第4話 校門(2)
茜の言ったとおりだった。
フェンスの扉が開いているだけでなく、五年ぶりに見る校舎の正面口も、確かに網目のある防火ガラスの嵌った扉が開き、七、八人の中学生前後に見える子供たちが、雨に濡れないよう、中に入って立っている。
同窓会のように話が盛り上がっているようなグループは皆無だった。それぞれ視線を逸らしながらも、お互い様子を伺っている感じだ。ここにいるのが皆事件の直接の関係者や被害者の身内なら、久々に再会したとしても、喜ぶような雰囲気でないのも分かる。それに……
わたしは家を出る時母についてきたウソを思い出した。
―友達と夏休みの宿題を一緒にやるの。少し帰りが遅くなるかもね。
ほかの子たちも、多かれ少なかれそんなウソを言って出てきた気がした。誰にも知られないように、と書いてあったし、正直に話しても、きっとダメの一言で否定される。最悪、大人がこの場に乗り込んできて、この集まり自体を潰してしまうかもしれない。それはやはり嫌だった。
ただ、ウソをついてまでここに来たことが本当に正しかったどうかは、分からなかった。皆もそう思っているなら、その迷いが、周囲を伺うような今の空気を作っている気がした。
「雨が当たるかもしれないけれど、なるべく入り口の近くにいよう。いざという時に……すぐ動けるように」
いざという時が何なのかは分からないが、葵先輩がそう小声で言うので、わたしも茜も防火ガラスの嵌った扉のすぐ近くに立った。
「これが、ただのいたずらや冗談でないことは分かったけど……」
葵先輩がさらに声を低くして呟く。
「問題は、この集会の主催者が僕たち参加者に好意的かそうでないか、ということだ。仕掛けが大き過ぎる……」
いきなりゴソッ、というマイクを取るような音が天井から響いて、わたしたちは一斉に上を見た。
〈皆さん。雨の中よく来てくださいました。私は手紙を出した本池美月です〉
天井の照明の横にスピーカーが設置されていて、声はそこから聞こえてくる。声の印象は私たちと同じ十代のようで、あらかじめ用意された文章を読むように淡々としていた。
〈これから私は、皆さんと一緒にあの事件……警察さえ解き明かせなかったあの事件を、通常の捜査とは全く別の観点から再検証して、私も皆さんもずっと求めていたあの事件の真実にたどり着きたいと考えています。ところで皆さん、手紙に同封したナンバープレートを持参して下さいましたか? プレートはこの検証に参加する大事な資格証明です。必ず服の見えやすい所につけてください〉
全員がゴソゴソと衣服のポケットやバッグの中を探り、あの番号の書かれたプレートを取り出して、顔を見合わせながらも服につける。
「あのー、この……検証ですか、どのくらいで終わるんですか。私夕方から塾があって、欠席すると面倒なことになるんですけど」
誰かがスピーカーに向かって声を上げた。こちらの声も相手に届くと思ったらしい。それにつられたように、他の参加者からも声が上がり始める。
「まったく別の観点って、どういうことですか?」
「美月さんはやはりこの学校に通ってたんですか。どうしてこの集まりを企画したんですか。事件の関係者なんですか?」
「どーして直接姿を見せないんだよ!」
ひと通り皆が思っていることを言い、再び静かになる。
葵先輩が反応を伺うようにスピーカーを見上げ、わたしと茜も見上げた。しかし数秒後に聞こえた本池美月の声は、やはり作文を読むように淡々としていた。
〈では、みなさん。まず最初の消失……私はあえてこれを失踪ではなく、人間消失事件と呼びたいと思います……最初の人間消失が起きた、2階の二年五組の教室に行き、事件を思い出しつつ検証していきましょう。南階段を使って教室に移動してください〉
グッと息をのんだ。
あの教室……
ドクンドクンと心臓が音を立て始める。動きたくない。あの教室には、まだレナが……
ただ、他の参加者たちもすぐには動かなかった。何か反応があると期待していたのに肩透かしを食らって、顔を見合わせている。
「こちらの声は届かないみたい。録音を流してるだけなのかな」
茜が呟くと、葵先輩が上を見たまま首を横に振った。
「いや、やはり僕らの映像も声も届いているし、直接どこかでしゃべっていると思うよ。みんなの言葉が終わるまで間があいていたし、それに……」
「最初に『この雨の中……』と彼女は言ってましたよね」
すぐ近くに一人で立っていた、まだ小学生ではないかと思うような小柄な男の子が口を挟んできた。
「僕は……この本池美月という人はやはり近くにいて、僕らと同じこの雨の音を聞きながら話しているような気がします」
同じ雨を……。それは思いつかなかった情景だった。葵先輩も、おや、という表情で少年を見る。わたしは外を眺めた。軒下から見える外の雨は今が一番酷いらしく、叩きつける雨粒が白い靄を作っている。そして本池美月も近くにいて同じ雨音を聞いていると思うと、なぜか少し心が落ち着いた。
振り返り、あらためてこの少年を見ると、どこかで見たことがあったような気がした。
「君は……?」
少し身を屈めて尋ねる。
「愛内ユウキ。レナの二歳年下の弟です。一度家に遊びに来ましたよね」
そう言って大きな目を細めて笑った。本当にレナそっくりだった。レナが大きくなっていたら、やはりこんな風に人懐こい笑みを浮かべるだろう。
「僕、どうしても姉ちゃんが消えた理由を知りたくて」
「そっか……。そうだよね」
わたしは完全に自分を取り戻した気がした。レナの弟の、こんな小学生も参加しているのに、自分が怯えているわけにはいかない。それに今は一人ではない。茜も葵先輩も一緒にいるのだ。
ユウキの番号が3だった。これで1から4の番号までは、全員参加したことになる。
「この近く、と言うなら……やはり放送室だよな」
わたしたちの会話を聞いていたらしい男の人が、近くで呟いた。葵先輩と同じくらい背が高いが、ほっそりした先輩に比べると、体格は一回りしっかりしている。
「ああ、ごめん」
わたしたちが見ているのに気づくと、その人は困った様子で癖毛の頭を掻いた。
「やはり主催者……か、その代理人なのに直接出てこないのはおかしいなと思って。僕は平田テツ、高二。つまり、翔の兄」
あ……、と小さく葵先輩が声を上げる。
テツさんの番号は5、だった。
「そうだよ。やっぱり主催者が出てこないのはおかしいだろう。なんでシャッターが下りてんだよ」
誰かがテツさんの言葉に呼応するように、少し大きな声で言い始める。それは確かにわたしも正面口を入った時から気になっていたことだった。
東の正面口には児童用の昇降口と教員来客用の玄関口があり、その先には横に伸びる南北の廊下と、事務室、放送室、職員室などが集まる西方向への廊下がT字型に続く。その西方向に向かう廊下だけが、なぜか防火シャッターで閉じられているのだ。わたしたちを集めておきながら、まるで拒否するように。
「出てこいよ!」
近くにいた少年が、いきなり足でシャッターを蹴り上げた。びくともしないが、派手な音は雨音の響く校舎内でも、消されることなく響き渡る。シャッターの向こうの放送室にも響いているはずだ。
「手紙を読んだ時から、胡散臭いと思ってたんだよ。何が勇気と友情だ。この学校にいた奴らが感じてたのは、もっと単純なことだろ? 恐怖だよ、恐怖! 旧校舎に移ってからもしばらく、次は誰がいなくなるんだろうって恐怖が消えなかった。あの事件の真相が分かってると言うなら、今すぐここに出てきて言えよ。もったいぶってシャッターの影に隠れてる、一番勇気も友情もねえ、ヘタレの本池美月さんよ!」
そう言い放つと、その少年はシャッターの下にわずかにあった隙間に手を入れて、上に押し上げようと引っぱり始めた。横にいたもう一人の少年も同じように引っ張り上げようと隙間に手を入れる。
シャッターはガタンガタンと派手に音をたてたが、実際にはほとんど動かなかったように見えた。
「もう止めなよ、あんたたち。うるさいよ。そんなことしてもしょうがないでしょ」
見かねて横にいた少女が声を掛ける。塾があるので、とスピーカーに向かって話しかけた少女だ。
二人の少年はどうしても動かないと分かるとシャッターから手を離したが、最初に文句を言っていた少年は、シャッターの向こうがどうなっているか、どうしても知りたかったらしく、床に伏せるように転がり、隙間に顔を寄せた。
床とシャッターの、わずかな隙間に。
ドクン……と心臓が再び小さく跳ねるのを感じた。
これ……大丈夫……?
今の今までうるさく耳に響いていた雨音が消える。代わりに聞こえたのは階段を駆け上がる音だ。わたしは置き忘れた傘を取りに急いで校舎に戻り、息を切らして階段を駆け上った。ようやく教室前の廊下にたどり着いたら、まだ教室にはレナが残っていて、何もないはずの戸棚に顔を近づけ、閉まり切っていない戸の隙間を覗いて……笑っていた。
変だよ。そう、絶対に変だ。あそこで笑うのは変!
シャッターの向こうを覗き込んでいた少年の口元が、ほんの少し上向きに上がる。
笑うように。
ダメ……ニゲテ……ニゲテ!……逃げて!!
ごぎゅっ、という鈍い破裂音とともに、覗いていた少年の頭がシャッターの隙間に引きずり込まれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます