第21話 母強し

夕方になると、暴力的な暑さが少しマシになる。

ケーキがダメになる前に千原家に着くことができた。


千原のお母さんに事前にケーキを持っていくことを電話で伝えていたからか、今日の千原は機嫌が良かった。

夏休みは、千原タイプには地獄だと思っていたが、楽しそうでなによりだ。


「今日の金ロー魔女宅だって」

「スゲーな、何回目だよ」

そんな毒にも薬にもならないことをケーキを食べながら話すだけの時間だったが、悪くなかった。


場所が学校ではないからか、あまり、仕事のスイッチが入らないのが困ったものだ。全く再登校の話ができなかった。


また、次回で良いやと帰ろうとしたら、お母さんがお茶に誘ってくれた。


「もし、お時間があるようでしたら、ケーキのお礼に紅茶はどうですか?」

保護者と2人という状況は苦手だが、何か情報をくれるかもしれない。

「ありがとうございます。頂きます」


さっき喫茶店でコーヒーを飲んだばかりだったから、紅茶はありがたい。


軽く雑談した後、お母さんが意を決した表情でこう言った。


「何も面白くない話なのですが、わたしたち家族のことを話しても良いでしょうか?」

良いに決まっている。

期待通りの展開だ。

\



私が28歳の頃に優衣は生まれました。


私は、褒められた人間ではないけれど、この子の人生は祝福されるべきだと、出産して朦朧とした頭で思ったことを、今でも鮮明に覚えています。


父親は、あまり家にいない人なので、優衣からしたら、「偶にくるちょっと太ったおじさん」らしく、父親という存在がどういったものなのかを知らずに育ちました。


優衣が5歳の頃、『クレヨンしんちゃん』の映画を一緒に観に行きました。

その映画は、ひろしが大活躍する話で、観終わった後、「ワタシの父ちゃんは!?」と聞いてきました。


私が「偶にくるちょっと太ったおじさん」がそうだと教えたところ、優衣は、あからさまにガッカリしていました。


父親は、家にいる間も難しい顔をして新聞を読んでいるか、テレビを見ているかだったので、優衣、というか、子供から見たら「怖くてつまらない大人」だったのでしょう。


ひろしのような、「やる時はやる、顔は微妙だけど面白い父ちゃん」とは、程遠い人間でした。


それでも、優衣は父親に話しかけたりするようになったのですが、父親は無視を貫きました。


女子供を見下す古いタイプなので、小さな女の子である優衣を人間として見ていなかったようです。


自分の子供なのに。


そんな父親に幻滅しながらも、優衣は健やかに育ちました。えぇ、小学生の時は常に動き回っている子で、友達を引き連れて、近くの公園や運動場に行っていました。


同級生の男の子に怪我をさせたと学校から電話があった時は、生きた心地がしませんでしたが、優衣なりに友達を守ろうとした結果のようでした。


とにかく、謝らなくては場が収まらなかったので、形だけ謝罪をしましたが、自分の娘が友達のために怒れることを誇らしく思いました。暴力は良くありませんが。


学校からの帰りに、コンビニでアイスを買って一緒に食べながら帰りました。


私は、納得いかないことがあった時は、話し合いで解決しなさいと、何の役にも立たないことしか言えなかったので、せめてアイスでも買ってあげて、良い母親ぶりたかったのです。


こういうシチュエーションでは、子供は泣くものだと思っていたのですが、優衣は泣きませんでした。

ただ、険しい顔をして前を見ていました。

今、思えば、泣くべきだったのでしょう。

感情を表に出す練習をするべきだったのです。


でも、優衣は我慢が上手な子です。


私は、優衣が泣いても迷惑だなんて思わないのに。


しかし、元気な性格が変わることなく、中学生になりました。


事件が起きたのは、中学2年の時でした。


父親が勤めていた車の部品を作る工場で、優衣の親友のお兄さんが、心を病んで退職しました。


お兄さんを追い込んだのは、父親でした。


父親は、その工場では「新人潰し」と呼ばれ有名だったようです。


自分と同じグループに入った若い方のミスとも言えないミスを執拗に責めて、古い価値観の話を聞いてもいないのに語り出し、「だからお前はダメなんだ」と、何がダメなのか謎な説教をほぼ毎日して、新人さんが仕事のために移動すると後からつけて、新人さんのやり方にケチをつけたそうです。


一番厄介なのが、その歴代の新人さんの仕事ぶりは、そう悪いものではなかったということです。

父親のやり方とズレていたら、烈火の如く怒り散らす、百害あって一利なしな職員だったのです。


父親は、その当時、42歳でしたが、地位は高くありませんでした。


同期の方々は、部長クラスになっているのですが、そのパワハラ気質と仕事のできなさで、出世からは大きく逸れていました。


その苛立ちから、放っておけば自分より偉くなる可能性のある若い人に当たっていたのです。

そんな迷惑な被害を受けた親友のお兄さんは、今では、立派に社会復帰して別の工場で働いていますが、当時は、想像を絶する地獄を味わっていました。


その姿を身近に見ていた親友の娘は、ここまで兄を追い詰めた人間を突き止めました。

工場は謝罪しましたが、父親が謝ることはありませんでした。


結果、父親はクビ。


こうなったら、邪魔なだけだったので、すぐに離婚しました。


幸いなことに、私にはお金を稼ぐ手段はあったので、不都合はありませんでした。


その娘さんが家族も調べたところ、自分の親友がそのクズの娘だと知りました。


その娘と優衣の間に何があったかは分かりませんが、優衣はその日から、明確に変わりました。


想像はできますが、想像でしかありませんので、無責任に先生に話すわけにわけにはいきません。


友達を作る努力を全くしなくなりました。


高校に進んで、佐藤さんと仲良くなったと話してくれたことで、少し安心していたのですが、4月から学校に行くことを完全にやめました。


私が分かることは、これで以上です。


もうこんな時間ですね。つまらない話を長々とすみませんでした。最後まで聞いて下さりありがとうございました。


まだ外は暑いので、お気をつけて帰って下さいね。

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