第16話★お父さまのお願い
「旦那様、本当にお会いにならなくてよろしかったので?」
「いや、お前、あんな怖い女に会えるか!?」
「ご自分が口説きおとした奥方でしょう?」
「そりゃ、エリーたんが史上最高に可愛いから、母親が美人なことは認める。けど、怖すぎるぞ、あれは」
ぶるぶると震える伯爵は、現金なことに、妻の乗った魔導車が去っていったのを確認してから戻ってきた。どこへ隠れていたのか。恐らく、パクを駆使して隠れでもしていたのだろう。
自分の主人の有り様に、執事は重い息を吐き出す。
「旦那様、奥様は旦那様を思い、一身で公務に当たられているのです。今回戻られたのも、あなた様の元気な顔を見たかったのですよ。心配なさっていたのでしょう」
「そうは言っても、なあ?」
「同意を求められても困ります。ダスマクト鉱山などと、廃坑地域は治安も悪いというのに、本当に行かなくてよろしいのですか?」
「いま、なんて?」
「ですから、本当に行かなくてよろしいのですか、と」
「違う、その前。ダスマクト。どこかで聞いた、1953年、エリーの七歳最後の日、やばいぞ、セバス」
「なにがヤバ………っ、はぁ。まったく、坊っちゃんは我が主ながらそそっかしくていらっしゃる」
どこか懐かしい瞳をして、執事は部屋を飛び出していった主人を思う。向かう先に思い当たる場所があるにはあるが、奥方に命令された以上、放置することも難しい。
「怒られる身にもなっていただきたいものです」
年相応の苦渋を滲ませて、セバスも後を追いかける。その先は、やはり娘の部屋に突撃した伯爵が目撃できた。
母親の説教タイムのせいで、遅い朝食をとっていたエリーのもとへ、ヒューゴが飛び行ったのは数分前。ここ数ヵ月で突然の父親の来訪にも慣れたのか、エリーは絵画に映るような所作のままフォークで突き刺したベーコンを口へ運び、息を切らす父親を無垢の顔で見下ろしている。
「エリーたん、今日の勉強はなしだ。今日、いや、今日からはちょっと、オレを助けて欲しい」
「助ける?」
「可愛い、じゃなくて、そう」
「何をすればよろしいの?」
食事を終えた小さな口は、ナプキンで口をぬぐって、レリアが入れてくれたお茶を口へ運ぶ。こくりと可愛らしい音が鳴って、エリーはようやく父親の話を聞く姿勢をみせた。
「研究所へ付いてきてほしい」
「旦那様、それはなりません」
目を輝かせたエリーとは対照的に、使用人たちの顔が一斉に曇る。理由は聞かなくても、なんとなくわかるような気がした。
「解雇したロストシストの処遇で、魔導回路研究所は今現在も緊迫した空気が満ちています。それに、旦那様とお嬢様はロストシストに襲われたのですよ。しばらくはお勧めしません。カール様からも止められております」
「それは、いつまで?」
「最短でも、ダスマクトから戻られるまでは、難しいかと」
「それじゃ、ダメだ。ダスマクトで爆発事故が発生する。カールとリリアンを助けるためには早い方がいい。闇雲の産声に火のパクが反応して一斉に発火する。エリーたんの誕生日前日だから、あと、何日だ。えっと、そう四日。あと四日で、それを阻止する」
焦って言葉にならないヒューゴを疑心暗鬼な目で見つめるのも無理はない。ダスマクトといえば、パク鉱山の廃坑で廃れたものの、気候は穏やかで魔物の発生率も少ない。治安が悪いのは景気が悪いせいで、それでも領主の妻と息子だけで訪れるくらいには平和な地域。そもそも『闇雲の産声』などは聞いたことがない。
あと四日で得たいの知れないものを防ぐなどと言い出した伯爵を使用人たちの誰もが冷たい目で見つめていた。ただ一人、好奇心が旺盛な令嬢を除いて。
「お父さま、やみくものうぶごえって何ですの?」
「エリーたん。闇雲の産声というのは、魔物発生地点のことだよ。魔物は魔素溜まりの水や空気を体内に取り込み、進化した獣の総称だ。魔獣や妖獣ともいう。ダスマクトは廃坑から地盤が不安定になり、魔素が溜まりやすくなっていた。魔素の匂いを嗅ぎ付けた獣が集まり、耐性のない植物や動物が死んでいってるはずだ」
「そんなこと、初めて聞きましたわ」
「エリーたん。オレは、公式設定集から製作秘話、裏設定集、単独キャラ本に至るまで、舐めるように買い漁り、暗記するくらい読んだから間違いない」
「こうしき?」
「さあ、エリーたん。行くぞ」
半ば強制的に一同が連行された先は、パク技術の最先端を行く魔導回路研究所。シャルムカナンテ王国の王都にある巨大な研究施設の管理責任者はマトラコフ伯爵で、エリーはもちろん初めての来場だった。
「だ、旦那様!?」
研究所の前にいた門兵らしい入場管理者たちが驚くのも無理はない。事件以来屋敷に引きこもっていた伯爵が突然、それも溺愛する娘とその使用人たちと一緒にお忍びで訪れたとなれば、ハチの巣をつつくより混乱は明らかだった。
「急ぎの要件だ。すぐに出来る奴を集めろ」
「は、はい。かっ、かしこまりました」
敬礼をして、案内役を買ってくれたその中で一番偉そうな人の後に続いて、一同は研究所の中に足を踏み入れる。洗練された最先端の施設のはずなのに、どこか歴史的で、妙な雰囲気に包まれているのは魔法という見えない物質のせいなのか。いうなれば、おどろおどろしい。禍々しいというべきだろうか。王都の中にあって、異空間のように切り離された世界に、自然と体に緊張が走った。
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