第6話 2年5組(1)


 



 僕は、案外冷たい人間なのかもしれない。

 そう気づいたのは、いつの頃だったか。小学校に上がる頃にはもう分っていた気もする。

 誰かが勘違いしたり間違えると、他のみんなはすぐにそれを指摘したり、修正しようとしたり、囃したてたりする。だけど僕は誰かのミスや思い違いに気づいても黙っている。それを優しいという人もいるけれど、やはり違うと思う。もちろん、いじわるでもない。

 ただ単に、僕には関係ないから黙っているだけだ。

 黙っていることで、そいつが結果的に大きな不運を背負い込むことになったとしても、やはり僕には関係ない。

 しかも、こんな性格を僕が持っていることを、周囲に気づかれないようにするのも、それほど難しいことではなかった。ほんの少し相手を気に掛けているような素振りをすればいいだけだ。例えば、登校班で車道にはみ出した下級生を注意するとか……

 だから僕が学級委員をしている組に、平田翔という転校生が来た時も、後で少し声をかけて「何でも分からないことは聞いてね」とでも言っておけば合格点だと思った。

 でも、その必要はなかった。

 あの時平田君は笑っていた。幸せそうに。だから、もう友達がいるのだから、声掛けは必要ないと思って通り過ぎた。通り過ぎてから、これは絶対変だと気づいたのに、それでも引き返さなかった。だって……

 僕には、関係なかったから……

 ただ、同じ登校班だった萩原未央の場合は違うと思う。

彼女は本当に急いでいて、声を掛けたくても掛けられなかったのだろう。登校班でも、同じ学年の数人の女子で話しているのだが、全員に平等に気を遣いつつ会話しているので、結局、見る限りどの女子のグループにも入れていない。真面目というのか不器用というのか。しかも自分が浮いているということにあまり自覚がないようで、いつも周囲に合わせて笑顔。メンタルが強いのかもしれないが……ちょっと笑う。

 だから、もし彼女がこの手紙に応じてフジニに来るとしたら、きっと一人で来るだろう。彼女は声を掛けなかったことを、絶対後悔しているはずだし、それに関して来るか来ないか判断するために、誰に相談する必要もないからだ。それに相談しようとしても、あまり誰の顔も思い浮かばないんじゃないかな。

 ほら、やはり一人で来た。

 と思ったら顔見知りらしい誰かが寄って来た。まるで同窓会みたいに笑顔で話している。ふうん。周囲に合わせて笑顔でいるのと、本当に嬉しくて笑っているのとでは、やはり違うんだな。

 ならば僕は、一度だけは彼女たちに引き返すよう忠告しよう。僕は……この集まりがどのようなものになるか薄々分かっているし、それは彼女たちの笑顔に似合うものでは到底あり得ない。でも、それでも参加すると二人が言うなら、もうそれ以上は止めない。

 なぜなら、もうそれ以上は、僕には関係ないから。



「大丈夫だよ。万一このまま暗くなっても、ここにいる十名以上の子供が実際に家に帰らず所在も分からない、なんていうことになったら、必ず騒ぎになる。赤い封筒が届いた子供の中には、ここに参加しなかった者もいるだろうから、すぐにここにいると見当をつけてくれるだろう。それに……」

 取り囲む私たちを見渡しながら、葵先輩はなだめるように小声で言った。よほど私たちが皆酷い、絶望的な表情をしていたのだろう。

 まさに絶望的だった。わたしはまだ一度も人の死を近くで見たことがなかった。遠方に住んでいた祖母が既に亡くなっているが、電話で知らされただけなので、実感はなかった。逃げ場のない状況で、これほど死が―しかもこのうえなく無惨な死が目の前で起き、しかもそれはすぐ自分の身にも訪れるかもしれないのだ。

 五年ぶりに入る二年五組の教室は、本当にあの時のままだった。何も変わっていなくて、むしろ怖かった。混乱を描き出すように机も椅子も勝手な方向を向いていて、ひっくり返っている椅子もある。しかしそれ以外はきれいな新校舎のままだ。明日またこのクラスだったみんなが普通に登校してきても、何の不思議もない。

 レナがそこにいても、何の不思議も……

「とにかく……教室には来たものの、まだ放送は始まらない。もし反対者がなければ、とりあえず今回の参加者名簿を作ろうと思うんだけど」

 葵先輩は言った。

「一体どの範囲まで赤い封筒が届いたのか知っておきたいし、番号を書き出せば、何割くらいが実際にここに来たのか分かるだろう」

「その前に……一ついいか」

 一番後ろに立っていたテツさんが、人差し指を立てて言った。

「階段を上ってきたところにも、防火シャッターの設備があった。あれも下ろされたら俺たちの動ける範囲はさらに狭まるぞ」

「……あれか。僕も気になってましたよ」

 葵先輩とテツさんが教室を出て行くと、一緒にいたいのか、多くの参加者が後に続いた。わたしは残った。

 あの黒板横の戸棚を見る。戸は大きく開いていた。担任の先生が、隙間を作らないよう開けた記憶があった。その中はやはり何もない。

 息が苦しい。夏なのに、肌寒く感じて、Tシャツの袖から出ている腕をさする。窓の外を見ると雨は小降りになっていたが、空はなお一層暗く、宵闇が迫っている気がした。こんなところで夜を迎えるのは絶対イヤだった。なぜ本池美月という人は、この教室に皆を集めながら、なかなか話し出さないのだろう。気が狂いそうだった。自分たちは本当にモルモットなのか。だから二人はあっけなく死んだのか。だとしたら、自分も……


 そうだ。あの時……誰か、もう一人いた。


「未央。大丈夫?」

 ふいに茜の心配そうな声が聞こえて、古い記憶の底から浮かび上がりかけたものは、一瞬で霧散した。

「あ……うん……」

 顔を上げると、茜の肩越しに、葵先輩とテツさんが机を二個廊下に出すのが見えた。

「何をするの?」

 尋ねると、茜も不安そうに振り返る。

「シャッターが完全に下りないように、下に机を置くんだって。移動できる場所を徐々に狭められて、追い詰められるのが、一番良くないって、テツさんが……」

 茜もよく分からないまま言っているようだったが、わたしも「追い詰められる」のが実際には何を指すのか、思い浮かばなかった。思い浮かべたくないのかもしれない。既に私たちは校門の中に閉じ込められている。ただ校舎の階段は南北に一カ所ずつある。一方が閉ざされてももう一方が使えるはずだ。待て。ダメだ。もし両方シャッターが下りたら、わたしたちの逃げ場はもう三階しかなくなり……

 でも逃げるって、何から。

「未央ちゃん。何か書いてもいい紙かノート持ってる?」

 教室に戻ってきた葵先輩にそう言われ、わたしは「友達と一緒に勉強する」ためにバッグに入れていた、真新しいノートを差し出した。

「もし嫌じゃなければ、全員のプレートの番号と名前、学年、それから事件との関係性を書き出しておこう。そうすれば大体どの範囲にあの赤い封筒が届いたのか分かるし、僕たちが集められたわけも、推察しやすいと思う」

 近くにあった椅子に座り、机の上にノートを開きながら葵先輩は説明した。

 結果は、奇妙なものだった。


①  萩原未央 中一

②  真嶋 葵 中三

③  難波 茜 中一

④  愛内勇希 小五

⑤  平田 哲 高二


 ここまでは事件の目撃者や被害者の兄弟だ。直接の関係者と言える。


⑦ 佐々木梨歩 高一


 塾の時間を気にしていた女の人だ。彼女は三人目のマユリの組の、学級委員だった。

 え、それだけ?

 わたしは茜と顔を見合わせた。ショートカットの髪がキリリとして見える彼女は確かに責任感が強そうに見えたが、ただそれだけのかかわりで参加するのかと、不思議だったのだ。

「あたしは……ただ、本当は何があったのか知りたかっただけ。でも、やはり来るべきじゃなかった……」

 佐々木梨歩はそう呟いた。腰の辺りに回した手の先がガクガク震えていた。


 ⑪ 戸田 高司 中二

 ⑫ 古橋 愁一 中二

 ⑬ 横井 修  中二


 この三人はフジニの卒業生でさえない、市内の別の小学校の出身だった。半年ほど前、何かの流れでフジニの事件をSNSでネタにしたところ、彼ら曰く大バズりしたので、それ以降三人で関連するネタを探しては動画をアップするようになったのだという。シャッターに吸い込まれたタカシは、まるで自分たちが被害者のようにスピーカーに向かって怒鳴っていたが、単に書き込みにあったことを代弁しただけだと、横井修は言った。

「事件の頃はまだ俺たち小さかったし……もう五年も経ってるから大丈夫だと思ってたんだ。……まさか、こんなことになるなんて」

 黒板を背にして立った小柄な横井修は、抜け殻のような表情でそう言った。他の二人は……タカシはシャッターに呑み込まれ、愁一はフェンスから転落して、おそらく死んだ。


⑧  高塔 萌音 高一

⑨  白川 詩  高一


 この二人はマユリのクラスメイトだった。なぜ参加したのかは二人とも説明しなかった。二人ともうつむき加減で、最低限のことしか言わない。そしてよく見ると、時々学級委員だった佐々木梨歩と目配せしあっている。しかし二人が直接彼女と話したり、近寄ったりすることはなかった。

「⑥と⑩が抜けてるのか……。しかし思ったより……」

 そう呟いたまま、葵先輩は黙り込んだ。沈黙の理由は分かるような気がした。もし赤い封筒が届いたのがこの十三人だけだとしたら、参加しなかったのはたった二人ということになる。夕暮れまでに私たちが帰らなかったら、参加しなかった誰かが気づいて、このフジニにいることや赤い封筒のことを大人に言うだろう、という可能性が低くなる。

「ここにいる誰か、友達や家族に今日ここに来ることを言ったとか、メモやメッセージを残して来た人はいる?」

 葵先輩が尋ねたが、誰も首を縦に振る者はいなかった。

「すごい出席率だな」

 テツさんは苦笑いするような声で言ったが、目は笑っていない。

「どうやって調べたんだか。もし14番以降の番号がなければ、ものすごくピンポイントで、絶対参加しそうなヤツにしか封筒は送られなかったことになる。それどころか残った番号のどちらかが本池美月なら……」

 テツさんも、わたしたちも全員黙り込んだ。

 残りの一人が動かなければ、わたしたちがここにいるとに……一体誰が気づいてくれるのだろう。

「ねえ、もう一人いなかった……?」

 小さな雨音だけが続く薄暗い教室で、ふいにその声は聞こえた。

言ったのは一番後ろにいた愛内レナの弟、ユウキだった。全員が一斉に振り返る。ユウキは教室の入り口に立ち、レナと同じ癖毛の髪の下からレナと同じ大きな目で、私たちを不安そうに見上げていた。

「もう一人……?」

 葵先輩が聞き返す。ユウキが頷いた。

「女の子。みんなから少し離れた場所にいて、肩までくらいの髪で半袖シャツにカーキ色のハーフパンツ。みんなと一緒に階段を上ってた気がしたけど、いつの間にか姿がなくなって……」

「やだ……。変なこと言わないでよ……」

 佐々木梨歩が震える声で言う。

「でもそういえば……あたしも見た」

 私の横にいた茜が言い出した。

「確かに印象は薄いけど、でも普通に怖がってたし、悲鳴も上げてたような……」

「じゃあ今いったいどこにいるの。この教室のどこにもそんな人いないでしょ!」

 むきになった声で、梨歩が茜を問い詰めた。声は震えたままなので、恐怖が彼女を怒らせている気がした。

 茜は黙り込んでしまう。

 どうするべきなのだろうと思った。わたしは沈黙したままの葵先輩を見た。その人を探しに行くべきなのか。しかしこんな単純構造の校舎の中で、迷子になったはずはない。だとしたら……

 ガリッ、とマイクが動く音が響いた。



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