第22話 謎解き(3)





「実験だったんです。一度にどれだけの人間を呑めば満足するのか、白い石を使ったコントロールはどの程度可能なのか。五年前、子供が三人行方不明になった……ということになっていますが、実際にはその前に校舎建築中に作業員が一人、開校直前に講師の女の人が一人、計五人が消えている。この失踪事件の直後から、あなたの率いるBENTENの快進撃が始まっているんですよね」

 何の反応も示さない領仙修吾に向かって、葵先輩は話し続けた。

「会社の実力もあるのでしょうが、ライバル社のトップが次々亡くなったり、病で引退、内輪揉めやスキャンダルで事業から手を引いたりと、まるで周囲がみずから道を開けてくれたような状態で業績を伸ばし、今やテック企業としては国内トップ。傘下のゲーム会社も買収後はヒットを連発し、会長であるあなたの資産は国内トップ3入りだ。……ただ、ここ一年は不振が続きました。新作のゲームも掛けた開発費の割には話題にならず、本業でも国の国民管理システムの開発や端末の生産を受注できなかった。……そこであなたは考えた。そろそろ五年前の供物の効力も尽きてきた。新たな供物―生贄を捧げなければ……」

 葵先輩が少し身を乗り出す。

「でも、ただ新たな生贄を差し出すのでは、あまりにも芸がない。領仙家は病院ビジネスの頃から栄えてきましたが、これからもずっと運が傾くたびに、あのバケモノの力を借りるため生贄探しに奔走する……なんて、あなたのプライドが許さないでしょう。そこで贄を集めつつバケモノの習性を確かめ、できればコントロールするための実験を思いついた。贄には五年前の事件をまだしつこく覚えている関係者の子供たちを集めれば、一石二鳥だ。廃校になったこの校舎の管理権限は市にあるが、今の市長はあなたの全面的バックアップで当選した傀儡市長。何かの撮影とでも言えば、すぐに利用許可は下りたでしょう。……こうして、僕たちの手元に赤い手紙が届いたわけです」

 ただ……、と葵先輩は声を低くした。

「実際に実験を始めてみると、僕たちはモルモットのように想定の範囲内では動いてくれなかった。勝手にナンバープレートを外して、逆に実験を始める者がいたり、参加者と話さないという条件だった本池美月が双方向で話し始め、あなたの魂胆やバケモノと白い石の繫がりを、ほぼ核心を突くところまで話してしまったり……。それであなたは仕方なく軌道修正……と言うよりさっさと実験を進めて、残った僕らをすみやかにバケモノの餌食にするためかな……のため現れ、これはゲームなんだよと言い出した。でもこういうものは一般に、破綻を修正しようとすればするほど、さらなる破綻を招くのではないでしょうか。実際、あの石流亭の主人もさっさと帰るべきところで、ユウキに声をかけるという想定外の行動を」

「そうだ。忘れるところだった」

 のんびりした声で、領仙修吾が言った。

「君、あの勝手な実験の後、三階にいた参加者のナンバープレートはどこに隠した。出しなさい」

 彼は葵先輩に向かって、丸っこい手を差し出した。葵先輩は領仙修吾を見たまま数秒沈黙した。

「どうせ数は揃っていませんよ。あのバケモノが僕たち4人分を持って行ってしまいましたからね」

「ところが……」

 言いながら領仙修吾は、もう一方の手でグレーの上着のポケットを探った。ポケットから出て来た手には、わたしや茜、葵先輩、ユウキの番号だけでなく、これまでに隙間やあのバケモノに呑み込まれたと思った全員の番号のナンバープレートが載っていた。

「だから言っただろう。全部ただの演出だって。困るなあ、ちゃんと身につけてくれないと。データを取るんだからさ。僕は愛内勇希を帰らせてほしいという君の願いをちゃんと聞いたよ、真嶋君。今度は君たちの番じゃないかな。そういえば、愛内君がどこに住んでるか知ってるかい? この丘を下って少し住宅地に入ったところだ。この住宅地の入り口にある十字路は、愛内君が登下校で必ず通るところだが、交通事故がとても多くてね。『魔の十字路』なんて呼ばれているんだ。帰った愛内君が事故にあったりしないといいのだがね」

 領仙修吾は、葵先輩や私たちに聞かせるには大き過ぎる声で言った。

葵先輩は黙って聞いていた。やがて一度目を閉じると、黙って会議室を出て行った。戻ってきた葵先輩が3つの白いプレートを手の上に落とすと、領仙修吾は大声で笑い出した。

「そうそう、子供は素直なのが一番だ」

 それぞれの番号のプレートを再び全員に配りながら、彼は上機嫌だった。

「さあ、これで元どおりだ。ちゃんと身につけるんだよ。こちらもゲーム開発は真剣勝負なのでね。今後はもっと積極的に敵に立ち向かって、いいデータを提供してほしいものだね」

「確かに元どおりになってますね。完璧だ」

 相槌でも打つように葵先輩がさらりと言ったので、領仙修吾は言葉を止めた。

「……どういう意味だね?」

 葵先輩は手を伸ばし、茜の前に置かれたプレートを手に取って眺めた。

「このプレートを一度取り外すときに、茜さんのだけピンが服の生地に食い込んで取れず、針先を少しだけ曲げたんです。でも今はきれいに真っすぐになってる。だからこれが別のプレートだというのでもない限り、針先を完璧な直線になるよう、ご丁寧に戻してくれた……としか考えられないですよね?」

 領仙修吾はじっと葵先輩を見ていたが、やがて首を傾げた。

「君は……まだ中学生だが、言葉に気をつけるということを覚えた方が良さそうだね、真嶋君。君……友達少ないでしょ」

「だーっ、もう面倒くせえ!」

 いきなり叫んだのは、横井修だった。

「もうやめとけ、葵。いくら言ったって、やりあったって、とにかくこのおっさんは俺たちを解放するつもりなんて微塵もねえんだよ。だったらもうさっきから腹鳴ってるし喉も乾いてるし、さっさと飯食って、バケモノの弱点とか倒す呪文とか見つけて、最終画面まで行き着きゃいいだけの話だろ。その方が早く解放されて、早く他の奴らが無事か確認できるんだからよ」

「そのとおーり!」

 領仙修吾は横井修を指さし、満面の笑みで叫んだ。

「ものの分かる参加者が、ようやく現れたようだな。そのとおりなんだよ。ゲームに小難しい屁理屈なんて必要ない。君たちは何も考えず、ただこの状況を楽しめば」


 バシャッ!


 え……

 一瞬何が起きたか分からなかった。わたしだけでなく、たぶん茜や他の参加者も同じだ。皆言葉もなく、目の前で動きを止めた領仙修吾を眺めている。

 彼の短く借り上げた髪から、ぽってりとした顎から、灰色の上着の裾から、水のようなものがボタボタとしたたり落ちる。

「楽しめ? なわけねーだろ、ふざけんな、バーカ!」

 開けたペットボトルの口を領仙修吾に向けたまま、横井修が怒鳴った。

「おまえ、自分の言ってることがどれだけ胡散臭えか、自覚がねえのかよ。ウソ臭くて恩着せがましくて、体中が痒いんだよ!……」

 威勢よくしゃべっていた横井修の言葉が、止まった。

「ぎょふっ……」

 領仙修吾が呟いた。わたしの見ている位置からは彼の背中しか見えず、何が起きたのかは分からなかった。ただ……なんとなく膨らんだ気がした。

 領仙修吾の体が。

「げご……っ」

 吐くような声を上げながら、領仙修吾がよろめく。顔がこちらを向き、ようやくわたしは彼の明瞭な変化を見て取ることができた。

 顔が赤く膨らんでいた。眼球が今にも瞼からこぼれ落ちそうに外に出ている。

「ぎゃああああっ!」

 全員慌てて席を立ち、領仙修吾から離れた。

「いや、まずい。これはまずいな……」

 しかし次に聞こえてきたのは、特に変化のない領仙修吾の声だった。

「早く水道で洗い流さないと……やはり子供は鬼門だな。五年前に全員天狗様の餌食になって、消えてしまえばよかったのに。大人ほど従順に僕の言うとおりにしないし、忘れもしないし……まあとにかく、水道だ、水道。早くフェンスの外に出ないと……いや、まずいな。ウサギ小屋の戸も閉めていないのに……いや参ったな」

 領仙修吾は独り言を言い続け、よろめきながら会議室を出て行った。

水道水のほとばしる音がした。それから階段下の運動場に出る戸が開く音がして、窓を開けると、よたよたと彼が校門に向かって歩いて行くのが見えた。ぐふっ、ごほっ、と咳き込みながらも走っているつもりのようだが、足取りは泥酔者のようにおぼつかない。

 雨はほとんど上がっていた。

 外に止まっていた車から人影が出てきて、フェンスの扉を開けるのが見える。

「やった。外に出られる。俺たちならあのおっさんより速く扉に行き着ける!」

 横井修がそう言いながら、廊下に走り出ようとした。

「待てっ!」

 つられて藤田紗友莉―アイラや茜も走りだそうとしたところで、テツさんが叫ぶ。

「巻き込まれるぞ!」


 ゃっ…ゅぉんぁ……


 あの声だった。

あの声とともに奇妙なものが濡れた地面からもやもやと生え始めていた。わたしは窓の外から目が離せなかった。最初は何か生えているのか分からなかった。校舎から近い地面を見て、吐きそうになった。

 人だった。

 人の手や足や頭や、内臓。さらには耳や歯などといったものがまるででたらめに繋がりあい、地面から染み出し、一方向に向かって流れだしている。

 領仙修吾に向かって!

「ひ、うぎゃあああっ!」

 フェンスの向こうにいた人影が悲鳴を上げるのが遠くに聞こえた。一度開けた扉を再び閉め、車に飛び込み猛スピードで走り去る。

「おいおい……何をやっているんだ」

 領仙修吾の声は最後まで通常モードだった。

「いや、参ったな。困るじゃないか。社員教育はどうなっているんだ。平社員が経営者を置いて行っていいわけないだろう……今後がっ……ぎゅがっ……ごげぎゅぼ……っ」

 領仙修吾を最初に捉えたのはやはり手の激流だった。手の激流はこの校庭を埋め尽くすような人体の闇鍋のごく一部であったことが、ようやく分かった。

 大量の手にねじられた領仙修吾の顔のあたりから何か小さなものが飛び出す。

「ひっ!」

たぶん、目玉だ。そのまま巨大な噴水のように盛り上がった人体闇鍋の上に担ぎ上げられた領仙修吾の体は、足も手も頭も同時に折り畳まれ、異様に折れ曲がりながら、やがて噴水の中に没していった。

「え……いや、待て」

 窓の外を見ていた横井修が裏返った声で呟いた。

「あのバケモノが領仙修吾を襲った原因が、俺が投げつけたペットボトルのお茶だったとしたら、次に襲ってくるのは……」

 横井修は、領仙修吾に掛けたお茶が水たまりを作る床を、ゆっくりと振り返った。

「全員、この部屋から出ろ!」

 葵先輩が叫び、弾かれたように皆が窓から離れ走り出す。

「あ、待ってくれ。この弁当の方はじゃあ大丈夫なのか?」

 横井修が会議室の出口に向かいながら焦った声で言う。

「俺もう飲まず食わずで死にそう」

「たぶん大丈夫」

 テツさんが早口で答える。

「あの店のこだわりからして、料理に何か余計なものを仕込むなんて、できないと思う」

「確かに持って行った方がいいな」

 葵先輩も言い出した。

「でないとスタミナ切れで逃げきれないかも」

「えええっ?」

 廊下に出かけていた茜とわたしは慌てて弁当を取りに戻る。

「どうして弁当持って逃げなきゃならないの!」

 混乱して叫ぶアイラを横井修が廊下に押し出す。

「アホ、何でもいいから逃げろ!」

 その時にはもう、噴水の形をしていたあのバケモノが、会議室の方に向かって洪水のように押し寄せてきていた。

「走れ!」

 テツさんが叫び、全員が廊下に飛び出す。テツさんが会議室の戸を閉める。

 窓ガラスが大量に割れる音がして、あの群衆の大音響が一気に校内に響き渡った。


 ぐひょらんじゃがぎゅぼだびゃばぎょひゃし げんぎぃんじげばぼがっがごび げんぎぃんじげばぼがっがごび げんぎぃんじげばぼがっがごび げんぎぃんじげばぼがっがごび げんぎぃんじげばぼがっがごび げんぎぃんじげばぼがっがごび げんぎぃんじげばぼがっがごび

 げんいん しけば ほかっかのひ


 ぜんいんしねばよかったのに

 ぜんいんしねばよかったのに


 うるさい。うるさい。気が狂いそう!

 テツさんが閉めた廊下側の戸も一瞬ではじけ飛ぶ。

 それでも私たちは耳を塞ぎ、無我夢中で走り続けた。

 だってここまで消えることなく生き延び、ラスボスみたいなあの領仙修吾もバケモノに呑み込まれたのだから。


 だからルナは全員死ぬと言ったけれど、自分たちはきっと生き残る方の人間なのだと、何の根拠もなく、その時は信じたのだ。




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