第16話 冬支度と止まる時計
「がっつり肉亭」はイケーブスの東南の職人街のそばにある食堂だ。イケーブエからイケーブラへと抜けるイケーブラ街道沿いにある「樹木と暖炉亭」、「太陽と虹亭」が宿屋兼食堂であるのに対して、「がっつり肉亭」は昼と夜の食堂のみ営業している。
職人街は音のうるささから村の東南に集められており、そこから西門そばの「樹木と暖炉亭」は少し遠いし、東門に近い「太陽と虹亭」は職人にとっては少しお高いので量を食べられない。職人街のそばにできた「がっつり肉亭」はその名の通り、がっつりとした肉料理とそのお手頃なお値段で職人達の胃袋をつかんでいた。味は塩味かたれ味しかなく、その代わりに炭火で焼いたり、木のチップで焼いたり、草でいぶし焼きにしたり、焼きに変化をつけていた。もちろん、がっつり、たっぷりした肉料理は職員だけでなく冒険者や旅の護衛にも根強いファンがいて、ドリンは「がっつり肉亭」を贔屓にしている。
その「がっつり肉亭」はノアとハルの二人の狩人が狩りをやめてから、しばらく閉業状態だったが、カイという優秀な狩人が来てから、また店を開け始めて、今日もファン達に愛されている。
そんなこともあってカイは職人街では恩人のように崇められており、弓や剣の手入れを頼めば二割引で受けてもらえる(元々狩人組合割引があるのに、そこからさらに二割引だ)。
カイの弓や剣に何かあって肉の供給が絶たれてはいけないからと安くなった上に手入れも念入りだ。
いつもなら冬になると何度か閉業していた「がっつり肉亭」が今年の冬はずっと開く見込みである、と十一月の初めに告知できたのは誰のおかげなのか、村の誰もがわかっていた。
そんな職人街の「がっつり肉亭」の向かいの木工組合にカイは来ていた。底に穴の開いた背負いかごを持って。
「あー、こりゃだめだろ」
「だめですか」
いつもの草原に行ったとき、背負いかごを置いた場所にとがった石があったようで、それに気づかず、背負いかごにどんどん薬草やら香草やらを入れていたら、気づけば底に大穴が開いていた。
幸いかごの底にはいつもの布を置いてあったので、組合に行くまでかごの底から薬草はこぼれることはなかったようだが、修理しておくほうがよいとおもって、職人街にきてみた。
このかごは木の皮を薄く剥いでなめして薄く細くして編み込んだ物なので、その部分だけ編み直せば修理できるかと思ったのに。
「このぐらいの穴なら、底にこの丸く編んだものを引いて固定して、その上から布をかけておくのが一番いい。この編底は若い修行中のやつが練習で作った物だから、銅貨一枚でいいよ。布は服屋に行ったら端切れをもらえるだろうから、それをもらってお針子通りに持っていって継ぎ接ぎして布袋にしてもらえばいいと思う。一枚布は服が優先だからな」
「ありがとう。じゃあ、これ預けるから固定しておいてくれるか?」
「毎度!今日の夕方には固定しておくよ。他に何か要るものはないか?カイなら安くしておくぞ」
「今日はこれを直したかっただけだけど、何か冬を迎える前に用意しておく物があれば」
「そうだな…」
木工組合で冬を迎える前に暖かい食べ物を入れるための厚めの鍋敷きなども勧められたが、それ以上に家の窓の部分から隙間風が入らないように埋める木枠なんかを勧められた。寒くなって風が強くなり始める前に家の隙間を確認しておくこと、必要であれば大工の出張修理もしてもらえることなどいくつかアドバイスをもらった。
それと冬を乗り切るのに必要な薪ストーブは今の時期に試運転しておいて、うまく動かない場合は大至急鍛冶屋に発注するように、とか、やや厚めの小さなフライパンを用意しておいてストーブにかけておくとちょっとした料理をするのに便利だ、とか、木工以外のことまで教えてもらった。
「また来いよ!いつでも歓迎するぞ!」
という声に手を振って、
十月の半ばに魔法を使わないと決めてからもう一月以上経っている。十二月に入ったが、まだ魔法なしで気配を読むのは慣れていない。焔舞の魔法があればこのぐらいのエリアに何人残っているかぐらいすぐに察知できたのだと思うが、今は誰か居そう、というレベルでしかわからない。冬になって狩りのオフシーズンになったら、の村の中での気配読みに挑戦しようと思っているが、まだまだ未熟なようだ。
そう思っていたが、雑貨屋で不思議な物を見つけた。
こんなところでうっかり声に出してしまうわけには行かないので、焔舞に相談も出来ないが、少し古い置き時計だ。この置き時計の周りだけ不思議な気配がしている。値段は小銀貨五枚。安くはないが、買えないわけではない。
今の家に時計もないし、買っても悪いことはないだろう。
そう思って時計を買って、家に一度帰ろうかとおもったら、
「あら、カイじゃない」
と声をかけられた。
「カリンさん」
カリンさんはこの雑貨屋の奥さんで、肉屋の女将さんのネリアさん、お医者さんの奥さんのアガサさんと三人でよく解体を手伝ってくれた人だ。この店の主人の奥さんなんだから、いてもおかしくないんだが、今までこの店に来たときはいなかったので、店頭には出ないのかと思っていた。前に聞いたときも店に出るより、倉庫整理をしたり、帳簿をつけたりしている方が楽しいと言っていた。
そんな人がなぜ解体作業がうまいのか謎だったが、訊いてみたら雑貨屋を開く前、最初の仕入れ資金を貯めるために解体職人の手伝いをしていたらしい。このイケーブスには解体職人はいないが、解体専任の人がいる狩人組合もあるらしく、カリンさんは以前イケービュの村にいて、そこで職人に学んだそうだ。
「あら、その時計買ってくれるの?」
「え、はい。今の家に時計がないのであってもいいかなと思って」
「ふーん。その時計、この前来た隊商から仕入れたのよ。ケーブ方面から来た隊商だったから迷宮都市のものかもしれないわね」
「迷宮都市の」
「でも、その時計、ときどき止まるみたいで時間が合わないのよ。綺麗だから買ったけど微妙なのよね。時計として使うならもうちょっといい物があるはずだけど、それでいいの?」
時間が合わない迷宮都市から流れてきた時計。そして妙に俺の勘に触る。
「買います。いつか直るかもしれないし」
「ふーん、いいけどね。毎度あり」
カリンさんが棚から時計を取り出して箱にいれてくれた。
時間の合わない時計ね。まあいい。形は綺麗だし飾りにしてもいいだろう。
不思議だ。ここには三年しかいないのだから無駄な物は買わないと思っていたのに、なぜこんなに気になるのか。
箱詰めされる時計を眺めながらそんなことを考え、小銀貨五枚払って、時計を手に入れたが、箱を持った瞬間何かピリッとする感じを受けた。腰の短剣も少しだけ反応した気がする。
気になるところだが、まずは一度家に帰ろう。
雑貨屋の帰りに「樹木と暖炉亭」によって昼食がわりにパンを購入。
こんなに早く家に戻ってくるなら、たまには「がっつり肉亭」の昼食を買ってきても良かったか、と思いつつも、家に帰っていつものダンダさんのパンを食べる。
『焔舞?いるか?』
…一心同体のようなものだからな。わらわの短剣を置き去りにしなければいつでもおるとも。
『この時計、どう思う?』
そう言って時計に触れる。触るとまた何かピリッとした感じを受ける。魔道具に間違いないと思うのだが。
…触ってみてどうだった?
『どうとは?』
…何か使い方が頭に浮かんでくるとか。
『いや。特には。ただ、なぜか買わないといけないとおもったんだ』
…そうか。ではまだ時がきていないか、それともこの時計に呼ばれているのは其方ではないのかもしれぬ。
『呼ばれる?』
呼ばれるってなんだ?
…魔道具にはよくあることなのだが、使うべき相手に魔道具が働きかけることがある。それを呼ばれると言う。また、呼ばれる相手が遠い場合は、その相手につながる者にとにかく買わなければという感情を引き起こすらしい。
『…つまり、俺の手に入って、俺からしかるべき時に誰かに譲られるということか』
…あくまで可能性だがな
俺が使う物ではなく、俺から誰かに譲られる物。そう聞くとなぜかしっくりきた。
一体、誰の手に渡る物なのかはわからないが、そのときまではこの家の棚の上に飾っておこう。
その日の午後はストーブを清掃して、動くかどうか確認し、煙がちゃんと煙突から排出されることもチェック。それから部屋の窓のそばに薄い布を置いて空気の流れを確認する。居間の窓は大丈夫だったが、寝室の窓からは少し風が入ってきているようだ。かごを取りに行くときに修理を頼むことに決めた。
家の中をチェックして、その後、家の外の薪置き場を確認する。
九月頃から、狩りの合間の日に森で枝を拾ったり、グリューたちと木を伐採して割ったりして、薪は一冬分用意してある。それを確認してから、今度は家の中で焔舞の収納に入っている食料を確認する。
自分一人で狩りに行ったときにはうさぎや鳥を少しずつ取り置きしておいたので、肉だけは毎日食えるぐらいの量がある。野菜も少しずつ足していたが、少し足りないかもしれない。
先週、村の野菜畑の一部に冬用の屋根をつける作業を村中総出で行ったので、冬も野菜は取れるはずだが、自分の家の庭でも少し野菜を作るようにしておく方がいいだろう。
この村に来て与えられたのは自由に使える小さな畑つきの庭のある小さな家。居間と寝室と客間のある三部屋だけの家だが、部屋はかなり広く、一人で住むなら十分な広さだ。家族連れの場合は四部屋、五部屋作るらしいが、カイの住む狩人通りは独身者が多かったようで、家を小さくしてある分だけ庭が広くなっていて、畑とさらに剣を練習できるぐらいのスペースが庭にある。
カイの家の畑はカイが来るまでは近くの農家の人たちが手入れをしてくれていたようで、その方々が季節ごとに植えると良い野菜を教えてくれる。それを習って、カイも野菜を育てている。出来た野菜は自分で食べると言いつつ、少しずつ焔舞の収納にいれている。ついでに小屋では干し野菜を作ったり、燻製肉を作ったり、床下に長期保存の利く野菜を溜めたり、冬用の備蓄も着々と準備している。
だが、思ったより野菜が少ないから家の畑の一部は冬も野菜を作り続けないといけなさそうだ。また農家の人に話を聞かないといけない。
このあたりは十二月半ばになると雪が降り始めて、一月になる頃には雪が膝下まで降り積もるらしい。一部の野菜は雪の下で熟成出来ると聞いたことがあるが、何か作れるだろうか。
「うーーん。冬場に野菜を作りたいなら屋根つけた方がいいですよ」
冬の畑に何を植えればいいか聞きに農業組合に来てみたが、どこで作るのか聞かれて、自分の家の庭と言ったら、微妙な返事をされた。
「屋根を?」
「そうです。風は北から吹くので、畑の南側にカイさんの身長よりも高い柱を立てて、その柱の上から畑の北側で地面につくように大きな板を置いて屋根にするんです。傾斜はかなりきつめにしておかないと雪で潰れるので気をつけて。冬の太陽の陽は低く長いから南側から畑には日が差すと思います。あと、南側の屋根の端から網をぶら下げておけば、野ねずみとかにやられることもないですよ。屋根の設置については木工組合さんに聞いてみてください」
「屋根があれば冬でも野菜は作れそう?」
「ええ。あとは、もしよろしければ、冬の畑の世話を当組合に依頼していただければ、お世話する人をつけられます。カイさんの家であれば、一月銀貨一枚ぐらいで請け負う人は居ると思いますよ」
銀貨一枚?グリグリ鳥一羽で手に入ってしまうぞ
「それ安すぎないか?」
「えっと、冬場は小麦農家の方々が暇になられるので、子供たちに小さな畑を借りて野菜作りの練習をさせるんですよ。カイさんの家の畑も子供の練習用で良ければその額です。大人に頼むと一冬で小金貨2枚ぐらいはかかります。今年は皆さん保管庫に干し肉などを多く保管されているようで、例年は保管庫に野菜の方が多いんですけど、今年は野菜を自分たちで作るという方々が多くて、子供の練習畑が少ないんですよ」
これも俺のせいか?
俺の畑を子供に貸して、大人が監督してくれて、収穫の2割は子供に、残りは俺の家に。そういう契約になるらしい。
子供が庭の畑で作業する気配を読めば、それなりに訓練になるかもしれないな。
俺は農業組合で今から三月までの畑の世話の依頼を出し、木工組合に行ってかごを引き取りつつ、庭の畑の屋根と家の隙間風補修の相談をした。木工組合の大工を何人か明日俺の家に寄越してくれるらしい。
これで明日も村の中で一日冬支度だな。
帰り道で明日の分も含めて野菜と肉を買う。肉は昨日俺が狩ってきたきつねうさぎの肉を肉屋のラルゴさんが捌いて薄切りにした肉。あとは今の時期に出ているスープに合う野菜をいくつか買う。野菜からだしの出たスープに薄切り肉をくぐらせてタレにつけて食べるのがおいしいとアシアナさんに教えてもらった。家で作るには手軽なので最近は薄切り肉ばかり買っている。自分で解体するとどうしても串焼きとかかたまり肉を入れたシチューのようになってしまうので、この食べ方をするときだけはラルゴさんの店で買っている。
そろそろ夕方なので村の門を閉める時間だが、今日はまだ西門が開いている。
今日の西門の担当はダンさんのようだが、何か事故でもあったんだろうか?
「ダンさん、まだ閉めないのか?手伝おうか?」
「おう、カイじゃないか。いや、今日は冬越えの商隊がここに来る予定なんだ」
「冬越えの商隊?」
「おう、馬車停泊所に馬車を止めて冬を越えるんだよ。イケーブルで冬越えを受け付けるのは二商会まで。今日来るのは西停泊所に止めて樹木と暖炉亭で冬越えする商会だな。商会も雪が降ると動けなくなるから、大きい村やケーブなんかに泊まって、その間は鍛冶組合、木工組合、商業組合なんかと連携して売る商品を作るんだよ。時にはよその村で仕入れた品を見せてくれて、新しい物が生産されるときもあるな。だから、大きい隊商だったら村で冬越えの補助を出したりするんだよ」
「ふーん」
西門側は森が広がっていて、獣に襲われやすい場所だ。俺が来る前は手のつけようがなくて、東門から入って東門から出て行く隊商が多くて、イケーブエとイケーブスの間が通れない状態だったが、俺が来て街道沿いを手入れして九月ぐらいからは徐々に護衛の多い隊商を中心にイケーブエからやってくる隊商もふえていた。
街道沿いに気配を探る。花畑を抜けて平原と荒れ地に囲まれた先で北の森が街道沿いまで広がってくる。街道はかろうじて森の横をかすめて南にそれていくが、そのあたりが一番獣が出やすい場所だ。ただ、街道沿いより村に近い平原沿いの方が小動物が多いのでオオカミはそのあたりには出ないし、森から出てくるイノシシや熊ももう大分減った。
俺の気配察知の範囲内に馬車は居ないように思う。すぐには来ないだろう。とはいえ馬車を入れることを考えると門を閉めるわけにはいかない。
「まだまだ来そうにないな。気配が読めない」
「そうか。まだ日が落ちるまでしばらくあるし、日が落ちても少しは開けておいても大丈夫だから」
確かに日が落ちるまではまだ少しありそうだが、夜になって商隊が移動するだろうか?
ダンさんだけでは厳しいかもしれない。
「…荷物を置いたら弓を持ってくるよ。今日は余裕有るから」
「ありがとう」
俺は急いでかごや食料を家において、弓、矢筒と剣をもって門へ急ぐ。焔舞の短剣は寝るとき以外、常に腰につけたままだ。
すでに暗くなってきた西大通りを西門に向かっていく。
気配をさぐるが、この感じだとまだ森の付近まで異常は無いように思った。
「ダンさん」
「カイ、まだ来そうにないな」
陽はすでに西の山の陰に落ちている。ただ、薄明の空が淡い光を落としている。
「俺少しだけ見てきます」
「すぐ戻れよ。戻ったらいったん門を閉めようと思う。それとこれを持って行け」
「わかりました」
渡されたのは服につけるタイプの魔石ランプ。魔石が光っていて、熱や火は出ない。それを背負い袋につけてイケーブラ街道を西へ、ちょうど街道と森が接する辺りまで走る。
ここから道が南へ湾曲しているので、この先に進むと村の明かりが見えなくなってしまう。俺のつけたランプも村から見えるのはここまでだろう。
気配を読む。馬車で来るなら音が一番聞こえるはず。目を閉じて耳に集中する。しゃがみ込んで手で街道に触れる。少しだけ振動が感じられる。
来る。
道が曲がっているからまだ姿は見えないけど。
その周囲に獣はいない。
そこまで感じ取って背負い袋につけたランプを肩に付け直し、村の方に戻る。このペースで走ってくるなら、ここにいることに気づかれないで抜かれる。
走って村の門につく頃にはダンからも馬車が見えるようになっているだろう。
予想通り走って門につく頃には商隊も速度を緩やかにしてすぐ背後まで迫ってきていた。
「カイ、お疲れ様」
「たいしたことはしていないよ。これ返す」
ランプを返して馬車を待つ。
五台の馬車が西門を通り過ぎたのを確認して、ダンと二人で門を閉める。
馬車は西停泊所に入っていった。
「ありがとう。助かったよ」
門を閉めて、家に帰ろうとしたとき
「カイ」
商隊の方から声がかけられた。
この声は
「オーロ!」
ということは
「カイ、久しぶり」
「イメルダ!」
「今年の冬はイケーブスでお世話になるよ。今年は豊作だし、肉も豊富だって聞いたからね」
今年イケーブスで冬越えをする隊商の一つはイメルダの隊商だった。
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