第20話 謎解き(1)




「もしかしたら、全員脱落するのではないかと心配したんだがね」

 その人物は何も反応を示さないわたしたちを気にする様子もなく、嬉しそうに言い続けた。

 脱落……?

「もしかしたら、本池美月の謎を解くところまでたどり着けないのではないかと。しかし君たちの頭脳と行動と団結が、ついにここまで君たちを導いた。少し時間がかかってしまったようだが、それは今後改良すればいい。とにかくすばらしい。本当にすばらしい!」

 謎……? 改良……?

 まだ光に慣れないわたしたちには、一方的にしゃべるその人物の細部はよく見えなかった。

 ただ、この声をわたしは聞いたことがあった。大柄でぽってりとした体格にも、覚えがあった。この男と、わたしは過去に会話したことがあった。この校舎で。

「会長さん、まあ話はそのくらいで。お弁当が冷めてしまいます」

 続いて会議室から姿を見せたのは、およそそれまでの緊迫感にはそぐわない柔和な笑みを浮かべた老人だった。板前さんが着るような白い上着を着ているので、その弁当を作った当人なのだろう。

「さあさあ、坊ちゃん嬢ちゃん、中に入って」

 あまりに人のよさそうな笑みに、一体どういうことなのかと聞き返すこともできず、わたしたちはのろのろと会議室に向かい、中に入った。

 確かに会議室の長机には、人数分の弁当らしい箱とペットボトルの緑茶が並べられていた。

「石流亭……と言っても知らないだろうがね」

 会長と呼ばれた男は、わたしたちの後ろから楽しそうに説明する。

「知る人ぞ知る、超一流の焼肉専門店だ。弁当だってそこらの社長じゃ口にできない。わざわざ東京から食べにくる芸能人や政治家もたくさんいるんだよ。だが店主は見てのとおり、毎日肉のことしか考えていないお人よしの、俗世には疎い人、でね」

 俗世には疎い人、という言葉を少しゆっくりと強調するように男は言った。そしてテツさんを見る。

「そうだろう、テツ君?」

 え?

 なぜテツさんが名指しされるのか。全員の視線を受けて、テツさんは迷惑そうに喉の奥で唸った。

「……ですね」

 訳の分からない状況の中でも、店主の老人だけはニコニコ笑いながら、一人一人に席を勧めた。

「大変でしたねえ。ゲームの開発に協力ったって、まさかこんな雨の日に、夜までかかるとは思ってなかったでしょう。会長の急な注文にも驚いたけど、会長にはいつもお引き立て頂いてますからねえ。心を込めてお作りしました。どうぞ召し上がって元気になってください」

「は? ゲーム……?」

 最初に座った横井修が、眉をひそめて呟く。

 だんだん、状況が分かってきた。

 わたしたちはゲームの開発に協力するためにここにいる、と店主の老人は説明されているらしい。

 この校舎で?

 三人も行方不明者が出て廃校になった学校で?

 しかし老人はそのことについて、何の疑問も持っていないようだ。それは世俗に疎いからというより、佐々木梨歩の母親が娘の声に気づかず帰ってしまった時と同じくらい、異常なことに思えた。

 男は相変わらず目を細めて笑っている。

 まるで、こういわれているような気がした。

―この老人に助けを求めても無駄だ、と。

 わたしは隣に座った茜を、その隣の葵先輩を、まだ残っている全員を見渡した。緊張を解いた表情をしている者は誰もいなかった。藤田紗友莉などは、まだ体をガクガク震わせている。

 それでも老人は何も気にならないようだった。全員を席に座らせると、会議室の入り口に立ち、にこにこと笑いながら頭を下げた。

「では皆さん。ごゆっくり……」

 老人の動きが、初めて止まった。一点をじっと見つめている。その目線の先にいたのはユウキだ。

「坊ちゃん……どうしたんです。私にも同じくらいの年の孫がおります。気になるじゃありませんか」

 ユウキは美月が消えたと分かった時から、ずっと泣いていた。もう泣きじゃくるような泣き方ではなかったが、それでも時おり新たな涙が頬を伝う。両目も泣きはらして真っ赤になっていたので、それが目を引いたのかもしれない。

「あ……あのっ」

 珍しく葵先輩が、慌てた様子で立ち上がった。

「このゲームは、小学生のユウキにはちょっと刺激が強過ぎたみたいで、すっかり怯えています。彼にはもうこれ以上ゲームの続行は無理だし、弁当など食べられないと思うので、もしこれから帰るのでしたら、ユウキも家までついでに送っていただけないでしょうか。ユウキはこの学校の校区だったので、そんなに家は遠くないんです」

 下を向いて泣いていたユウキが目を見開き、ぎこちなく顔を上げて葵先輩を見る。

「お願いします」

 葵先輩はユウキの方を見ることなく、老人に頭を下げた。老人はユウキと先輩、そして男に視線を移しながら、戸惑った様子で頭をかく。

「そりゃ私は構わないが……どうしましょうね、会長」

「うーん。それは申し訳なかったなあ……」

 恐る恐る振り返って見上げた男は、やはり目を細めて笑っていた。

「ちょっと演出が凝り過ぎていたかねえ。うん、分かった分かった。そうしよう。ただ……」

 男はぽってりした体を屈め、笑みを浮かべたままユウキとその隣の葵先輩の間あたりに顔を寄せた。

「分かっているだろうけど、まだ開発中のゲームだからね。絶対に内容を口外してはいけないよ。口外したら、みんな、大変なことになるからね」

 その声はわたしにも聞こえた。隣の茜にも、ユウキの向こう側に座るテツさんや横井修にも聞こえただろう。

 みんな、という言葉をことさらに強調したように聞こえた。ユウキは葵先輩に促されて立ち上がったが、まだどうしていいか分からない様子で葵先輩を見ている。

「でも、僕は……」

 テツさんがユウキの背中を叩いた。

「せっかく葵が頼んでくれたんだ。また雨が強くなるかもしれないし、俺たちは大丈夫だから帰れるときに、帰れ」

 ユウキはしばらくわたしたちを見回していたが、やがてのろのろと立ち上がった。自分が足手まといだと思ったかもしれないが、たぶん葵先輩は、最年少のユウキだけでも、このおかしな状況から逃したいと考えたのだと思う。

 ユウキが老人に肩を抱かれるように廊下の奥に消え、やがて一台のバンが開いていた校門から出ていくと、再び門が閉まるのが、会議室の窓越しに見えた。

 男が喉の奥でククッと音を立てて笑いだす。やがて大口を開けてゲラゲラと笑い、体をのけ反らせ、次には前かがみになり、それでも笑うのを止めず、息が苦しくなったのか笑いながら涙をぬぐった。

「いや、本当に君たちは……」

 ようやく男はわたしたちの方に向き直り、一人一人を見渡した。

「いい子だねえ!」

 そして再びこらえきれない様子で、ブフッと吹き出した。

「あ……あの……あのっ」

 いきなり裏返った声で言い始めたのは、ブルブル震えたままの藤田紗友莉だった。

「あの……あ……わ……私も……もう帰り」

「何を言ってるんだ!」

 男は笑いながら藤田紗友莉の肩を叩き、彼女の話を遮った。

「これまで消えずにクリアしてきたじゃないか。これからが面白いところだろう。僕はね、アイラ。君が今回の陰の主役だと思って期待してるんだよ!」

 ……アイラ?

 全員が顔を向ける中で、藤田紗友莉は目を見開いたまま下を見た。

「どういうことですか?」

 葵先輩が浮かない表情のまま尋ねる。男は肩をすくめた。

「どうって、そのまんまの意味だよ。彼女は前途有望な女優の瀧川アイラだ。え、聞いたことないの?」

 わたしたちは顔を見合わせた。誰も知らないようだ。

 男は大げさに残念そうな表情を作る。

「えー、残念だな。最近はたまにテレビにも出ていたのに。とにかく彼女は、君たちの行動が大筋から逸れないように制御し、あるいは逆に複雑化させるための重要な因子として参加してもらった。本当は藤田マユリに妹なんかいないんだけどね。ふむ……まあ確かに、途中からはほとんど役に立っていなかったようだね。残念だなあ。秋から始まるクイズ番組はうちもスポンサーになっていて、君ならレギュラー回答者になれそうだったのに」

「あ……あ……あの……っ」

 藤田紗友莉―アイラは震えたまま顔を上げた。

「つ、続けます。……頑張ります」

 男は満足そうに彼女を見下ろし、わたしたちの方に視線を戻した。

「やれやれ、まだ目が覚めていないようだねえ」

 男はふざけた調子で、目を覚ませと言わんばかりに、わたしたちの前でパンッと手を叩いた。

「これはゲームだと言っているでしょう。ただのゲーム。つまり、ドッキリ。まあちょっと強引だったのは認めるけどね。でもここでの君たちの行動データを基にして、傘下のゲーム開発部門は、前作よりさらにリアルで没入感の高い、つまりより満足度の高いゲームを、プレイヤーに提供できるというわけだ。前作のホラーゲーム、楽しかっただろう、横井修君。君たち動画で散々楽しんでる様子を実況してたじゃないか。でもあれには、実はもっとすごい裏設定があってね」

「は……あ?」

 いきなり名指しされて、横井修は最初こそ戸惑っていたものの、だんだん表情を険悪にして椅子から立ち上がった。

「おま、ふざけんな。何がゲームだよ、ドッキリだよ。タカシはシャッターの細い隙間に引きずり込まれたんだ。シューイチはあんな高いフェンスの上から落下したんだぞ。死んだに決まってるだろ。アホか!」

「それで君は、二人の遺体を見たのかい?」

 男の声がいきなり冷静なものに変わった。横井修は息を吸い込んだまま、言葉に詰まる。

「見え……るわけねえだろ。シャッターの内側に引き込まれたんだから。シューイチはフェンスの外側に落ちたし……」

「でも君たちは職員室に回り、シャッターの内側である職員室前の廊下にも出たはずだ。遺体はあったかい?」

「五年前の事件だって遺体はなかった。ただ消えただけだ」

 葵先輩がかわりに答えた。

「でも三人は戻らなかった。遺体のあるなしは、今回に限っては問題にならない。それとも僕たちが集団で幻でも見たと言いたいんですか?」

「そう、その通り!」

 男はわが意を得たりと言わんばかりに満面の笑みで葵先輩を指さし、ついでに握手しようとその手を開いて差し伸べたが、葵先輩は握らなかった。

「ま、一つ一つ説明していこう。弁当を食べながら聞いてくれたまえ」

 男は残念そうに手を引っ込め、そう言った。


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