第15話★お母さまは怖いのです
「あ、お母さま。お帰りなさ……っ、お母さま、どうなさったの」
「リリアン様!?」
額に手を当て、スローモーションで後方に倒れていく女性は、咄嗟に手を差し伸べたレリアに救われる。気を失う直前で、抱き止められたリリアンは、疲弊した顔で口を開いた。
「わ、わたくしの、エリーが」
「お母さま、私はここですわ」
「あなた、朝からなぜこんな場所にいるの?」
「ゴンザレスの卵を取りに行っておりましたの。残念ながら今日も勝てませんでしたわ」
「ごん、ごんざ、れす」
「お母さま。鳥小屋にいる妖鳥のゴンザレスですわ」
当たり前のような顔をして覗き込んでくる娘の黒い瞳に、母親の顔が蒼白に変わっていく。
繁栄の血族と呼ばれ、過去には王家の血を引く由緒正しい家系の壮絶美少女が、朝から鳥小屋に卵を取りに行くとは何事か。どれだけ頭を働かせても、一人で領地の視察に出向いていた母親にはわからない。エリーの奇行の答えを知ろうと視線を動かして、母リリアンの的は侍女レリアに移った。
「いったい、どういうことですの?」
「奥様、これには、一言で説明するには難しい出来事が、多々重なりまして」
「そういうことを聞いているのではありません。解雇されたいのですか。可愛いわたくしの娘を泥だらけにして、罰を与えるだけでは済まなくてよ」
憤慨するのも無理はない。エリーの全身を見下ろせば、頭から鳥の羽を撒き散らせているだけでなく、白い肌はあちこち傷つき、ドレスは何かの屑と土埃にまみれ、靴は泥だらけになっている。
「お母さま、そんなに怒らないで。レリアは何も悪くないの」
「ああ、エリーったら。少し見ない間に、随分と優しい娘に育って」
「私、お父さまに習って、色々なことを知りましたの。苺を育て、ジャムも、あっ、今朝の朝食には私が考えたメニューを作っていただくの。一緒に厨房へ」
「厨房!?」
感激に涙ぐんでいた母親の百面相はもっともだろう。うんうんと頷いていた顔が、徐々に首をかしげたかと思うと、最後は驚いて目を見開いている。
そして、エリーの口から最初に出た言葉「お父さまに習って」で全てを察したらしい。
「エリー、一緒にお父様のところに行くわよ」
「えっ、でも、私、約束して」
「いいから、いらっしゃい」
エリーはこれまで一度も、母親に怒られたことはない。いや、怒られるという事実に耐性が弱い。先ほどのように、誰かを叱る顔は見たことがあったが、それを自分に向けられるとなんという迫力か。傾国の美人と称される美貌を持っている大人の女性は、眼力だけで人を殺せるのかも知れない。
「あなた!!!!」
まだ眠っているだろう夫の寝室に、涙目で固まっている娘ごとリリアンは押し入った。後ろからレリアが心配そうについてきているが、パタンと閉じられた部屋の内側に入ることは許されない。
どこまで距離が近づいたとしても使用人は使用人。そして、子ども担当の区域と大人の区域は、屋敷内であっても明確に区別されている。
「セバス、あの人はどこにいるの」
「これは奥様、お早いお戻りで」
「ヒューゴにエリーを任せたのが間違いでした。見なさい、この可哀想な姿を」
効果音が聞こえるならバーンという音。セバスに向けて、背を押される形で前に出たエリーは、今にも泣きそうな顔でそこにいる。
「本日もゴンザレスに負けたので?」
「きょ、今日はあと少しでしたのよ」
「そういう話をしているんじゃありません」
そこでぶちギレたリリアンは、その場でエリーを座らせ、貴族の令嬢とはどうあるべきかを延々と語り始めた。
淑女とはどうあるべきか、マトラコフ家に生まれた女として、どう振る舞うべきか。ひとしきり落ち着くまで、時計の針は一周し、間も無く二週目を向かえようとしている。
その合間にエリーは、執事セバスにパクの力で傷を治してもらい、服をキレイに整えられていた。
「奥様、お茶をお入れしましたので、一度休憩なさっては?」
「え、ええ。そうね」
「お嬢様も朝のお食事がまだのようですし、一度お部屋に戻されてはいかがでしょう」
「ええ、かまわないわ。この子が変な遊びを止めるというなら。ヒューゴ、あの人はどこへ行ったの?」
執事に入れてもらったお茶を口に運んでいる間に、エリーが部屋を出ていったと言いたいところだが、長時間じっと座っていたせいで、エリーの初動は遅れていた。
それでも母親の怒りも幾分か落ち着いたおかげで、部屋を出ていこうとしても、それ以上は何も追求されなかった。まあ、標的が夫に変わっただけといえば、そうかもしれない。
そのとき、ふいにリリアンの腕輪が震え、聞き覚えのある声がそこからした。
「母上、いまどこにいらっしゃいますか?」
「カール。わたくしは今、一度屋敷に戻ったところです」
「お忙しいところ申し訳ないのですが、一緒にダスマクトへ行ってくださいませんか。パクの廃坑で異変があると連絡がありまして」
「かまわないわ。まだまだヒューゴは表舞台に出せません」
「助かります。では、またのちほど」
「というわけで、セバス。わたくしはもう行かなくてはなりません」
静かになった腕輪をそのままに、リリアンは茶器を置く。セバスは腰を折って了承の意味を伝えたが、リリアンはまだこの屋敷に名残があるらしい。
「エリーはマトラコフ家の花です。可愛いわたくしの娘が、立派な淑女になるよう尽力なさい。使用人の教育含め、あの人を止めるのは、あなたの役目ですわよ」
「心得ております」
高嶺の花は、高嶺に咲く花しか知らない。自分の成功体験に迷いがないからこそ、美しい伯爵婦人は苦言を残して去っていく。それはまるで嵐のようで、しかし確かな痕跡を残して、リリアンはダスマクトへと旅立っていった。
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