第2話 旅立ちの時
この季節でも朝の気温はまだ低い。
幸い雨も降らず、今の時期であれば三の刻には日も昇っている。
もうすぐ暖かくなるだろう。
十歳の時に母からもらった長剣を左腰に、そして右の腰の背中側に焔舞の短剣をつける。
矢筒をさらに焔舞の上にかぶせるようにつける。
それから位置を調整して焔舞が抜けるようにした。
マントを羽織って、右手に革袋を、左手に弓を持つ。
俺の育った家は叔父が手入れをしておいてくれる。
行こう。
家を出て鍵を閉めるときに少しだけ両親のことを思い出し、行ってきますとつぶやいた。
鍵は叔母にあずけ、里の広場へと向かった。
そこに行商人がいるはずだ。
この里から西へと進めば、二日日ほどで最寄りの村につく。
この里は隠れ里というほどではないのだが、道に迷いやすく、行商人は最寄りの村に着いたら鳩を飛ばしてくる。
この鳩は精霊の祝福を受けていて、村を出ると姿を隠し、里の近くで現れるらしい。
猟師に狩られることもなく、猛禽に襲われることもない。
そして里から西に一日ほどの中間地点にある野営場所でこの里の者と合流し、里の者に案内されて里にやってくる。
俺たちイリシアの民にとってはまっすぐの道を迎えに行って、まっすぐ戻ってくるだけなのだが、行商人によると合流してからの道は毎回変わるという。
鳩は隣の村に常に三羽ぐらいがいて、一羽が村に帰ってくると別の一羽が村に行く。
こうして俺たちの里に来る者は厳選されている。
俺たちに対して悪意を持った行商人が鳩を飛ばした場合、鳩は俺たちの里に来ない。
俺たちは気づいていないが、鳩を飛ばして野営場所まで来る者はもっと多いらしい。
だが、鳩が来なければ迎えも出ないので、里までたどり着けることはない。
実際に里に来られるのは半数ぐらいだといわれている
俺たちの里に来られるような行商人の後をつけてくる者たちもいるようなのだが、野営場所からこの里までの間に必ず迷うという。
これも一種の精霊の恩恵だ。
今回俺とオーロを送ってくれるのは行商人のイメルダだ。
イメルダは食料品以外にきれいな布や衣服を持ってきてくれる。
酒を持ってこないので女達の受けはいいが、男連中の受けは悪い。
イメルダの商隊仲間や護衛は西に一日行った場所で野宿をしながら待っているという。
今回俺は隣の村まで連れて行ってもらう。
オーロはそのままイメルダの商隊に入って修行するようだ。
「お待たせしてしまったみたいですね。すみません」
俺がついたときにはイメルダは馬車の準備も万端で、オーロはすでに馬車に乗っていた
後ろじゃなくて御者台だ。
「いや、約束の時間にはまだあるよ。他に挨拶に行く場所があるなら行ってきなよ」
「いえ、必要な人には昨日のうちに挨拶していますし、それにまだみんな寝てますよ」
早起きな者は起きていてもおかしくないが、早く起きたからにはせっせと家事をしているだろう。
今訪ねても、朝の支度の邪魔をするだけだ。
俺の出立時間にわざわざ叔母が起きてくれたが、鍵を渡したときに見送りは不要と伝えてある。
叔母も寝直さないにしても朝食の準備に時間が必要だろう。
五人分の朝食準備はいつも大変だと言っていた。
オーロの両親と兄弟はオーロと何やら話しているようだが、俺はそれを横目に見ながらイメルダの幌馬車に乗せてもらった。
幌馬車の中には大きな箱が一つ。
これは迷宮産の収納箱だ。
持ち主しか開けることができない箱で、イメルダが若いときに迷宮で見つけたのだという。
容量はこの里での行商に必要な食料や布や衣服をいれてもまだ余る。
どころか俺たちの里で取引される物はこの箱の十分の一にも満たないそうだ。
すごい物だ。
このレベルの収納箱を見つけたダンジョンダイバーは行商人になることが多い。
荷物を収納箱に入れておけば盗賊に狙われても荷物は無事だ。
不思議なことに武器などで脅されているときには収納箱は開かない。
だから、盗賊も収納箱を持っている行商人を襲うよりも町にいる金持ちを襲う方が実入りはいいのだという。
それに収納箱は迷宮のかなり奥深くで見つかるものらしく、収納箱を持っているということは腕利きのダンジョンダイバーだったという意味でもあるので、反撃される可能性が高い。
実際、イメルダも俺より強いかもしれない。
もう若くないから昔のようには動けないと言っていたが、イメルダの昔とやらに俺は勝てる気がしない。
今でようやく五分五分だろうか。
ここから野営地点までの一日は特に何事もない見込みだが、そこから最寄りの村までの間では獣に襲われることもあるかもしれない。
俺とイメルダがほぼ互角。
オーロはそれより少し劣るだろうけど、オーロはクロスボウの名手だ。
それに野営地点には護衛もいるようだし問題はないだろう。
「今日はオーロが御者をするのか?」
幌の中に入ってきたイメルダに声をかけた。
オーロは御者の特訓もしていて、イメルダから及第点を去年もらっている。
「あぁ。何でも新しい鞭を試したいらしい。あんまり馬をたたかないで欲しいけどね。急ぐ旅でもないんだし」
長鞭か。
オーロの精霊器。
確か青い石だったな。
彗は緑の石だったから大地の精霊だったはずだ。
今度の新しい精霊は水の精霊か氷の精霊か・・・。
今までとは勝手が違うだろうな。
「多分、オーロは馬をその鞭では叩かないよ。ただ、幌の中では鞭は扱えないだろうから、周りの枝とか石とかを打つんだろう。気持ちはわかるな」
俺も焔舞と訓練したい。
精霊は俺たちに様々な恩恵をくれる。
一緒に訓練をすればするほどうまくお互いの力を引き出せる。
精霊が力を貸してくれるとき、どちらかというと俺たちの力を引き出すように力を貸してくれるようなのだ。
だから、俺たちは最低限の自力を持っていないといけない。
うちの里の民で野山を一刻走り続けられない者はいない。
畑仕事をする農民でも一つぐらいは得意武器を持って身体を鍛えている。
これは女性もだ。
アシャは弓の名手だし、イータは長槍が得意だった。
オーロも長鞭の精霊と訓練すればクロスボウで矢を射ったときに距離が伸びたり、精度が上がったりするだろう。
水の精霊の恩恵は体力と早さだったはずだから、連射がすさまじいことになるんだろうな。
焔舞なら火の精霊だから攻撃力と破壊力に上乗せが乗るはずだ。
まれに属性のダメージも追加される。
火の追加攻撃が発動すると燃え広がって継続ダメージが続くので、俺も焔舞と訓練をしたいとおもっているところだ。
もっとも幌場所の中で火の訓練をするほど愚かしくないので馬車を降りてからになるだろう。
そういう意味では長鞭は便利かもしれない。御者台で手に持っていても誰も不自然に想わないし、発動が水ならちょっとぬれる程度で済みそうだ。
「そういうもんかね」
「新しい道具を手にしたときはそういうもんだろう」
それもそうか、といいながら、イメルダは収納箱をごそごそし始めた。
「いるかい?」
そう言って投げつけられたものを受け取るとミワの実だった。
俺たちの里の名産だ。
今の時期はまだ少し早い。
甘くなりきっていないけど、少し酸っぱい実も俺は好きだ。
「いただくよ」
シャリッと言う音がする。
俺はこの先何度もこの味を思い出すんだろうな。
小さい頃にはじめて母親が食べさせてくれた甘い物。
小さい頃の幸せの象徴だった。
イメルダが言うにはミワの実がこれほど大きくて、味がよいのはうちの里のものぐらいらしい。
他ではもっと小さくて、酸っぱいのだそうだ。
シャリ。
シャリ。
まだ甘くなりきっていない実を俺は今まで何度食べただろう。
母親が病気で亡くなる前にもミワの実をとってきた。
もうあまり物が食べられなくなっていた母もミワの実だけは食べてくれた。
本当においしいね。ありがとう。
そう言って笑ってくれた。
きっと苦しかっただろうに
シャリ
シャリ
故郷の味。
しばらく食べられない味。
俺の思い出の味。
俺は何度も思い出すんだろう。
元々言われていた出発の時間になって、オーロの家族が御者台から離れ、オーロは御者台で手綱をしっかり握った。
「イメルダさん、出しますよ」
「はいよ」
オーロが手綱を振る。
馬車はゆるゆると動き出す。
「元気でね」
「身体に気をつけるんだぞ」
オーロの両親が声をかける。
オーロが片手を挙げる。
「便りをよこせよ」
オーロの兄のロディが手を振っている。
俺に声をかけたわけでもないだろうし、手を振っているのも俺に対してではなく、オーロに対してだろうけど、俺もイメルダも手を振った。
イリシアの里。
次に戻れるのはいつのことになるやら。
戻るときは俺だろうか。
それとも焔舞だけが俺の身体を使って戻ってくるんだろうか。
そんなことを想っているのに気づいたのか右の腰が少し熱くなった。
馬鹿なことを言うな。
戻るときは二人でもどるんだと言われているようだった。
そうだな。必ず二人で戻ろう。
俺は俺で、焔舞は焔舞で。
道がもうすぐ曲がる。
里が見えなくなる。
いつか必ず帰ってこよう。この地に。
必ず。
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