第3話 校門(1)




 翌日は雨だった。大雨というほどではないが本降りだ。傘を差しながら歩いていると、時おり路面にたまった水が跳ねて靴が濡れる。

 やはり来なければよかったと思った。絶対ふざけている。こんなものに参加しても得るものは何もない……と思いながら来てしまった自分に腹が立つ。本当にどうかしていると思った。道が緩やかな上り坂に変わると、さらにその気持ちは強くなった。

 この坂道だ。

 ぞっとするほど鮮明に記憶が蘇る。五年前、わたしは期待を胸に抱いてこの坂を登り、恐怖とともに駆け下りた。

 小学校は小さな山の東側に位置する、なだらかな丘の上に建てられていた。大藤第二小学校、というのがその正式名称だ。通称はフジニ。近隣の小学校2校が合併してできたばかりの新設校で、もちろん校舎も新校舎だった。

 東向きの校舎は明るく、児童数も倍増して、賑やかだった。皆が喜んでいた。

 レナがいなくなるまでは。

 こんな雨の日だった。

パトカーのサイレンがひどく大きく聞こえたのを覚えている。響き続ける何台ものパトカーのサイレン。翌日から集団登校には大人が付き添うようになり、下校時もよくパトカーに出会った。最後の目撃者だった私は何度も警察に事情を聞かれた。でもレナは見つからなかった。

 その三か月後には、来たばかりの転校生もいなくなった。今度は校舎内で。レナの時は、わたしが最後に見たのが放課後だったので、消えたのはその後の帰り道かもしれない、という推測が成り立った。しかし転校生の場合は授業前のごく短い時間だったので、校舎内だと断定されたのだ。

 大騒ぎになった。

 犯人が見つかるまでは登校させないという親が増え、教室内はスカスカになった。学校の周辺だけでなく校庭や校舎内も警察官が巡回するようになり、犯人探しも盛り上がった。実は警察官とか、実は児童の親とか、実は先生とか、裏山に祀られている神様の祟りだ、というのもあった。それでも私の家のように共働きや商売をしている家は、まだ子供を通わせていた。通わせるほかなかったのだと思う。

 第三の失踪事件が起きたのは、わずか四日後だ。

 唯一近くで子供が消えるところを見た、という五年生の女の子は、大人からとても責められたらしい。

 犬に引っ張られたなんて、ウソを言うんじゃない。放課後、学校の校門は必ず閉めていたんだ。入れるはずがないじゃないか。学校の周りだって一日中警察が巡回しているんだ。誰もいなかったはずがないだろう。第一、そんなことありえない。溝の蓋の隙間を覗き込んで……そんな……

 目撃者の女の子は、警察の聞き取り中に、言うことがおかしくなり、そのまま病院に入院した。しばらくして退院したが……今も学校には通えていない。

 三つ目の失踪事件のあとは誰も登校しなくなった。緊急の対策として、市はまだ解体前だった旧校舎を再び使うことを決めた。

真新しかった新校舎は、今では「幽霊学校」とか「亡霊学校」と周辺の住民から呼ばれているそうだ。立ち入り禁止の札が貼られたフェンスに囲まれ、新設のまま何に利用されることもなく、捨て置かれている。わざわざ丘を登って近づく者もなく、私も数回近くの国道を通った時に、高いフェンスに囲まれた校舎を遠目に眺めたことがあるだけだった。

 こんな雨の日に、あんな廃墟の前で何を言うつもりなのだろうと、不信感は増すばかりだった。それとも……もしかしたら、行ってみたら誰もいなくて、「残念でした。こんなの信じるなんてバカじゃない?」みたいなメモがフェンスに貼られているだけ、とか。たぶん、そうだ。その程度のいたずら。

「え……」

 しかし小学二年以来の、小学校の正門に向かう最後の角を曲がったところで、わたしの予想は大きく裏切られた。

 門を覆うフェンスの前には既に、数人が傘を差して立っていたのだ。

 皆わたしと同じ中学生か、同程度の年齢に見える。その中にはぼんやりと顔を覚えている者もいた。フジニで一緒だったのだろう。一体どれだけの人数の生徒にあの赤い封筒が届いたのだろうと思った時、数人のうちの一人が私の方に走ってくるのが見えた。

「萩原さん!」

「難波さん……」

 中学で同じクラスの難波茜だ。グループが違うのであまり話すことはなかったが、小学校も同じフジニから旧大藤第三に通った。三番目に失踪した五年生を唯一目撃したという難波鈴音の、妹だ。

「萩原さんにも来たんだ。赤い手紙」

「うん」

 茜はとてもほっとした表情で私を見た。五人ほどの仲良しグループの中でも、黙っていることの多い茜は、おかっぱに近い地味な髪型とも相まって、いつもひときわ気弱そうな感じに見えた。誰かと一緒にいないと安心できないタイプ。その茜が一人で来ているのだから、やはりあの事件はそれほど深い傷を皆に残しているのだろう。まして茜の姉は目撃者で、今も家で療養中だ。

「いつも一緒の子たちは?」

 私が尋ねると、茜は首を横に振った。

「何か変な手紙来たか聞いたら、何それって……。フジニに通ってた子皆に届いたわけじゃないんだね」

「そうなんだ……」

 わたしにも同じフジニだった友達は複数いたが、聞けなかった。他の子にとってはもしかしたら過去のことになっていて、行かないよ、あんなの信じるの、と軽く言われたら、それはそれで傷つきそうな気がしたのだ。届いていない子も多いのなら、やはり聞かなくてよかったと思った。

「ねえ……。本池美月って、知ってる? そんな子いたかな」

 私がたずねると、茜は無言で首を横に振った。やはり茜も心当たりがないらしい。

 一体、誰……

「未央ちゃん」

 いきなり後ろから名前を呼ばれて、私は飛び上がった。聞き慣れない男の人の声だ。振り向くと青い傘を差しながら、白いシャツを着た背の高い少年が坂を上ってくるのが見えた。

 真嶋葵。

二番目に失踪した四年生を、最後に見たのが彼だった。家が近所で登校班も同じだったので、わたしの名前を憶えていてくれたらしい。二学年上で、彼が中学に入ってからは姿を見ることもなかったが、今年同じ公立中学に入ってみると、中三になった彼は模擬テストで全国トップクラスの順位を取る秀才として名を知られていて、正直驚いた。小学校の登校班では、痩せていて、少し神経質そうで、ともすれば道路にはみ出しそうになる下級生を不機嫌な声で注意しながら、つまらなそうに先頭を歩いていた、くらいの記憶しかない。

「やはり未央ちゃんも来たんだ。そっちは?」

「……難波茜さん。最後の事件の目撃者の妹さん」

 茜がぽかんと葵先輩を見上げているので、私が説明する。

普通に声を掛けてくれたことに、実は少しドキドキしていた。背も高くなったし、学校一の秀才だし、顔立ちも大人っぽくなっているので、まるで特別な人から声を掛けられたような気がする。

「なるほどね……。門の前に集まっている人数を見ると、フジニに通っていた子供全員に赤い封筒が届いたわけじゃないようだけど、事件の関係者やそれに近い人には、たぶん必ず届いているんだ。それに事件にかかわりの深い人ほど、気になって来てしまうだろうね」

「はい。私も本池美月という名前に心当たりはないし、最初は手の込んだイタズラだと思って、来ないつもりだったんですけど……」

「僕もだ。ただあのナンバープレート……」

 葵先輩の番号は、2。わたしは1が刻まれたプレートを、上着のポケットに入れた手紙から取り出して見せる。

 茜の番号は、4。

 3は……誰?

「実際……イタズラとしても、よくできていると思うよ」

 葵先輩は大人っぽく苦笑いしながら言った。

「このプレートで手紙を捨てようとして、思いとどまってしまったんだ。翌日という時間指定にしても、ふざけるな、行くもんか、という初志を貫けるほど短くなく、かといって自分で必要十分な情報を集めて判断できるほど先でもない。ちょうど迷って、行けばとにかく何か分かるんじゃないか、というくらいの間を置いてるしね」

 葵先輩の解説は、わたし自身の心の中を言われているようで、複雑な気分だった。ただその一方で、ここに来るまでの気の重さが半減しているのも確かだった。茜ではないが、やはり人は親しい人や顔見知りと一緒の方が安心するらしい。それが校内一の秀才といわれている人なら、なおさらだ。

 葵先輩が門の方に目をやる。

「じゃあ、この参加者は僕たちを含めて七人くらい、ということなのかな」

「いいえ……もっといます」

 ふいに茜が蚊の鳴くような声で言った。

「え?」

 わたしも葵先輩も茜を見る。茜は門の奥を指さした。

「雨が降っているから、もう五人くらいは校舎の正面口の中に入ってます。門のところに立っているのは、待ち合わせしている人を待ってるんじゃないかな」

「開いてる……?」

 私達の立っているところからは見えにくいフェンスの出入り口の辺りを、葵先輩は信じられない様子で見つめた。

「開いてるって……校舎は敷地も含めて高いフェンスに覆われて、門のところに入り口はあるけど、鍵が掛かっているはずだ。もちろん校舎の入り口も」

 茜は首を横に振った。

「でも、本当に開いてます。校舎正面口の扉も開いているのが見えました」

 葵先輩が困惑した様子で茜と門を見比べる。葵先輩が気になっているのはもちろん、鍵は市が管理しているはずなのに、誰がどうやって開けたのかということだろう。それは今回の集合をかけた手紙の発送者、本池美月が誰なのか、ということにも通じる疑問に違いない。

「どういうことなんだ……」

 門の前にいた数人が、フェンスの中に入り始めた。葵先輩がスマホを取り出して時間を確認する。三時一分前。

「時間か。……じゃあ、とにかく僕は行ってみるよ。でも……なんとなく未央ちゃんたちは一緒に来ない方がいい気がする。ナンバープレートが入っているのに気づいた時から思っていたことだけど、ただの……子供の思いつきではないかもしれない。もちろん来なくても、何を聞いたか後で必ず知らせるから」

 そう言うと葵先輩は、雨脚の少し強くなった坂道を再び歩き始めた。

 わたしは……それでも後を追いたかった。ここまで来てやめるなんて、無理だ。

「難波さんはどうする?」

 尋ねると、茜もうなずいた。

「茜、でいいよ」

「じゃあ、あたしも未央で」

 わたしが言うと、茜がにこっと笑った。茜が笑うのを見たのは初めてだった。結構人懐こい感じでかわいい。急に友達になった気分で、わたしは茜と一緒に葵先輩の後を追った。先輩は一度だけ振り返ったが、もう何も言わなかった。

 私は、忘れていた。覚えていたつもりだったが、やはり少し遠い記憶になっていた。どれだけそこが恐怖の場所だったか思い出すべきだった。

 わたしと茜はこの後際限なく後悔することになる。

 せっかく警告してくれた葵先輩を、こんな仲良し気分で追ったことを。

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