第19話 放送室(6)




〈逆ですね〉

 本池美月は落ち着いた声で答えた。

〈私が彼と手を組むことを望んだのです。彼の力がなければ、フェンスの内側には入れなかった。私は何がレナを消し去ったのか、何がわたしの大事なレナを奪ったのか、絶対に突き止めたかった。命に代えても。ええ……私はレナの双子の姉です。両親が離婚した時、レナは母に、私は父に引き取られました。酷い両親。私もレナもIQは180近くあったのに、母はレナに、小さな女の子が難しいこと言うと新しいパパに嫌われるよ、と封じたそうです。私なんかもっと酷かった。毎日本ばかり読んでいると病気になると、唯一の友達だった本を全部取り上げられた上に、『月奈』と書いて『ルナ』なんて読みにくくていじめられるかもしれないと、今の『美月』と名乗るよう強制された。―『月奈』と『玲奈』。唯一の繫がりだったのに〉

 本池美月―ルナの声は、怒りのためだろう、震えていた。知らなかった。私には、いつもおどけて笑っていたレナの記憶しかない。

 呼吸を整えようとしてか、数秒ルナは間を置いた。

〈だから……いつもフェンスの外から校舎を見ている私に、ようやく彼が声をかけてきた時は、震えるほど感動しました。ずっと待っていたのだから。彼は言いました。『他の消えた子の友達も兄弟も、怖がって誰も校舎には近づかなかった。でも君は勇気がある。そんなに中が見たいなら、一度くらい見せてあげてもいいのだよ。大丈夫。自分にはそのくらいの力はあるからね』。だから私は、それなら三人の消えた子供の近親者や関係者、事件に関心のある子も含めて全員呼んで現場を検証するツアーをしたい、と提案したのです。彼にわたしの意図を見抜けたかどうかは分かりませんが、ネームプレートを着けさせる、私自身は絶対に招待者に姿を見せず会話もしない、を条件に、同意しました。彼もまた、いつまで経っても諦めない私や、あの事件のことを蒸し返している、あるは今後蒸し返しかねないあなた達を始末し、ついでにわたしたちをモルモットとして、あのバケモノの習性を見極める実験ができることに、興味を感じたのかもしれません。気づいていますか? もし私やあなた方が全員消えてしまっても、騒ぎにならないかもしれないことに。あなた方は誰にも知らせないでここに来ているし、知らせていたとしても、佐々木梨歩さんのお母さんの例から分かるように……しばらく家族は消えたことを変だとも思わないかもしれない。変だと気づいたとしても今回は、この学校とは結び付かない。彼のすることはいつも完璧です〉

「何が完璧だ!」

 横井修が、頭を抱えながら怒鳴った。

「何が全員消えても、だ。おまえが一番卑怯じゃねえか。実際にはおまえだけ安全な放送室にいて、逃げ回ってるのは俺たちだけだ。俺たち全員が餌食になるのを、おまえは高みの見物してるだけじゃないか。おまえの身勝手で俺たちがどれだけ酷い目にあってるか分ってんのか。もう五人、犠牲になったんだぞ。はっきり言うが、死んでるんだぞ!」

〈ええ、分かっています。放送室は聖域ではありません。私たちはたぶん、全員死ぬでしょう〉

 あまりにも当然のようにルナが答えたので、さすがの横井修も口を開けたまま、何も言葉が出ないようだった。

 わたしもまた、死の恐怖が足元から冷たく這い上がってくるのを感じて震えた。茜がしがみついてきたが、しがみつきたいのはわたしの方だった。葵先輩の表情もさらに厳しくなる。

〈それは想定内です。なぜなら、私にとってこの集まりの目的はただ一つ。複数の人間を巻き込むことによって、わずかでも彼の完璧に破綻を生じさせること。ただそれだけですから〉

「破綻はすでに生じている。これ以上犠牲を払う必要はない」

 葵先輩が言うと、ルナの笑い声が微かに聞こえた。

〈そうですね。そうかもしれない。……でもあなた達はもう五人の犠牲者を出してしまった。その責任は確かに私にあります〉

「誘拐犯の理屈に惑わされるな。一番悪い奴は、君をここまで追い込んだ奴だろう。誘拐犯はこう言う。『子供が助からないのは、親のあんたたちが身代金を用意できなかったからだ。ひどい親だ』でもどう考えても、一番悪いのは当の誘拐犯なんだ。少なくとも君は誘拐犯じゃない!」

〈ずっとあなた達を、クズだと思っていました〉

 ルナは独り言のように言った。

〈大切な人がいなくなっても、普通に他の友達と遊んで、勉強して、スポーツをして、動画を見て笑って、おいしく食事もできて……信じられない。憎んでさえいました。でも……今日ようやくこの校舎に入って、あなた達と同じ雨音を聞いていたら、なぜかとても満ち足りた気分になってきました。……やっと、レナに会える。私が望んでいたのは、結局それだけだったのかもしれません〉

「ルナ、ルナ、ダメ。そんなこと言わないでよ! このドアを開けてこっちに出てきて!」

 再びドアを揺すりながら、ユウキが叫ぶ。

 ルナは笑った気がした。

〈愛内勇希さん。残念ですが、私はここから出られません。もし出て行っても、今の私の顔にレナの面影を見つけることはできません。毎日学校にも行かず廃校の校舎に通う私に業を煮やした両親は、もう忘れなさいと言って、私を遠方の叔母のところに転校させようとしました。こんな両親本当に要らないと思ったので、家に火をつけました。計算どおり両親は消えてくれたけど、思ったより火の回りが早く、私も顔に大やけどを負ってしまいました。本当に……完璧な計算の破綻なんて、実はいくらでもあるものなのですね〉

「顔なんかどうでもいいから出てきて。僕の姉さんでしょ!」

 絶叫するユウキを押しのけて、横井修がドアの前に立つ。窓ガスを割る時に使った石をもう一度シャツに包み直し、力任せにドアノブにぶつけた。

 しかし今度はびくともしなかった。

「打ち付けにして、本当に彼女を閉じ込めたのかもしれない。廊下に回ろう。彼女を閉じ込めた奴が最後に廊下側のドアから出たのなら、廊下の方が壊しやすいはずだ」

 テツさんが言い、横井修とともに廊下に走り出る。

〈私も少し疲れました……〉

 廊下から響く騒音の中で、ルナの声はほんの少し弱々しく聞こえた。

〈この縛られた姿勢でマイクに向かっていることにも、隙間を見ないように、あなた達の映るモニター画面から絶対に目を逸らさないようにしていることにも……疲れました。話すべきことは全て話しました。破綻の行く末は、もし誰かが生き残るなら、その誰かに見届けてもらえば……〉

 そうだ。ようやく気づいた。狭い放送室の中は多くの機械と棚で埋まっている。隙間だらけだ。

「ねえ、もう少し頑張って!」

 わたしは叫んだ。

「もうすぐそこから助け出すから!」

〈いいの、助けてくれなくても。怖くないわ。だってバケモノ……というより、あれはあらゆる意識を持つものに干渉し、時にはエネルギー源として吸い込む意識共有体のようなものに、私には思えるのだけど……その中にはレナの意識も必ずあるんだもの。……ああ、早くレナに逢いたい。小さい頃のレナはいたずら好きで、いつも笑っていて、でも嘘をつくのは苦手で……〉

「ダメだ!」

 いきなり葵先輩が走り出し、ドアを叩いた。

「過去を見るな。記憶にとらわれてはダメだ! 目をモニターに戻せ!」

 ゴギュッ

 スピーカーから、異音が漏れた。わたしは両耳を塞いだ。嫌だ、もう聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない!

「い……ゃああああああああっ!」

 耳を塞いでいるのに、背後から錯乱したのではないかと思えるほどの絶叫が遠く聞こえた。藤田紗友莉だった。床に座って叫び続けている。この状況なのに、ひどく冷静な感想が浮かんだ。

 ああ、やっぱりこの子は三階で、この音を一人で聞いたんだ……

 バンッという大きな音が手のひら越しに響いて、廊下側のドアが開いたのが分かった。その後はもう、何の音もしなかった。

 静かだ。

 あれだけいろいろなことがあったのに、結局残ったのは遠い雨音だけだった。これは本当に現実だろうか。長い悪夢を見ているだけではないか。ドアを離れゆっくりと近づいてきた葵先輩が、わたしが耳を覆っていた両手をはずす。雨音が一気に近くなり、わたしを否応なく現実に引き戻す。

「見に行こう」

 先輩は掠れた声で言い、藤田紗友莉を助け起こし、廊下を指さした。

私は茜と抱き合いながら、恐る恐る廊下に出た。

 廊下はあの人喰いシャッターの裏側に当たる。引きずり込まれた戸田高司の体があるのではと緊張したが、そんなものはなかった。机に引き込まれた高塔萌音と同じだ。二人は直接あのバケモノに呑まれたわけではなかったが、ルナの言うように、やはりどこかで空間が繋がっている気がした。荒唐無稽な考えだとは分かっていたが、荒唐無稽な事ばかり起きているのだから、考えがおかしくなるのもしょうがないと思った。

 雨音の響く暗い廊下にテツさんと横井修が立ち、無言で放送室の中を見ている。

 壊れたドアの向こうは暗かった。唯一薄明るいモニター画面の光に照らされて、埃をかぶった機械類と、開けられないように金属金具が大量に打ち付けられた職員室側のドアが浮かび上がる。

 モニターの前には硬い教室用の椅子。その背もたれを白いロープが幾重にも緩く巻き、輪の端が座面に垂れていた。もう誰も座っていない椅子の上には白いネームプレートが一つ。⑩と書かれていた。

私は放送室に一歩踏み込み、硬い座面に手を伸ばした。まだ、温かい。しかしそれ以上中に入ろうとすると、葵先輩に引き戻された。

「危ない。ルナの二の舞になるよ……」

 同じように中に入ろうとしたユウキは、テツさんに止められた。ユウキは声を上げてその場に泣き崩れた。

 わたしは……クズじゃない。

 雨音を聞きながら、わたしはルナに言われた言葉に反論してみた。怖くて廃校になった校舎に近づけなかったのは事実だが、レナのことを忘れたことは一度もなかった。

 ホントに……?

 あの赤い封筒が届いた時、自分は何をしていた。エアコンの効いた部屋で机に宿題のプリントを開いたまま、うたた寝していた。少なくともあの時、自分はレナのこともフジニで味わった恐怖も、忘れていた。

あれほど明瞭な記憶を……

 雨音に異音が混じった気がしたのは、その時だ。


 キッ、キキキ……


 全員音の聞こえた方から飛び退いた。

「な……何?」

 茜が再び私の腕にしがみつく。

 昇降口側のシャッターだった。あの人一人を呑み込んだ人喰いシャッターが、笑うように隙間を広げ、上に開き始めたのだ。


 え……


 光が眩しい。

児童用の昇降口も南北の廊下も、いつの間にかすべての照明がつき、煌々と照らされている。しかも廊下の向こうからは人の声がしていた。あのバケモノの意味不明の大量の声ではない。ちゃんとした日本語の、にこやかな大人の声だ。「毎度ありがとうございます」とか、「さすが会長。考えることが違いますねえ」とか。合間には笑い声も混じる。しかも……

 いい匂いが漂ってくるのだ。ステーキか焼肉のような。

「何だこれ……」

 横井修が毒気を抜かれた声で呟く。

全員がそう思っているに違いない。葵先輩でさえ、目を見開いて何も言えないでいるのだ。

 声は会議室の方から聞こえてきた。

 わたしたちがどうしていいか分からないまま立ち尽くしていると、会議室から一人の人物が現れ、わたしたちの方に向き直る。

「待っていたよ、君たちがここに戻ってくるのを」

 その人物は感慨深げにわたしたちに向かって両手を差し出し、そう言った。


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