第31話★王子アーノルド・シャルル

アーノルド王子は、シャルムカナンテ王国に君臨するステファン王とモミナ王妃の間に生まれた第二子で、深紅の髪と黄金色の瞳が美しい絶世の王子だった。

後継者は第一王子のダニエル・シャルル殿下だが、ダニエル王子は少々軟弱で肝心なことを決められないきらいがあり、むしろ王の素質はアーノルド王子にあると言われている。十五歳のダニエル王子と十歳のアーノルド王子は仲が良く、年も離れているので、本人たちの希望は、ダニエル王子が安泰して王位を継ぐというものだった。そうなると、周囲は不憫になるもので、素質があるのにどうにかならないものかと、再三、王に打診し始める。

困った王は、ならば試してみようと、あれやこれやとおよそ十歳の子どもには達成できない無理難題を押し付けてみるのだが、残念なことに、アーノルド王子は天賦の才で要領よく、そして器用になんでもこなしてしまう。容姿に加え、頭脳も肉体も完璧となれば、周囲はますます黙っていない。

特に、月夜会のような王公貴族が集まるような場所ではそれが顕著に現れる。

打算と計算で作られた仮面貴族の相手にうんざりしたのか、それとも優しい兄が逃がしてくれたのか。どちらにせよ、アーノルド王子は一息つける場所を探して、静かな裏庭の方へ足を運んだのだった。

まさかそこに、真っ赤なドレスの少女がいるとは夢にも思わなかっただろう。



「アーノルド王子様」



可憐な声に名前を呼ばれて、「げ」と、正直な感想を飲み込んだアーノルドは、歩いてくる少女に微笑みかけると気合いを入れ直した。



「エリー・マトラコフ令嬢。今夜は月夜会にご参加下さり、ありがとうございます」


「いいえ。今年はアーノルド王子様にお会いできて、とても嬉しいですわ」


「昨年は事故で大変でしたね。どうでしたか、この一年は。安心して過ごせましたか?」


「安心かどうかわかりませんわ。お父さまは、私のことをエリーたんと呼ぶ変態になりましたし、ゴンザレスはディーノがいなければ、卵を取らせてくれませんもの」


「ゴンザレス?」


「王家からお預かりしている妖獣のゴンザレスですわ。今は私よりも大きくて、卵もこんなに大きいんですのよ」



自分の顔よりも大きい卵をジェスチャーで表すエリーに、アーノルドは少し違和感を覚える。一年前、いや、初めてエリーにあった五年前から感じていた「苦手」が、今夜はあまり感じない。それどころか「この一年でわかったことがあるんです」と自信満々に見つめてくる瞳が綺麗だとすら思ってしまったらしい。

「それは何ですか?」と、エリーの話を聞く姿勢を見せ、内緒話をするように顔を寄せたエリーの方へ耳を近づける。



「私が育てると、イチゴも卵も美味しくなるんですのよ」


「え?」



聞き間違いじゃなければ、繁栄の血族と称され、蝶よ花よと大事にされている深層の令嬢が口にする言葉ではない言葉が聞こえてきた。



「育てる、ですか?」


「そうですわ。毎朝水やりをすると、段々と赤くなって、これくらいの実がぶら下がるのです。それをぶちっと千切って、あ、ぶちっというのはお父さまがそう言って取る方が美味しくなるとおっしゃったので、私、イチゴを取る時だけはぶちっぶちっと声に出すようにしましたの。それで、千切ったばかりのイチゴを口に入れると、それはもう、とてつもなく美味しいんですのよ。ここだけの話、今夜のケーキに乗っていたイチゴより美味しいですわ。最近ではロタリオが温室の調整を」


「ロタリオ?」


「ロストシストのロタリオですわ。口は悪いけど、腕は確かです。魔導回路研究所でも指折りの魔導師候補生で、私が知る限りでは最高の魔力量を誇っていて、キルが瀕死のときは魔力を与えて助けてくれたので、結果的にダスマクトの魔素汚染はなくなりましたわ」


「キル?」


「ケラリトプスのキルですわ。ディーノのお友達ですの」



そして後方に視線を促したエリーの動作につられて顔をあげれば、大抵の人間であれば腰を抜かす魔獣がそこにいる。獰猛な爪と牙を持ち、分厚い鱗と鋭利な瞳は、崇高な伝説上の生物を物語っているのだから無理もない。

アーノルド王子が間抜けな顔で、それを眺めてくれたら、まだ年相応の男の子だと安心できた。けれど、完璧王子は呆けることも、逃げることも、腰を抜かすこともなく、ただ単純に感心した息を吐いて「これは、凄いですね。初めて見ました」と、微笑んだ。



「先ほどからいうディーノとは?」


「私の専属騎士ですわ。先ほども私を誘拐犯から守ってくれて、守ってくれたのはロタリオもハイドお兄さまも、一緒で」



いっきに喋りすぎるエリーの唇をアーノルド王子の指が制する。たった二本の指に抑えられてピタリと黙ったエリーは、傍目で見ても、恋する女の子そのものだった。

顔がみるみるうちに赤くなって「申し訳ありません。喋り過ぎましたわ」と雰囲気だけで反省している。けれど、実際はその心配はなかった。



「誘拐ですか?」



憧れの王子は、エリーを心配するようにその黄金色の瞳を黒曜石の瞳の中に覗き込ませて来る。



「心配いらねぇよ、アーノルド」


「この人が、エリー様の言ってたアーノルド王子様?」


「二人とも失礼だよ。アーノルド王子すみません。ここはマトラコフ伯爵家の名に置いて、穏便にお願いいたします。特に、そこの妹には後でよく言って聞かせますので」


「ハイド、久しぶりですね。妹君はこの一年で随分と見違える成長をなさったようで」


「ええ、本当に予想外の成長をしました」



にこりと穏やかに見えて、目に見えない火花が散った気がするのは、気のせいだと思いたい。人当りの良い笑顔を端整な顔で補って、余りあるほど美しい絵面にも関わらず、腹の中が真っ暗だとは信じたくもない。年齢が二桁になったばかりの少年たちが、すでに透明なチェスを繰り広げるなど、末恐ろしくてたまらない。

そんな二人を横目に、ロタリオは脳内お花畑のエリーの元へ足を運ぶ。



「おーい、エリー。まったく、愛しの王子さまに唇を触れられたくらいで固まってんなよな」



聞かなくても、エリーの顔を見れば一目瞭然。大興奮の妄想劇場のせいで、エリーはしばらく現実世界に帰ってこれそうにない。それを「いつものこと」だと、認識して安心したのか、今度はディーノが爆弾を投下した。



「エリー様は唇に触れたくらいじゃ固まらない」


「なんで、んなことお前が知ってんだよ」


「エリー様が前に触らせてくれた。そのときは、大丈夫だった」


「はぁ!?」


「エリー、どういうこと。他の男にこの愛らしい唇を奪わせたの?」


「ハイド、素が出ていますよ。ですが、わたしも気になります」


「なんで、アーノンが気にすんだよ」


「ロタリオ、アーノルドはアーノンじゃない」


「今は、んなことどうでもいいんだよ。ディーノはちょっと黙ってろ」



エリーの周囲は騒がしさを増していく。黒曜石の瞳は未だに愛しのアーノルド王子しか映していないらしく、うっとりと頬を染めて、照れまくっているのだから手に負えない。

代わりに、少年四人は団子状態で底辺の言い争いを繰り返していた。

それでもいつかそれも終わりが来る。この場合、終止符を打ったのはアーノルド王子だった。



「それは気になりますよ。エリーは、わたしの婚約者なのですから」

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