第17話★魔導回路研究所
魔導回路研究所は、古い図書館のような造りで、地下一階、地上二階の巨大建築物として王都でも目立つ場所にある。都会にあるとは言え、非日常な物質を扱う研究所。そこは、パクによる遮断魔法の効果が働き、穏やかな時間と静寂な空間で満たされていた。歴史ある建物は、広大な敷地の中央に鎮座し、左右対称の棟を携えたコの字型でエリーたちを迎え入れていた。案内されたのは、中央棟の二階、一番広い会議室。ここにたどり着くまでの間に知り得た情報では、たくさんの本と石を運び込んだ個室が等間隔で設けられ、そのどれもに研究員は引きこもり、中で様々な研究がされているようだった。西棟で火と水、東棟で風と光の四原則をそれぞれ研究しているらしい。左右に挟まれた中央棟には一部、一般人にも解放されている巨大な資料室があり、コンサートホールのような発表用舞台がある。今回は、会議室という比較的変哲のない場所。エリーは外面がいいので、大人しく座っている。むしろ、好奇心を隠せていないのは、なぜか通いなれているはずの、ヒューゴ・マトラコフのほうだった。
「んんん」
扉から入ってきたばかりの白衣を着た偉そうな年寄りが、無言の圧力を咳払いにのせて飛ばしてくる。近付いてくる眼力にも年齢の重みが乗るのか。しかし、ヒューゴはにこりと笑って、彼に挨拶を求めた。
「そんなに怖い顔でにらむな。エリーたんに挨拶してくれ」
「初めまして、エリー様。わたくしはシシジと申します。皆からはシシ爺と呼ばれてますゆえ、気軽になんでもお申し付けください」
「ひっ、あなた、ロストシストじゃない。レリア、今すぐ追い払ってちょうだい」
青ざめた顔で席から立ち上がり震え出したエリーに駆け寄ったレリアは、なんとも言えない顔をする。それもそうだろう。数ヵ月前にロストシストに襲われたのは、ヒューゴとエリーの乗る魔導車だった。
「よくもロストシストが私の前に堂々と姿を現しましたわね」
小さな指でそう叫ぶと同時に、シシ爺の後ろからエリーと同じ年頃の小さな男の子が飛び出してくる。
「爺ちゃんをバカにするな」
「ロタリオ。やめなさい」
飛び出してきた男の子の頭に手を乗せて、シシ爺はヒューゴとエリーに向かってひざまずく。
「お許しください、マトラコフ伯爵。ロタリオに悪気はございません。先日の一件で、ロストシストはますます肩身が狭くなっており、みな、気が立っておるのです」
「いや、悪いのはエリーたんだ」
「は?」
ポカンと口を開いた形で止まったのは、シシ爺だけではない。レリアの腕のなかで震えるエリーもその一人だった。
「お父さま、なぜ、なぜ私が悪いんですの。お父さまを襲ったロストシストですのよ」
七歳の少女は涙をためた目で父親を見つめる。それを「エリーたんは優しいんだからぁ」と、崩れた笑顔を浮かべたものの、ヒューゴはキュッと顔を引き締めた。
「悪いのはロストシストではない。自分の実力を他人のせいにした犯人であって、彼らには何の関係もない。むやみに恐れたりしてはいけない」
「でも、あの日からお父さまはおかしくなってしまわれたわ。ロストシストが呪いをかけたのよ。私の大好きなお父さまを変態にされて、関係ないですって。同じ魔法使いなら、それこそ魔法で元のお父さまに戻しなさいよ」
この場の空気を代弁するなら「返答に困る」の一言だろう。どちらの言い分にも納得できる事情はあるが、前半を父親に向かって、後半をシシジとロタリオに向かって叫んだエリーの方が分が悪い。なぜなら、ここの最高責任者がヒューゴであり、世間一般の正論だけで判断するならヒューゴの方が的を得ているから。
私情は、この現場では関係のない話。
「それでも彼らには関係ない。誰が敵で、味方かを判断できるようになりなさい」
みるみるうちに瞳に涙がたまっていくエリーを余所に、ヒューゴはシシジとロタリオを席に着くように促している。
「旦那様、集まりました」
案内してくれた門兵が再び姿を見せ、部屋に続々と人が入ってくる。「できるやつ」という命令でかき集められたのは、加工技術者とそれを実際に「モノ」に取り付ける技師、そして、ロストシスト。全部で二十名ほどのうち、ロストシストはシシジとロタリオ含めて、各属性に特化した計八名。全員が手首に重たい鎖のようなものを着けていた。
「四日後、廃坑に溜まった魔素、闇雲の産声による影響により、ダスマクトで大規模な爆発事故が起こる。ここにいる全員で、それを食い止める方法を編み出してほしい」
可哀想なエリーは、指示を飛ばし始めた父親のすぐ横で、ぎゅっとドレスの裾を握りしめる。しかし、さすがは将来の悪役令嬢。涙をためていた瞳はすでに元に戻り、何事もなかった顔をしている。美しい人形のように椅子に座り、可憐な唇を噛みしめ、ロストシストたちを睨んでいた。
その間にも目の前では職人たちとやりとりを行うヒューゴがいる。何やら揉めているらしいが、エリーは家業のことは口を挟めるほど詳しくない。
「闇雲の産声なんて聞いたことがない」
「いや、魔素が溜まる場所というのはあり、出現する魔物や魔石のレベルは濃度によって決まる。その場所のことなのでは?」
「魔素溜まりはほぼ特定されている。千年以上変動はないうえに、新たに発生する可能性はゼロに等しい」
「そうだそうだ。ダスマクトは廃坑で治安が悪いとはいえ、気候や気象は穏やかで、魔物発生率は国内でも最底辺な場所だろ?」
「パクの誤作動や連鎖反応を引き起こすほどの魔素溜まりが、そんな土地で自然に発生するのか?」
「過去に事例はないぞ」
「文献で見たこともない」
わいわいと話し始めた大人たちの輪を横目に、レリアが淹れてくれた緑茶を飲んで、ホッと息を吐いたエリーは、浮かぶ茶柱に気づいて頬を緩めた。
「ねぇ、レリア。あの石はなんですの。パクと形は似てますけど、新しい何かかしら?」
大人たちの輪の中心。テーブルの上に転がっているのは、大小様々な石ころ。滑らかな楕円形という特徴は同じだが、エリーが普段目にしているパクとは異なる。
例えば、先ほどレリアが緑茶を淹れるために使用したポットには、親指ほどの小さなオーロラ石がついていて、押すだけでお湯が指定量溜まる。水と火と光の魔法が混合された特異魔法。どこの水が運ばれてくるのか、水の温度、適量などは、魔法の錬成練度により、良質なものを顕現するパクほど高額で取引される。
良質なパクは必ず色がついており、複雑な色が混ざりあったほうが、かけられた魔法が多い。そして、それが綺麗に混ざり合うほど練度も高い。エリーは生まれてこのかた、灰鼠色のパクを見たことはない。家にあるのはどれも最高品質のパクが備え付けられている。
「お嬢様、あれはパク鉱石でございます」
「お前、パク鉱石も知らないのか」
レリアと同時に返答の声をあげたのは、小さな少年ロタリオ。あまりに不躾な物言いに、未来の悪役令嬢が良い顔をするわけがない。当然、「誰に向かって口を聞いているの。ロストシスト風情が気安く私に話しかけないでくださる?」と、言おうとした。
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