第14話 何もかもうまくいってない件
目覚めると、見知らぬ天井が目に入り、腕に点滴を繋がれている感覚があった。全てが消毒された清潔な匂いがかえって鼻についた。
「勇次郎!」
すみれが俺の顔を覗き込んだ。
「すみれ……」
「よかった……よかったよ勇次郎……」
すみれは泣き始めた。
「ちょっ、すみれ、泣かないで」
「た゛っ゛て゛ぇ゛~゛勇゛次゛郎゛か゛死゛ん゛だ゛か゛と゛お゛も゛っ゛た゛ん゛た゛も゛ん゛」
「ちょっと! 俺の顔に涙と鼻水が垂れてきて、すんごく気持ち悪いから!」
……………
俺は泣き止んだすみれから、自分が倒された後の事を聞かされた。
あの後、俺は救急車に運ばれた。あざみは兄の説得を試みたが、聞く耳を貸さずにダンジョンの下層へ続くルートの探索へを始めたので、諦めてしまったらしい。
「俺はタケに倒されてしまったのか……」
俺は恥ずかしかった。タケに負けたことが、腹立たしかった。
「負けたとかじゃないよ、命があっただけ良かったと思わなきゃ」
すみれは慰めるように言った。
「そんなんじゃないよ。……やっぱりタケには敵わないか」
高校時代にアイツには敵わなかった出来事が次々と思い出されて、涙が溢れ出た。
「……ちょっと一人にしてくれないか」
「でも……」
「いいから! 出ていってくれ!」
俺は思わず声を荒げた。
「……わかった」
すみれが出ていった後の病室はやけに広く見えた。俺の啜り泣く声が、部屋のあらゆる物に吸い込まれた。
◆
「勇次郎さん、どうでした?」
病室から出てきたすみれにあざみは訊ねた。
「タケに負けたって言って塞ぎ込んじゃったよ」
「そうですか……」
あざみは目を伏せた。
「ごめんなさい。私の兄が……本当はあんなことするような人じゃないのに」
「ううん。あざみが謝ることはないよ」
「でも……」
言いかけるあざみを制するように、すみれは彼女の頭を優しく撫でた。
「……私ね、さっき、勇次郎になんて言えばいいかわからなかったんだ。『一人にしてくれ』なんて強がって……本当は言葉を必要としているのに……私は勇次郎のそばにいる資格なんてないのかな」
すみれは静かに涙を流した。
「そんなことないですよ! すみれさんは……すみれさんは勇次郎さんのことをこんなに想っているじゃないですか!」
「ありがとね。だけど想ってるだけじゃ、何も伝わらないよ……」
あざみはすみれの手を握った。
「なら、勇次郎さんを元気づけましょうよ! 私も一緒に考えますから!」
§
俺は精密検査の結果、身体に異常はなく、すぐに退院することになった。
あの日の後、すみれとはギクシャクしていた。しかし、俺は俺の方で、タケに負けてしまったことを引きずってしまい。投げやりな気持ちになっていた。
また、あの感覚がやってきた。
朝、目覚めると、どうして目が覚めてしまったんだと絶望する。眠り続けることができれば、現実を見る事もないのに……
満員電車に揺られて、理不尽な上司に怒られて、疲れ果てた状態でまた満員電車に揺られて、俺は何をやっているんだろう。この電車は俺を劣等感へ連れてゆく……
そんな日常を送る最中、会社の飲み会があった。気分の乗らない時の飲み会は、本当に憂鬱である。加えて、弊社はブラック企業であるために、このご時世に、飲みニケーションをいまだに盲信している上司たちの、上司たちによる、上司たちのための飲み会で、俺らのような若手にはただただ苦痛である。
「お゛い゛田゛村゛ぁ゛!!! 酒゛は゛注゛文゛し゛た゛か゛!!?」
「ハイっ、今注文します。ビールですよね?」
「お゛前゛の゛先゛月゛の゛営゛業゛売゛り゛上゛け゛ノ゛ル゛マ゛か゛未゛達し゛ゃ゛ね゛ぇ゛か゛!!?」
「ハイっ」
「今゛月゛は゛俺゛か゛フ゛ォ゛ロ゛ー゛し゛て゛や゛る゛か゛ら゛気゛に゛し゛な゛く゛て゛い゛い゛。一゛緒゛に゛か゛ん゛は゛ろ゛う゛な゛!?」
「ハイっ」
と、まあこんな具合に上司の酒井が何を言ってるかわからないけど、勢い任せの説教が始まるので、俺は俯いて頷くばかりだ。
しばらくして酒井から解放された俺は、隅の方で壁に持たれていた。
(あー、やっと解放された。なんで酒飲んでるのに疲れなくちゃいけないんだよ)
俺は唐揚げをつまみにチューハイを飲み干した。不意にタケに負けたことが頭をよぎる。
(……俺、まだ引きずっているんだ)
「先輩っ、お隣いいですか?」
声の方を見ると、佐々木が立っていた。
「おっ、もちろんいいぜ?」
「しつれいしまーす」
佐々木は梅酒を大事そうに両手に抱えて俺の隣に座った。
「先輩はおかわり大丈夫ですか?」
佐々木は空になったグラスを指差した。
「んー、じゃあレモンチューハイで」
俺が言うと、佐々木はタッチパネルから注文してくれた。
隣に佐々木が来てくれるだけで、今日の飲み会に参加した意味はあった。これから毎日開催してほしいぐらいだ。
「先輩は、YouTube見ますか?」
「うん。結構見るよ」
「なんか、私の推してる
俺は内心ギクリとした。
(すみれ……あの時の動画も撮っていたのかよ)
俺は怒りと羞恥心が混じった微妙な気持ちになった。
「アルカディアのチャンネルの方も見てるんですけど、なんか妙に上から目線でちょっと気に入らないんですよね」
「え?」
「それに、事もなげに敵を倒すのも面白くないんですよ。その点、死刑執行人の人は、なんていうか……なんか一生懸命ダンジョンを攻略して、一生懸命動画を作ってる感じが出ているんですよ。だから、私、いつもめっちゃ勇気づけられているんすよ……それなのに、先日の動画で、執行人が倒されちゃって、私めっちゃ悔しいんですよ」
佐々木は悔しげにグラスを勢いよく机に置いた。
「田村さん、わかります? 私の推しが負けた時の気持ち! もうそりゃ、画面を叩き割りそうになりましたよ! まあ、マウスは投げちゃったんですけどね。でもね、私はね、私の推ししか勝たんわけですよ!」
「……なんかごめん」
「なんで田村さんが謝るんですか?」
「あっ、いや」
「まあ、そんなことどうでもいいです。私は執行人にリベンジしてほしいんですよ。次は……見ててくださいね、絶対に勝ちますから、絶対に勝つんですからぁ!」
佐々木はそう言うやいなや、勢いよく机に倒れて眠った。
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