、これだけ一緒にいても、茜がわたしを今日だけの友達と思っていることも、分かってるけれど。でもレナのように振舞っていたら、私も誰かの救いになれるかもしれない。それにレナと一緒にいるようで、うれしい。
ねえ、レナ。
短距離を本格的にやるようになってから、もう一つ好きなことが増えたんだ。
短距離はスタートが大事というけれど、わたしが好きなのは、スタートの直後。もう走り始めてしまって後戻りはできなくて、頭を真っ白にして前に進むしかない。あの時だけは、何も考えずに済むから。
レナ。
でも、本当はやっぱり、もう一度レナに逢いたいよ。
「よくこの状況で、そんなにパクパク食べれるよね」
冷えた焼肉と白飯を口いっぱいに頬張る横井修を見ながら、アイラが呆れ声で言った。
「ま、俺は基本、無神経だからな」
横井修はデザートに入っていたらしい梨を、箸に突き刺して言った。
「食って逃げて生き延びる。そんで帰ったら、あのクソオヤジが言ったみたいに、タカシもシューイチももう先に家に帰ってました……ならいいんだけどな。ま、無理か。よく考えたら俺生き延びても、もう友達一人もいねえわ」
しかしこの梨はうまい、と言いながら横井修はシャリシャリと音をたてて梨を食べた。
アイラはふふんと笑った。
「たとえ過去のことでも、友達がいただけいいじゃん。あたしなんか母親がいつもクズみたいな仕事かき集めてくるから、友達なんか作る暇もなかったよ」
「ああ、じゃああの人―葵君と同じだね」
横井修が箸先で、門柱にもたれて外を見ている葵先輩を指した。会議室で領仙修吾が、君は友達がいないだろう、と言っていたのを思い出したらしい。葵先輩はゆっくりと横井修の方を向き、うるさい、と不機嫌な表情をあらわにして答える。
「ま、アレだね。ここに生き残った奴らは、つまりはしょーもない奴ばっかりということだよな。家の中でお姉さん虐めてた人もいるし」
わたしと一緒に廊下にもたれて息をついていた茜が、一瞬目を見開き、下を向く。
いきなり横井修がわたしを見た。
「ねえ、あんたは? あんたは友達いる?」
「あ、あたし……?」
自分に話が向くとは思わなかったので、慌てた。
「あたしは、その……みんな友達というか……誰とでも仲良くなりたい、というか……」
ショックだったのは、言った途端に横井修がグフッと喉の奥で笑っただけでなく、外を見たままの葵先輩まで、肩を揺らして笑ったように見えたことだ。
「あんた……バカ?」
横井修が身を乗り出してわたしを見ながら、面白そうに言う。面と向かってバカと言われたことはなかったので、どう答えていいか分からなかった。
「まあそう言うな。せっかくここまで生き延びたんだ。このまま全員生きて必ずフェンスの外に出よう」
テツさんが代わりに答えてくれた。
横井修がフンと鼻を鳴らす。
「あんたっていつも、そんなふうに立派なこと言うけど、結局それはあんたが実は大人で、しかも超高級焼肉店を知ってるような一流新聞の新聞記者だから、ていうだけのことだろ?」
「確かに『高二』という設定は無理がありましたよね、最初から」
珍しく葵先輩が口をはさむ。
テツさんは諦めた様子でため息をついた。
「まあね。……正確に言うと『元新聞記者』だけどね。俺はいとこの翔が失踪した真相を知りたくて、入社してからも余計なところに結構首を突っ込んでいたのがバレて、一か月ほど前にクビになった。今はフリージャーナリストというか、無職というか……」
横井修が空の弁当箱を放り出し、床に転がる。
「ダメだ。全滅。俺ら完全なポンコツ集団じゃん。逃げ切れる気がしねえ」
……あたしって、バカなの?
ショックから立ち直れないでいると、茜に肩をつつかれた。開いたまま箸をつけていなかった弁当を、茜が指さす。
「梨だけでも食べてみたら? 結構水分補給になるし……その、元気が出るよ」
「……うん」
私は弁当を、もう一度眺めた。まだ血のにじむステーキの断面に気分が悪くなってしまったのだが、蓋つきのカップに入っていた梨は、確かになんとか食べられそうだ。口に入れてみる。噛んだ途端に口の中に水分がほとばしって、生き返るような気がした。それと同時に、本当に体も心もボロボロで逃げ回ってきたのだと実感した。もう一口食べてみる。確かに元気が出てきて、バカくらい、ま、いっか、という気分になった。
「おいしいね」
「ね」
「ホントに?」
アイラが弁当を覗き込んできたので、茜と一緒に頷く。
「ホントだ。おいしい」
アイラが食べながら目を見開く。ずっと目立たない印象しかなかったが、間近でよく見ると、かなりの美人だと気づいた。小顔だし目もくっきりと大きい。
「アイラって、美人だね。さすが女優さん」
「うん、美人」
わたしと茜が言うと、褒めたつもりだったのだが、アイラは目を伏せてしまった。
「別にあたしがやりたいわけじゃないの。勝手にお母さんが……。あたしはこんなふうに友達とおしゃべりしてる方が好き」
「そんなに同年代の子と遊べないの?」
茜が尋ねると、アイラはため息をついて首を横に振った。
「全然。……おばあちゃんが生きてるときは、おばあちゃんが可愛がってくれたけど、三年前に死んじゃって。それにおばあちゃんが死んだら、それまで貰えてた年金も貰えなくなったから、うちはお父さんもいないし、余計にあたしが稼がなきゃいけなくなって……でももう、疲れたよ」
その横顔はきれいだが、本当に疲れた感じがして何も言えなくなった。バカと言われたくらいでショックを受けていた自分が、小さく思えてくる。同時に、また何か横井修が茶化して、アイラを傷つけるようなことを言うのではと心配になったが、今度は横井修も、何も言わなかった。廊下に寝転がって、つまらなそうに暗い天井を眺めているだけだ。
やがて横井修は腹筋だけで身を起こし、立ち上がった。
「で……これからどうするんだよ、葵」
門柱にもたれている葵先輩に向かって、横井修は尋ねた。ずっと聞きたかったが我慢していたような言い方だった。葵先輩は校庭を挟んだ正門の方を眺めたまま、動かない。
「あの領仙修吾の部下が慌ててフェンスの扉を閉めて逃げて行った時の様子からすると、もう鍵はかかってねえだろう。だけど……」
だけど……
見ないようにしていたが、わたしたちの目の前には、本当は吐き気のするような光景が広がっていた。
バケモノの姿が、消えない。
もう領仙修吾を呑みこんだ時のような人体部品の洪水ではなくなっていたが、濡れた地面から手や足や人の頭らしきもの、あばら骨やもう何か分からない、ありとあらゆるかつて人を構成していたであろうものが、校庭一面から大量に浮き上がり、意味不明の言語をわめきたて、雨音を打ち消すほどの大音響を響かせていた。
今はただそれだけだが、一歩この中に踏み出せば別にあの緑茶をかぶっていなくても、領仙修吾の二の舞になるのだろう。
葵先輩がユウキを老人に託したのは正解だった。
あれが最後のチャンスだった。領仙修吾がかぶった緑茶に何が含まれていたのかは分からないが、あれがバケモノを活性化させてしまったとしか思えなかった。
葵先輩は皆と同じように梨を二切れ食べて飲み込んだ後、わたしたちの方に向き直った。
「……とにかく、急いでここを出るしかない」
ひやりとするような表情と言い方に、再びピリピリするような緊張感が足元から這い上がってくるのが分かった。本当は、もう少し現実逃避したかった。疲れていたし、その間に何かが好転するのを願った。しかしそれは、ない。
現実と向き合わねばならない。
わたしたちは夏の肝試しでここにいるわけではないのだ。
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