第18話 放送室(5)
〈この学校の西に位置する庚申さんを祀る山『小富士さん』が、いつの頃からか天狗山と呼ばれるようになったことはお話ししました。しかし天狗山に白い岩はありません。堀川弥太郎が『不二五国文書』を記した江戸時代末期には既に『正直定め』の風習はなくなっていましたが、弥太郎は実際に山を歩き回ったのち、残念ながら古文書にあった白い岩は見つからなかったと、友人に書簡を送っています。その後、弥太郎は山の周辺の林の中まで探す範囲を広げました。ただ……〉
そこで思わせぶりに、本池美月は言葉を止めた。
〈弥太郎は確かに書簡に『林』と書いているのですが……変ですよね。天狗山の西にはこの広い丘があります。周辺全てが林ではありません。調べてみると興味深いことがわかりました。堀川弥太郎が生きた江戸時代末期、ここに丘陵地があったことを示す資料は見つからなかったのですが、それより前の時代。時をずっと遡っていくと、このような記述が見つかります。西の郷の村々に囲まれたこの一帯は緩やかなすり鉢状の窪地となっており、その中央に白い岩が見えていた……〉
窪地……?
「どういうことなんですか?」
わたしは小声で葵先輩に尋ねた。先輩は厳しい表情のまま、わずかに首を横に振った。
「おそらく窪地には長い時間の間に周囲の土が流れ込み、それとともに白い岩も埋まって、『正直定め』の風習もすたれたのだろう、とは推測できる。しかしそれだけでは、わずか二百年かそこらの内に今のような丘になった説明がつかない。たぶん弥太郎の頃にも、ここはもう他よりは高めの土地にはなっていたと思うが……」
〈堀川弥太郎は林をさまよううちに姿を消し、二度と戻ってくることはありませんでした〉
本池美月は続けた。声にはどことなく寂しさを感じた。
〈誰も捜索はしなかったようです。そのころすでに弥太郎は秀才というより変人として周囲に距離を置かれており、そのうえ当時この辺りでは神隠しが多くあり、山中でも家の中でも『人が消える』ことは珍しくもなかったと、別の文献には書かれています。人々はそれを神様に気に入られたのだからと考え受け入れた、と。……弥太郎が友人に宛てた最後の書簡には、不二五国文書を書いた理由が綴られています。これは真実に近いとは思うが、あまりにも荒唐無稽であり、到底受け入れられるものではない。よってあるがごとくの物語として伝えられるのみであろう……〉
はーっ、と大きな溜め息が聞こえた。横井修だった。
「で、結局おまえは何が言いたいんだよ。消えた奴らを助けようとしなかった周囲の奴らに対する恨み言か。だったらさっきも言ったが、俺は関係ねえからな。それともお化け屋敷付きの歴史考察探検イベントか。だったら絶対当たらないね。とにかく話が長えんだよ、おまえは。長すぎて、もう聞いてる奴なんか誰もいねえ。これ以上その眠すぎる話を聞いてほしいなら、まずいなくなった奴ら全部元に戻せよ。人に文句言うんだったら、まずお前が助けてみろよ。おまえの方がよっぽど犯罪者じゃねえか。全員元に戻せよ、人殺し!」
横井修の怒鳴り声が消えると、室内には数秒、静寂が訪れた。誰もしゃべらなかった。本池美月も。
数秒。
〈そうですね。ええ、私もそう思います。どうして助けられなかったのだろうと。世界中を犠牲にしても、絶対に守りたかったのに……。話が長くなってごめんなさい。でもあと少し。あと少しで……全て終わるから〉
え……
何か違和感を覚えた。今なんとなく、彼女が微笑んだような……
「まずい」
テツさんが呟いた。
「彼女は死ぬ気かもしれない。もしかしたら、俺たちを集めたその時から」
ユウキが息を呑む。ユウキは最初にテツさんが開けかけたドアに飛びつき開けようとした。
ガチッ
開かなかった。職員室から放送室に入るドアにカギはなかったと記憶しているので、あとから本池美月が取りつけたのかもしれない。廊下側にもドアはあるが、そちらは放送委員以外の児童が勝手に入らないよう、普段から施錠されていた記憶がある。
「ルナ!」
ユウキはなおもドアを引っぱりながら叫んだ。
「ルナ、もう止めよう。出てきて。あなたはレナの姉妹のルナだよね。小さい頃、レナは時々『あたしの大事なお月様』に会いに、母さんと二人で出掛けていた。僕も一緒に行きたかったけど、いつも父さんと二人で留守番。ただ、帰ってきたレナはいつも最高に幸せそうで、それから、月を見上げる時はいつも『知ってる? 月はルナって言うんだよ』と僕に言っていた。だから僕はレナが大好きだったけど、いつも『お月様』にはかなわないんだと悔しくて、でも憧れてた。ねえ、僕たちはレナを救う仲間でしょ。みんな誰かを救いたい、一緒の仲間じゃないか。そんなところに閉じこもっているなんておかしいよ。出てきてよ、ルナ!」
〈……愛内勇希さん。あなたについては、確かに多少申し訳なく思っています〉
本池美月は静かな声で答えた。
〈愛内レナが消えた時、あなたはまだ幼稚園児。何もできなかったとしても、さすがに責任は問えません。しかしすべての近しい人を呼び出すのに、あなただけ特別扱いして外すわけにはいかなかったのです。ごめんなさい。……では、話しを元に戻しましょう〉
「ルナ!」
ユウキは叫んだが、もう本池美月は自分が何者かも含めて、何も話す気はないようだった。
〈まるで禁断の土地のような歴史を持つこの丘ですが、明治以降の状況は一変します〉
本池美月は再び話し出した。声は、冷酷なほど無機質なものだった。
〈鉄工所や製紙工場が建てられ、村は町へと変わり、多くの人々が流入し、そして赤鬼伝説も天狗様も神隠しも、すべての古いものは忘れ去られました。丘には大きな病院ができました。戦争の大空襲でも焼け残り、この小学校ができる数年前まで地域の拠点病院として利用されてきました。丘陵と病院の所有者である院長一族は巨万の富を築いたともいわれています。一体誰なのか、もう想お気づきかもしれませんね。領仙家。堀川弥太郎の友人であった男の子孫であり、現在大藤市で―いえ日本で最大のテック企業であるBENTENを傘下に持つBENTEN・HDのオーナー一族。そしてその代表が、病院の跡地をほぼ無償で市に提供し、小学校を建てた立役者、領仙修吾です〉
それがあの、優し気な声と表情の、丸みを帯びた男の名前なのか……
私はぼんやり考えた。何度かテレビでその人を見たことはある気がした。母は、大藤市で一番偉い人なのよと言っていた。市長さんだって逆らえないの、と。なぜ、その時、彼があの日学校でぶつかった人物だと気づかなかったのだろう。なぜ、こんな大事なことを忘れていたのだろう。
〈なぜこれまで気づかなかったのか、という顔ですね。萩原未央さん〉
見透かすような口調で本池美月が言った。
〈おそらく校門を開けた三人も、覚えていないと思いますよ。彼は顔を覚えられない人物として有名なんです。会えば分るが、後で思い出そうとしても思い出せない。他にもまるで新興宗教の教祖か何かのように様々なことを予言し、しかもそれがことごとく当たるので、側近にはとても恐れられているそうです。……そんな彼の栄華も特殊な力も、すべて彼がこの囲いの中で飼っているバケモノに起因するとしたら……バケモノのコントロールに必要な白い岩を掘り出すために、この盛り上がった丘を掘削整地する小学校の建築が最適だったとしたら……そして今もまだバケモノをよりよく制御するための実験の最中だとしたら……真実は、もう目の前にあるとは思いませんか?〉
本池美月は長い溜め息をついた。
〈でも、私の話はここまでです。私にもうこれ以上説明できることはありません〉
「あるよ」
葵先輩だった。
「君は一番大事なことを、説明していない」
葵先輩は履いていた黒いジーンズのポケットに手を突っこんだまま、ユウキが手を掛けているドアをじっと見て言った。先輩はいつも神経質そうで、時には不機嫌にさえ見えたが、これほど絶望的な表情を浮かべているのは初めて見た。
「そこまで突き止めていたのに、なぜ君は全ての裏にいる張本人と分かっていながら、その張本人の誘いに乗った」
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