第17話 放送室(4)





 そうだったんだ。

 私はうずくまって泣いている茜の肩を抱きながら、三人の、目配せはするがよそよそしい、おかしな様子を思い出した。

〈事件よりは一時間も前ですが、放課後は外出しない決まりなのに、三人の少女が学校の比較的近くにいたのが目立ったのでしょう。複数の住民が目撃していました。ただ警察の聴取の後も、何の進展もなかったことから、事件につながるような情報は何も得られなかった。つまり三人は事件にかかわりはなかった、ということになります〉

 その時、本池美月は笑ったような気がした。

〈ではなぜ、彼女たちはこの集まりに参加したのでしょうか。私はこの集まりに誘う案内を送った時、この三人にだけは別の文面を書きました。『来なければ、あなた達のしたことを晒す』と。もちろん晒す内容など、私にはありません。でも三人は来たのです〉

「……来てどうなった。三人ともバケモノに呑まれたんだぞ。そうでなくても脅迫文も、盗聴器も、おまえさんのやってることは全部違法行為だ。本当にそこまでする必要があったのか?」

 テツさんが表情を厳しくして尋ねる。

〈もちろんです〉

 本池美月の言葉はよどみない。

〈実際に彼女たちが何をしたのか知るためには、この方法しかありませんでした。しかもあなたの言う『バケモノに呑まれる』ことこそが、その最大の必要条件でした。本当に理想的な展開でした。だから……分かったのです。『正直定め』。そこでずっと黙っている真嶋葵さんなら、知っているのではありませんか?〉

 葵先輩は、確かに黙っていた。

私たちが振り返っても、一番後ろで着ているシャツの端をユウキに握り締められたまま、黙ってじっと立っていた。それから小さく溜め息をついた。

「『正直定め』……というのは、昔各地で行われていた、正しいことの判定方法の一つだ。今のように証拠や証言を集めて立証するのは難しく、占いや祈祷師に頼んだり、時には中世の魔女裁判のような方法もあっただろうと思う。ではこの辺りで行われていた『正直定め』とはどんな方法かというと、嘘をついている、あるいは何か掟破りをしてそれを隠している、と思われる者を三日三晩白い岩に繋ぎ、天狗山の天狗様に喰わせる。ここで重要なのは、天狗様は普段、人に理解できないことしか言わないが、人を喰った直後は『喰った者の真実を話す』ということだ。いわゆる残留思念のようなものかもしれない。三日三晩経って無事だったり、喰った天狗が言う真実で疑いが晴れれば、その者は正しかったということになる」

 一体どれだけの人がその『正直定め』をさせられたのかと考えると、ぞっとした。

 赤い天狗があのバケモノだとするなら、白いネームプレートが白い岩と同質のものだとするなら、三日三晩経って無事ということはあったのだろうか。喰われて疑いが晴れても、喰われた者が戻ってくることもなかったに違いない。

「あたし、ずっと気になってたんだけど……あのバケモノの言うこと、途中から変わったよね」

 茜がようやく顔を上げ、消え入りそうな声で呟いた。私も気づいていた。たぶん、皆気づいていたのではないか。最初はまったく意味をなさなかった、あのバケモノの大群衆のような声。しかし気がつくと何か同じ言葉を何度も繰り返すようになっていた。高塔萌音が机に吸い込まれ、佐々木梨歩がバケモノに呑まれたあたりから……


 わがじぎゃごぶもんじょあげだぎょ


 わたしが……こふもんしょ……あけたきょ……


 私が、校門を、開けたの。


「なんで?」

 頭を抱えたまま茜が呟く。

「校門さえ開いていなければ、お姉ちゃんも、お姉ちゃんの友達も……あたしだってあんなこと言わなかったのに……」

〈一つの仮説を立てることは可能です〉

 本池美月の声が無機質に響いた。

〈第二の人間消失事件が起きた後、学校は放課後必ず校門が閉められ、誰も残ることは出来ず、警察が頻繁に巡回し、児童の外出も禁止されました。……しかし決まりを破って外出する子供はいたはずです。三人は同じ地区から通っていて……そして、万引き友達でした。佐々木梨歩が大きな一戸建てに住んでいるのに比べ、残りの二人は古い団地住まいで家庭環境には差がありましたが、小遣いがない、あるいは家にはお金があるのに無駄遣いは厳しく制限されている、という理由から何度も三人で万引きを繰り返し、補導されたこともあったのです。そんな理由から佐々木梨歩だけは私立中学に進学して、関係を断っていたようですが……。とにかくその日、三人は学校に近い場所で待ち合わせをしました。目立ちますが、すぐに商業施設にでも移動するつもりだったのでしょう。いつものようにお金がないという話をしていると、一台の車がそばに止まります。車から顔を出した人物が、小学生にとっては高額の紙幣を見せてこう言います。『君たち、僕の願いを聞いてくれたらこの小遣いをあげるよ。なに、面倒なことじゃない。午後四時になったら、そこの小学校の正門を開けておいてくれたらいいだけだ。校舎の時計を見たら時間は分かるだろう。鍵が掛かってるって? 大丈夫。先生たちは、今日はうっかり鍵をかけ忘れてるんだ。パトカーもその時間にはここの巡回はしないから、見つかることはない。じゃあ頼んだよ。もし開け忘れたら……君たちの身に何が起こっても知らないよ』……もちろん、ただの仮説ですが〉

 人物……

 また記憶の中の何かが揺らいだ。

「未央ちゃん、どうしたの?」

 葵先輩の心配そうな声が遠くで聞こえる。頭の中で意味を成すまで、しばらくかかった。私は両手で口を押えたまま、ゆっくり顔を上げ、先輩を見た。

「先輩……わたし、その人物……知ってます」

 言った途端、心臓が跳ね上がった。

 そうだ。わたしはこの人物を知っている。顔も定かではないが、わたしもこの人物に話しかけられた。どこで? 学校の中だ。わたしは急いでいた。そう、忘れた傘を取りに行かないといけないから。そしてこの人物にぶつかった。ごめんなさい、と頭を下げるとその人物は穏やかに笑った。


―いいよ、いいよ。そう、忘れ物をしたの。じゃあ傘を取ったら、すぐに校舎を出るんだよ。それ以外に何かを見てはいけないよ。何かをしてもいけないよ。


 穏やかな、男の声。そうだ、校長先生と話していたのも、その男だ。本池美月はこの男のことを言っているに違いない。仮説に出てくる人物の話し方は、あの時の男の話し方そのものだった。とすれば本池美月もまた、この男を知っているのではないか。

〈すばらしい。ああ、うれしいですね。どんどん真実に近づいてきました〉

 本池美月の声は、高揚していた。

〈そうだと思っていました、萩原未央さん。校門が都合よくその時だけ開いていたはずがないように、あなたの性格からして、友達を見かけたら、声をかけないはずがない。そこには何らかの力が働いていたに違いないと分かっていました。つまり、あの三つの人間消失事件のうち、この人物がかかわっていないだろうと思われるのは、第二の事件だけです。この人物のことを言っても反応しなかった真嶋葵さん。あなただけは、やはり自分の意志で平田翔さんを無視したのですよね。なるほど、探偵ごっこも時にはいいものですね〉

 葵先輩は、スピーカーを眺めたまま反応しない。本池美月はやはり、葵先輩にウソつき呼ばわりされたことで相当プライドを傷つけられたのだという気がした。葵先輩に話しかける時だけは、わずかに感情が表に出ている。

「意志とか無視とか、勝手に決めつけるような言葉を使うな」

 テツさんが苦々しげに言う。

「気にしなくていいからな、葵」

 本池美月は、ふふ、と笑った。

〈そうですね……話を元に戻しましょう。皆さんお気づきのとおり、三人を呑み込んだバケモノ―天狗様は、私が校門を開けた、としゃべり始めた。これは仮説ではない事実です。ではなぜ天狗様はここにいるのでしょうか。文献を見ると、かつて赤鬼として恐れられたバケモノは、やがて白い岩とセットで語られる『正直定め』の天狗様へと祭り上げられていったことが伺えます。もちろん『正直定め』の犠牲者は、再びバケモノが暴れださないための贄としての役割も持っていたことでしょう。ではその白い岩とは、一体どこにあるのでしょうか〉

 まるで原稿を読むように、滑らかに本池美月が続ける。

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