第21話 謎解き(2)




「君たち、マジシャン……というよりイリュージョニストとして有名なプリンス・マサキを知っているよね」

 知っては……いる。大がかりなマジックに、ミュージカルやホラーの要素も取り入れて、公演チケットはいつも即完売になると聞いたことがあった。

 今度は誰も知らないと言わなかったので、男は満足そうに腕組みした。

「今回のゲーム開発には、彼が全面協力してくれている。実際にゲーム参加者がどう動くか、データが欲しいと言い出したのも彼だ。彼のイリュージョンを見たことがあるかね? 到底入り込めないような隙間を、人間がすり抜けるんだ。大量の水に呑み込まれて消え、そこから別の場所に瞬時で移動するという大技もある。それをここで再現するのは、なかなか大変だったがね。……とまあ、ここまで聞けばわかると思うが、今日の参加者の半分以上はうちの協力者だ。もちろん誰も消えていないし、死んでもいない。君たちが破壊した職員室の窓ガラスを除けば、校舎も壊れていない。横井君。君の仲間などはこの話を持ち掛けたら、大乗り気で引き受けてくれたぞ。横井のヤツ気絶するぞってね。アイラもそうだし、机やバケモノに呑まれた三人の女の子もそうだ。みんな今日の参加費を手にして、もう家に帰ったよ。それから……君たち子供に不測の事態が起きないよう、ちゃんと大人も同行させるという配慮もしたんだよ。そうだろう? 平井哲君」

 テツさんは弁当にもペットボトルの緑茶にも手をつけないまま、男をじっと見ていた。

「……誤解を招くような表現はやめてください、領仙修吾会長。僕はただ、いとこの哲からこんな封筒が届いたと相談を受けて、あまりに怪しいので代わりに僕が参加しただけです」

「そして我々は君が偽物で、しかも新聞記者だと分かっていたが、参加を許した。見過ごしてあげたんだよ。本物の哲君のルール違反もね。どれだけこちらが温情的か気づいてほしいものだね」

「佐々木梨歩の母親は?」

 葵先輩が冷たい声で尋ねた。

「あれも演技って言うんですか?」

「もちろん親子で協力者として参加してもらったよ」

 領仙修吾はよどみなく答える。

 わたしは彼と皆のやり取りを聞きながら、この強まる違和感の正体は何なのだろうと考えていた。

 誰も消えていない。何も壊れていない。

 確かに職員室前の廊下に遺体はなかったし、フェンスから落ちた後、古橋修一が本当に死んだのか、誰も確かめた者はいない。あのバケモノが突き破ったはずのガラスもシャッターも、後から見れば変化はなかった。

 でも何も起きなかったのなら、なぜレナは……

「百歩譲って、会長。あなたの言う通りだとしても」

 重い口調で言い始めたのは、テツさんだった。

「五年前、三人の児童が行方不明になり、今も見つかっていないのは事実じゃありませんか。あなたがやっているのは明白な監禁ですよ。事前に詳しい内容も告げずに、未成年の、しかも失踪者に近い子供たちだけを集めて、こんな残酷で絶望的なゲームを開発するためのデータを取るなんて……あまりにも無神経で非人道的で、社会的に認められない手法だと思いませんか?」

 領仙修吾は急に困った表情になり、大げさに肩をすくめた。

「だって事件に無関係な子供に手紙を送ったって、来るかどうか分からないじゃないか。それに残酷で絶望的って言うけど、それは君の勝手な感想だよね。よく考えてみたまえ。実際の事件を模した映画もドラマも、もちろんゲームも、世の中には幾らでもあるじゃないか。むしろこうして映像化することによって、記憶の風化を防ぐという大事な社会的役割もあるわけだよ。しかも非人道的? 時間がオーバーしたから、こんな高級弁当まで提供したのに、心外だなあ」

「タカシもシューイチも家に帰ってるって言うなら、二人と連絡とらせろよ」

 低い声でそう言ったのは、横井修だった。

「あの高いフェンスの上から落ちたのがトリックだって言うなら、二人ともまだピンピンしてるってことだろ。誘拐犯だって親に子供の声を聞かせて、まだ生きてるって証明するのに、なぜ俺たちにはスマホを使わせねえんだよ。おまえのやってることは誘拐犯以下だぜ」

「あー、確かにねえ。済まないねえ。気になるよねえ。でも何度も言うけど、まだ開発中のゲームなので、それは出来ないんだよ」

 領仙修吾は申し訳なさそうに頭をかいた。

「極秘中の極秘なのでね。君も二人がいなくなった後の流れは、後で二人に会ってもヒミツにしてほしいね。ま、そのためもあっての、この高級弁当なんだけどね。もちろんバイト代は別に払うよ。夏休みの間中豪遊できるくらいの金額は十分ある。ぜひ期待してゲームを続けてほしいね!」

 領仙修吾は笑顔に戻って、そう言い切った。

 誰も答える者はいなかった。

弁当に手をつける者もいない。空腹だった。喉も乾いていた。弁当が本当に上等品であろうことはその香りからも十分に分かったし、あの老人が心を込めて作ったことも本当だと感じた。しかし領仙修吾が発するわざとらしさは、既に部屋中に気分が悪くなるほど充満していて、普段なら飛びつきそうな香ばしい焼肉の香りにさえ、むしろ気分が悪くなった。この気分の悪さは……そうだ。

私はようやく思い当たった。あのバケモノを間近にした時の体中がピリピリするような緊張感、そのものなのだ。

「でも……本池美月の言ってたことは本当だった」

 茜が下を向いたまま呟いった。

「あたしは、ずっと邪魔だと思ってたお姉ちゃんに、あの時……」

「それは、偶然だよ」

 領仙修吾は茜と同じ背の高さになるよう身を屈め、優しげな声で諭した。茜が顔を上げ、わずかに首を傾げる。

「君のような状況で、お姉さんに不満をぶつけてしまうのは、全然珍しいことじゃない。むしろ、ごく当たり前のことだ。本池美月の言った、その『いかにもありそうなこと』と君の実際に『やってしまったこと』がたまたま一致してしまったというだけのことだよ」

 領仙修吾は穏やかにそう言い、身を起して考え込む様子で腕組みし、それにしても本池美月というキャラはちょっと暗いしサイコパス過ぎる、修正が必要かな、と独り言を言った。

「も……本池美月も架空の人なんですか?」

 わたしは思わず尋ねた。領仙修吾は、茜の隣に座るわたしを一瞬無表情に見下ろした。それからクスッと笑った。

「もちろんだよ。言ったじゃないか。これは五年前の事件をもとにした、架空のゲームなんだ。確かにあの事件は不可解な部分が多い。真相は今後も誰にも分からないままなのかもしれない。もしかしたらただの偶然の重なりを、変だ変だと思い込んでいるだけかもしれない。そんな全てのもやもやをこのゲームのクリアとともに捨てて、みんなに前に進んでほしいと私は願っているんだよ」

 不可解……?

 真相は誰にも分からない……?

 偶然……?

 ……ウソだ。

「本当に、何も知らないんですか?」

 領仙修吾は不思議そうにわたしを眺め、首を傾げた。

「事件の真相かい? もちろんだよ」

「じゃあどうして……レナがいなくなったあの日、わたしに……誰にも話しかけるなと、言ったんですか?」

 領仙修吾は一度瞬きし、わたしをじっと見た。

「……何のことだね?」

「あの日、私は傘を取りに学校に戻ったら、あなたがいて……傘を取って校舎を出る前に、校長先生と話してるのも見ました。この学校の土地は、あなたの土地なんですよね」

 彼は、今度は瞬きしなかった。ただ目を見開いてじっとわたしを見ていた。

おかしい。息が苦しくなってきた。ゼイゼイという荒い呼吸音が、耳の中に響く。しかしいくら深く吸っても酸素は肺に届かなかった。苦しくて視界がぼやけてくる。

―それは夢の中の話だから、忘れた方がいいね。

 霧がかかったような意識の底で、誰かが言ったような気がした。

「大丈夫かい?」

 次に聞こえた声はもっと近かった。

「お茶を一口飲んでごらん。息が楽になるから」

 領仙修吾が心配そうに、わたしの机にあるペットボトルの緑茶に手を伸ばす。彼が持ち上げようとしたペットボトルを、ふいに誰かがわたしの肩越しに手を伸ばして、押さえた。

 葵先輩だった。

「興味深いですよね」

 ペットボトルをキャップの上から押さえ込んだまま、葵先輩は領仙修吾に向かって言った。

「あなたは、全てはゲームで、子供たちが消えたのもただの演出で、全員普通に生きているという。でも僕たちはそれを全く信じられない。……どっちが正しいんでしょうね。あなたの言うゲームだというのが真実なら、僕の考えている真実も聞いてくれますか」

 ようやく頭の霧が晴れてきた。

 茜もテツさんも横井修も、私以外の全員が目を見開いて葵先輩と領仙修吾を見ている。葵先輩が座っていたはずの椅子が、後ろにひっくり返っている。よほど急いで立ち上がり、ペットボトルを押さえ込んだらしい。

「この実験は、すでに破綻しています」

 葵先輩は領仙修吾をじっと見て言った。



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