第14話 用意周到な罠

「へ、変態!? 不法侵入! おまわりさーん!!」


 反射的にドアを閉めようとするが、それを読んでいたのか、胡狼さんはドアの隙間に素早く足を滑り込ませる。

 素足だというのに、とんでもない度胸だ。


「酷いじゃないですかぁ。せっかくご飯作って待ってたのに……」

「いーやっ! そういう問題じゃないでしょ! なんでうちにいるの!? しかも裸エプロンで!」

「ふふっ、お礼に来たんですよ。ジャージの件の……」


 そう言って妖艶に微笑む姿はとても扇情的で、蠱惑的だった。

 思わず生唾を飲み込むほどに美しく、ストーカーでなければ完全に惚れていたことだろう。


「昨日お邪魔させていただいた際に、唯人さんのお部屋を少し拝見させていただいのですけど……その、生活力というか、家事力が壊滅的に欠けているようでしたので、僭越せんえつながら私が代わりに身の回りのお世話をしようかと思いまして……」

「余計なお世話だよ! そもそも何でここにいるの? どうやって入ったんだよ!?」

「それは、まあ、ピッキングで……」

「犯罪じゃん! それ立派な犯罪だからね!?」

「まあまあ、落ち着いてください。細かいことは気にせずに、夕飯を作ったので一緒に食べましょう? 冷めてはもったいないですし」


 胡狼さんの言葉に嗅覚が刺激される。

 ほのかに香るチーズの香り。

 これは……グラタンだ。

 いい具合に焼けたチーズの匂いが食欲をそそる。


「ま、まぁ、不法侵入は1億歩くらい譲って良しとしよう。絶対に良くないけど良しとしよう。けど、その格好はなんだ!? それが恩返しに来るやつの格好なのか!?」

「え、これじゃいけないんですか? てっきり、男性は性的な恩返しを求めているものかと。ほら、『どしたん、話聞こか』とかいう人も大体、性的な恩返しが目的だと言いますし」

「求めてないよ! 俺はそんな不純な動機で動いてるとないからな」

「そうなんですか?」

「そうだよ……」


 実際のところは俺の息子は大歓喜しているわけだが、胡狼さんがこんな格好をしているのがいけないわけで、なにも最初から息子のために動いていたわけではない。

 それに、頭の方ではこれが良くないことだと理解している……はず。


「とりあず服を着ろ! 話はそれからだ」

「うーん。しょうがないですね。じゃあ……」


 物陰に消えていく胡狼さん。

 そして、次に姿を現した時には、新たに下着を身につけていた。


「いや、ほとんど変わらない! なんならさっきより悪化してるまである!」


 下着をつけたおかげで、エプロンまでもが性的なアイテムに見えてくる。

 本来、下着もエプロンもただの布切れに過ぎないというのに、何故こうも艶めかしく見えてしまうのだろうか。


「ふふっ♡どうですか? 似合ってますか?」


 胡狼さんが見せつけるように腰を突き出す

 彼女の胸の谷間に落ちる影は、まるでブラックホールのように俺の視線を吸い寄せる。

 対角線上に飛び出たお尻もまた、なかなかどうして悪くない。

 不自然に食い込んだ下着がなんとも情欲を誘う。

 正直、メチャクチャにエロい。

 相手が相手なら襲っていたかもしれないレベルだ。

 しかし、いま目の前にいるのは胡狼さん。

 俺のストーカーだ。

 故にこれは罠。騙されてはいけない。


「や、やり直し!」

「そうですか……。残念です。しかし、唯人さんの頼みとあらば、仕方ありません」


 渋々といった様子で再び姿を消すと、今度はちゃんと制服を身に着けて出てきた。

 白のブラウスに、グレーと白のチェック柄のプリーツスカート。

 うちの制服とエプロンのコンボ。これはこれで可愛らしい。


「よし。合格」

「やりました! では、今度こそお食事にしましょう。本当に冷めてしまいますよ」

「う、うむ……」


 作ってしまったのならしょうがない。捨てるのは勿体無いしな。

 ちょうど腹も減ってきたところだ。ここはありがたくいただこう……。

 そう思いつつも、恐怖を拭いきれない俺は、忍足でリビングへと向かう。

 すると、食卓の上には……


「か、輝いている!?」

「え? 輝いてませんよ?」


 輝いて見えるほどに、美味しそうな湯気を放つ一皿のグラタンがあった。

 表面を覆う黄金のチーズの膜。

 ホワイトソースの中ではゴロゴロとした具材たちが踊り狂っているようだ。

 そして何より目を引くのはその中央に鎮座する大きな鶏肉である。

 熱せられたことにより表面に浮き出た油はまるで宝石のようで、照明の光を受けてキラキラと輝いていた。

 見ているだけで口の中に唾液が溢れてくるような光景である。

 しかし待て……落ち着け俺。冷静になるんだ。

 作り手はあの胡狼さんだ。

 もしかすると、なにか混ぜられている可能性がある。いや、間違いなくあるだろう。

 毒薬? それとも媚薬だろうか。はたまた髪の毛なんてことも……。

 どちらにしろ、まともなものが入っているはずがない。


「どうしたんですか? 食べないんですか?」

「…………」

「あ、もしかして、何か入ってないかとか疑ってます? 大丈夫ですよ。は何も入れてませんから!」

「……ほんとぉ?」

「本当です。なんなら私が毒見してあげますよ」


 そう言うなり、胡狼さんは自分のスプーンで俺のグラタンをすくい取ると、躊躇なく口へと運んだ。


「うん、美味しいですよ」


 満面の笑みを向けてくる胡狼さんに、少しだけ心が揺らぐが、やはり信用はできない。

 それに今のは、間接キス未遂だ……。

 まだ新品だからよかったものの、何かしらの策略の元にこの状況を作っているに違いない。


「むぅ……食べないんですか?」

「だ、だって……」

「しょうがないですね……」

「ちょっ、何を!?」


 突然、胡狼さんが身を乗り出してきたかと思えば、グラタンを一掬いして、こちらに向けてくる。


「はい、あーん♡」

「え、ちょっ待っ……」


 なんとか抵抗を試みるが、気づいた時にはもう手遅れで……


「むぐっ!?」


 俺は間接ファーストキスを奪われた……。

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