第15話 腕輪と縁
秋の空は晴れているが、どこかさみしく、風もすこしずつ冷たく強く感じられた。
村の中は子供達の声が明るく響き、商店のあたりでは、作業の合間に買い物に来ている人たちが商人達と楽しそうに話している。
明るく豊かな村。最初にきたときはもう少し暗い空気を感じていたが、ここ一月ほどは笑顔の人が増えた気がする。
今日は森に行く予定で準備をしていたが、予定を変えて平原と森の際を手入れすることにした。森の中ではまだ気が抜けない。考え事をするのには向かないだろう。考え事をするために一日家にこもっていても、今後やらないといけない作業が溜まるだけだから、落とし所としてはこんなもんだろう。
背負いかごの中に着替えや手ぬぐいなどの入ったいつもの背負い袋、鎌、作業手袋を入れて、村を出る前にノンナさんのところによって昼食を買う。もう昼だったので食べていかないのか聞かれたが、ここで昼を食べると考え事をしつつ変な独り言が口からこぼれてしまいそうだったので、油紙に包んでもらった。
村を出て手入れされた平原の中、森へと続く道を歩く。一月ほど前に村人全員で大規模な雑草抜きがされて、村の近くは綺麗に整えられた。今も村の西門の付近では子供達が遊びつつ、お小遣い稼ぎに薬草や料理に使う茶葉を採っているようだ。
最近村で出るロク茶の味も上がった。ロク茶は六種類の葉を混ぜたお茶だが、その材料のうちの一つ、ダダの葉がなかなか入手できず、ロク茶と言いつつも、中身はほとんどゴ茶だったらしい。
こうやって子供達や村の人たちが歩き回ったり、花が咲いているのを摘んだりすることで自然と平原は保たれる。元々は草の生えにくい土地でもあるのだ。そうでなければここも畑にしていただろう。
ただ、森に近いところはまだまだ危険で俺以外は草抜きも草刈りも出来ないらしく、ほとんど人は来ない。今日は森に入る前に道をそれて、少し西に行ったところを刈ることにしよう。あの場所ならグリューもジールも多分来ない。
背の高い草に視界を遮られた場所、誰かが草をかき分けて入ってきたらすぐにわかりそうな場所まで奥に入って、森の側から草を抜いてみる。
森に近い場所ほど土が軟らかく難なく抜けそうなのを確認して、まずは作業場所になる程度の草を引っこ抜く。そこに布を引いて、これで作業準備は完了。このあとはひたすら草を抜いたら布の上に置いていく。
ここまで来れば、もう別のことを考えながらでも作業は出来る。声を出さずに相棒を呼ぶ。
『焔舞』
…どうかしたか?
『さっきの腕輪、あれはなんだかわかるか?少ししびれるような感じがしたが』
先ほど村長に触ってみるように言われた腕輪。魔封じだと言っていたが、里では聞いたことがなかった。魔法を封じるとなると焔舞が知っているかもしれない。この村にも精霊の気配は感じられないから、俺が使う魔法はすべて焔舞の能力なのだから。
…あれは道違えの儀の白社に近いものだった。おそらくあの腕輪をはめると、わらわとの
『やはりそうか。』
なんとなく触ったときの感覚で焔舞の気配が薄くなったような気がした。触っただけでそうだとすると、腕にはめてしまうとどうなることか。
…腕にはめても縁が切れるところまではいかぬかもしれん。じゃが、力はずいぶんと弱くなるじゃろう。わらわの力もようやく其方の身体になじみ始めたところじゃのに。ここで縁が薄くなるとまた力を行き渡らせるのに何ヶ月もかかるじゃろうな。
『そうか』
焔舞と縁を結んだのが六の月、今は十月の終わりかけ。四月ほどかけて焔舞の気を俺の身体に馴染ませてきた。一年ぐらい馴染ませてようやく焔舞は全力を振るうことが出来るらしい。そうなると縁を結んでいないイリシアの里の里人よりも多くの魔法を使えるようになるという。また、魔法をできるだけ使う方が身体には馴染ませやすいらしい。魔力を通す経路が俺の身体に作られていくということだ。
この経路自体は他の精霊が作ったものであっても、無いよりは有る方が早く完成形にたどりつく。例えば、一緒にイメルダの隊商で里を出たオーロ。オーロは三年間内なる洞窟の精霊に魔力回路を作ってもらっていたので、新しい精霊もすぐに力を発揮できるようになったはずとのこと。
内なる洞窟の精霊と縁を結んで、数年後に外たる洞窟の精霊と縁を結ぶというのはそれなりのメリットがあるのだそうだ。何しろ里の中では魔法使い放題だから。
…次の狩人が育つまで三年はこの地におるつもりなのだろう?無理に魔法を使わなくとも三年有れば収納だけでも身体に馴染ませることは出来よう。夜に身体を浮かせるなどやめてしまえば良い。収納から物を取り出すのも家の中で誰もいないときだけにすればよいではないか。
『三年か。俺としては他の狩人がイケーブラに来てくれたらいつでも譲って迷宮都市に行けるように早めに焔舞との縁を強化しておきたかったんだが』
…無理じゃろ。其方の腕が良いから、村長は募集を取り下げたはずじゃよ。
そう。元々イケーブス規模の村であれば、狩人は二人~三人は必要で、俺が来ても本来はあと一人か二人募集する必要があるはずだった。だが、ずっと依頼を出しておくと、あの村は誰も来ないぐらい問題のある村なんじゃないか、という変な噂がたちかねないと言うことで、いったんは募集を取りやめたと言っていた。来年の春になったら、また獣たちが動き始める季節がやってくる。そのときに再度募集するから、と。
『俺一人だけだと、俺が怪我したらアウトなんだけどな。それで前の狩人を逃したのに、なんであと三人ぐらい募集してくれないんだ。ここはそんなに悪い村じゃ無いと思うんだけどな』
…この秋の収入が戻っておったから、来年には狩人の手当を上げられそうだと言っておったな。手当が上がれば、来たがる者もあるだろうて。少なくともこの冬はこの村で越すのが良かろう。
『それしかないな。』
冬をどこで越すかそろそろ決めないといけない。だが、この村の人にはよくしてもらっているし、冬場の暖かい日に熊が目覚めて襲ってこないとも限らない。もしそんな事故が起これば、この村を去ったとしても後味の悪い思いをするだろう。もう、この村で冬を越すのは決定みたいなものだ
ただ、俺の目的は迷宮都市だし、迷宮都市に行くからという呼びかけに焔舞は答えてくれたのに、申し訳ない
…つまらんことを考えずとも。三年などわらわにとっては短い、短い。むしろ使いやすい魔力回路を構築する時間を取ってから迷宮に行くと思えば、わくわくしよるわ。
『そうか、それならいいんだが』
…ここで腕輪をはめることになるぐらいなら、しばらく収納以外の魔法は使わぬようにしようぞ。そうすると索敵や探索などの魔法も使わぬ。身体強化もな。其方、それで戦えるのか?ちゃんと狩れるのか?其方が死んではせっかくの苦労が水の泡じゃからな。
『そう簡単に死ぬ気は無いよ』
…じゃと、いいんじゃがな。試しに今から魔法を切ってみようかの。家に戻るまで魔法は抜きじゃ。
焔舞がそういった瞬間、周囲が急に狭くなる感じがした。索敵と探索が切れて、俺の五感だけになったから。そして、村の方向もなんとなく感じていたのが急にわからなくなった。いや、来た道はわかっているので、方向はわかっているし、帰り道もわかるのだが、なんとなくあっちが村と感じていた感覚が急に消えた。
風で草があおられる音がする。木の枝が風になびいて、ざざざという音がする。虫の音、ときどきガサッという小動物が動く音、自分が草を抜く音、草を置き場に置くときの音。周りの音が動物の気配を消してしまう。ここまで魔法に頼っていたのか…
不意に思い立って、草を抜く手を止めて剣を抜いて、すこしだけ素振りと型を確かめる。剣は思ったように振れる。だが、いつもより少し重く感じる。長期戦は出来ないだろう。
ため息を一つついて目を瞑る。昔は里にいても魔法が使えるわけではなかった。魔法よりも前にリーザに弓を教えてもらった。その弓がある程度使えるようになって、ようやく魔法を教えてもらえた。
そのリーザは少し前に隊商と一緒に迷宮都市に向かっていった。イケーブスには夕方について朝には出て行く強行だったから、ほとんど話は出来なかったけれど。
縁を結んだ精霊が力を使い切ってしまったので、今は精霊に何も頼らず迷宮都市に向かうと言っていた。
「魔法が使えない分、今は自分の精神を研ぎ澄ませているの。多分、これでルーが戻ったら私はもっと強くなっていると思う」
そう言っていた。それを思い出した。
まずは息を吐く。そして、目を瞑って耳に集中する。周りの音が混ざり合って聞こえてくるが、その中で動物の動く音を聞き取る。
気配を読む。自分の肌が風を感じる。その風もさまざまなことを教えてくれる。
風から臭いがする。風上に何がいるかを教えてくれる。
そして、自分の気配を消す。樹木のようにただあるがままに。
そっと目をあけて剣を抜き、足下を撫でるように剣を振る。
そこに倒れている野ウサギを見て、おれは久しぶりに自分で索敵することを思い出した。
野ウサギを捌いて草で覆って蒸し焼きにして、ノンナさんから買ったパンと一緒に食べる。その間も気配を探るのを忘れないようにしたが、今度は自分の気配を殺さない。そうすれば小動物やシカは寄ってこなくなる。小動物を狙うきつねも。あとはイノシシや熊やオオカミの気配だけ気にしていればいい。
遅い昼食の後、少しだけ作業をして村に戻る。季節的に日は短くなってきた。これからどんどん寒くなっていくだろう。今月分の組合への納品はもう終わっているし、来月の納品もまだ大丈夫だろう。
ただ、冬になると雪兎の気配を探らなければならない。それまでに自分の感覚を磨かないといけないな。
翌日、俺はもう一度村長のところを訪れた。
「腕輪の話ですが、今回はなかったことにしてください」
そういうと村長は俺の方をじっと見つめてきた。
ここで目をそらしてはいけないだろうな、と思って、俺も村長の目を見続けた。
先に目線をそらしたのは村長の方だった。
「いいだろう。だが、昨日も言った通り、魔法をつかっているのを儂が見つけたらすぐに腕輪をつけることに同意すること。同意できない場合は村を出ること。良いな」
「構いません。俺は次の狩人が来るか、育つか、いずれにしても俺の代役が現れるまで、責任もってこの村を守るつもりです」
「そうか」
昨日の腕輪はまだ村長の机の上にあった。
村長は腕輪をくるくるといじりつつ、そんなに嫌な物かの?、とつぶやいていた。
「それで?今日はどうする予定じゃ?」
「今日は狩りの日なんですが、今日から少し獲物の数が落ちると思います」
「そうか。わかった。肉屋の倉庫とギルドの氷窟の肉でこの冬は十分まかなえると聞いておる。どの家にもきつねやうさぎの毛皮が存分に配布され、森が比較的安全になったから、薪小屋もいっぱいになっていると聞いておる。これから狩りのペースが落ちても誰も困らぬだろう」
「いえ、報酬が減るから俺は困るんですけどね」
「それは、違いないの。暮らせる程度に頑張りたまえ。とはいえ、もう十分儲けたのではないかな?」
「できれば弓を作り直したいと思っているので。もう少しお金は貯めたいんですよ」
「そうか。まあ、ほどほどにな」
弓と矢筒を持っていく。今日はオオカミを狩るつもりはないし、手加減するので魔法の台車は一台でいい。今日は解体役も要らない。全部自分で解体してくる、ただ、今日は狩りの日だから、子供達には外に出ないように伝えてくれとアシアナさんにお願いしてゆるりと狩りに出かけた。
西門を出ると街道沿いの左手には花畑。秋の花が少しずつ減ってきて、風が少しずつ冷たくなっているのを感じる。まだ十月なのに、今年の冬はいつもより早く寒くなっていると村の人たちも言っていた。そういえば樹木と暖炉亭では十一月から暖炉に火を入れるとか。今年の冬は雪に閉ざされる日も多くなりそうだから、ギルドの氷窟から少しずつ村の中の倉庫に肉を移す依頼が出ていて、グリューやジールは最近はその仕事ばかり請け負っているらしい。
少し先まで行くと右手に森へ行く道が見えてきたが、今日はもう少し先まで行ってから街道を外れる。
この辺りは森に行く道と違って人が来ても街道から外れることはめったにない。
こういう場所で街道を外れるのは狩りのためか薬草採りのためだが、ここまでくればイケーブスが違いので、旅人や移動商人は村まで向かうし、村人たちはむしろ森の方に向かう道の方が薬草も多いし、森の恵みも得られるので、ここまで来ることは薬草がなくなったときだけだ。今年のように天候に恵まれた年はここまで来るのは狩人ぐらいだ。
この辺りなら邪魔が入ることはない。
矢を用意して、気配を探る。
風を読んで風下に移動し、所々に生えた木や草の陰の気配を読む。このあたりは背の低い草が多く、見通しは良い。草の動き、風の音、肌に感じる風の気配、自分の気配を殺して、ひたすら気配を読みながら、ゆっくりと弓に矢をつがえる。殺気を込めないようにひたすら気配を消したまま矢を射る。
命中
草の間を隠れるように走っていた野ウサギを仕留める。
「ふうっ」
まだ意識をしないと気配が読めない。自分の気配を殺しつつ、意識をして気配を読もうとすることは出来なくはないが疲れる。いつか自然に気配を消しつつ気配を察知することが出来るのか。まだまだ修行が必要そうだ。
夕方、俺が組合に収めたのは、きつねうさぎが二匹、野ウサギが三匹、グリグリ鳥が三羽、それとシカが一頭で、カイにしては少ないと言われたが、この村の今の在庫を考えるとこのぐらいにしておいてくれる方がうれしいと言われて複雑な気持ちになった。
家に帰り、焔舞に確認するともっと多くの獲物がいたし、二匹目のきつねうさぎを狩ったときに近くにオオカミがいたが、こちらの気配を感じて去って行ったと聞いた。
…まだまだ修行の余地がありそうじゃが、本当に三年で足りるのか?
からかうように声をかけてくる焔舞に、
「なんとかして間に合わせるさ」
と答え、自分で食べるからと言って組合に提出しなかったグリグリ鳥を収納に収める。ついでに収納用の財布を出して、小金貨を収める。シカは小金貨2枚で売れるから割がいい。銀貨は日頃の支払いでも使うときがあるから自分で手持ちしているが、小金貨以上のお金は焔舞に預けている。その方が盗まれる恐れもないし。
…そろそろ冬支度用に少し多めにお金を持っておく方がいいのでは?
「冬支度か」
…いつもは精霊たちが体感温度を調整してくれていただろう?今年の冬は私も手を出さないから、相当寒く感じると思うし、毛皮なども多く持っておく方が良いぞ。
「そうだったな」
この冬は今までに感じたことがないぐらい寒い冬になるはずだ。
例年以上に厳しいであろう冬を思って、俺はまたため息をついた。
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