第21話 過る影

 ローズマリーの悪意ある視線を背に受けながら、クリスティーナはルイスに連れられてその場を後にする。歩く間に、ルイスに一つ尋ねた。


「ローズマリー嬢とは仲がよろしいのですか?」

「おや、どうしてそんなことを訊くんです?」

「ご本人からそううかがいましたので。」

嗚呼あゝ、なるほど…。」


 ルイスは困ったように眉をハの字にする。


「仲が良いのは妹の方で、私はそこまで…。確かに昔からよく会っていたので、他のご令嬢と比べたら親しいとは思いますが。」

「そうでしたか。」


 クリスティーナがなんとなくホッ、と息を吐くと、それを見たルイスは驚きの目を向ける。視線を感じたクリスティーナはルイスを見て首を傾げた。


「何か?」

「あっ、いえ…。」


 煮え切らないルイスの態度に、クリスティーナは釈然としない。


「何かあれば遠慮なく仰ってください。」

「本当に何もありませんよ。」


 そう言ってルイスは微笑むが、今回はどこか引き攣っているように見える。

 クリスティーナがもう少し突っ込もうとしたところで、会場内に音楽が響き始めた。ダンスの時間である。


「クリスティーナ嬢。」


 ルイスがクリスティーナ嬢の手を取る。


「ダンスの相手をお願いしても?」

「えぇ、もちろん。」


 返事を受け、ルイスはクリスティーナの手を引いてホールに出る。最初の姿勢に構えたところで、クリスティーナが小声で言った。


「お恥ずかしながら、最近は弟としか踊っていないもので…足を踏んでしまうかも知れません。」


 アランの身長はクリスティーナより少し高いくらいで、ある程度の差がある男性と踊るのは久しぶりなのだ。自分より背の高い男性と目を合わせると足下が見えなくなるため、クリスティーナは相手の足を踏む自信があった。

 それを聞いたルイスは一瞬驚いた表情を見せるとふっ、と笑う。


貴女あなたにも苦手なことがあるのですね。」

「申し訳ありません。」

「いえ、責めているわけではなくて…。僕も久しぶりなので、上手くリードできないかもしれません。」


 誤解されたと思ったルイスは慌てて訂正し、苦笑いしながら自分の事情を告白する。


「お互いに頑張りましょう。」

「はい。」


 ルイスのリードのもと、二人はステップを踏み始める。一番スタンダードなワルツのリズムで、二人は何の危なげも無く踊っていた。

 ルイスのリードは実に優しく、最大限に相手が動きやすいよう配慮しているようであった。アランや父のハロルドは積極的に相手を引っ張るタイプなので、これほどまでに性格が出るものなのかとクリスティーナは思う。


 主役二人のダンスは、見ていた賓客を魅了した。貴族の中でも有名な美男と美女の組み合わせをお似合いだと思った人間がどれだけ多かったか分かったものではない。いわば完璧な二人のダンスに、ほとんどが目を奪われていた。


 踊っている本人達は全く気にせず、音楽に合わせてステップを踏む。

 しかし、曲の後半になって佳境を迎える頃、クリスティーナは一瞬のリードのブレを感じ取った。

 ルイスを見て確認すると、「すみません」と小声で謝られる。何も問題は無いとばかりに微笑むルイスだが、ダンスの前と比べて確実に顔色が悪くなっていた。体調が悪化しているのはクリスティーナにとっては一目瞭然であった。

 だが本人は何も言わないので、その後は何事も無かったように続け、そのまま一曲が終わるのを待った。


 見ていた人々が、おぉ…と感嘆の息を漏らす。次の曲が始まる直前に、クリスティーナが言った。


「少し疲れてしまいました。休憩してもよろしいですか?」


 そう言うクリスティーナはルイスの手をしっかり握っており、ルイス本人もそれを察する。彼は一瞬驚きの色を目に浮かべたが、それを覆い隠すようにすぐさま微笑み、他者に悟られるのを阻んだ。


「では休憩室へ。」


 クリスティーナはルイスと腕を組み、あくまで典型的な仲睦まじい婚約者を演じながら、会場を出て行った。



 休憩室へ移動し、正真正銘の二人きりになったところで、クリスティーナが尋ねた。


「お加減はいかがですか?ルイス様。」

「やはり、貴女あなたにはすぐに気づかれてしまいますね。」


 ルイスは苦笑いを浮かべる。クリスティーナは何も言わず、ルイスを部屋のソファに誘導した。


「どうして分かったのですか?」

「突然ステップが乱れていたので、不思議に思いました。」

「最初に失敗するかもしれないと言っておいたのに?」

「それまでのルイス様の足取りは完璧でしたし、難しいステップではなかったはずなので。」


 他にも僅かにかいていた冷や汗や時折垣間見えた息遣いの荒さなど、挙げていけばキリが無いのだが、全てを指摘すると明らかに可笑しいので、クリスティーナはそれ以上言わなかった。


「なるほど…。今度から貴女あなたに気づかれないくらい上手く隠さなくては。」

「そんな事を気にするくらいなら自分のお体の方を…。」


 ここまで言って言葉が止まる。アランがふざけた時のようについ言葉を返してしまった。


「クリスティーナ嬢?」

「失礼しました、何でもございません。」

「ええと…何が失礼だったんです?」

「お言葉を返すようなことを言ってしまいましたので。」


 ルイスは少し考えて何かを察すると、優しく微笑みながらクリスティーナをソファに座らせ、その隣に自分も座った。


「謝らないでください。貴女あなたに身を案じて貰えたようで嬉しいです。それにいずれは夫婦になる間柄ですから、私に遠慮する必要もありません。」


 ルイスはそう言ってクリスティーナの手を包むように握り、彼女の膝の上に置く。一方の彼の言葉を聴いて、クリスティーナは首を傾げた。

 夫婦とは遠慮の無いものなのか?クリスティーナは母が居ないためよく分からないが、妻は意見することなく夫を立てるものだと聞いたことがある。正反対の事を言うルイスに、クリスティーナは少々驚いていた。

 だが将来の夫がそう言うのならば、流儀に従わねばなるまい。


「でしたら、ルイス様も私に遠慮する必要は無いのでは?」

「えっ?」


 クリスティーナの言葉に、今度はルイスが首を傾げる。クリスティーナはルイスの瞳をまっすぐに見つめた。


「私に気づかれるのを気にするくらいなら、ご自分の体を大事にしてください。」


 いつも通りのトーンで、クリスティーナは言う。何の含みも無く、彼女はただ純粋にルイスを心配していた。


 ルイスは驚いたような表情を見せる。何かを言おうと口を開いた次の瞬間、ルイスは顔を歪めて自分の胸を押さえた。


「うっ…。」

「ルイス様⁉︎」


 突然息苦しそうに浅く速い呼吸を繰り返し始めたルイスに、流石のクリスティーナも動揺する。


「誰か人を呼んで来ます。」


 立ち上がったクリスティーナの手を、ルイスが左手で掴んで止めた。


「大丈夫です、呼ばなくて…。」

「ですが…。」


 決して大丈夫には見えないルイスの様子に、クリスティーナは戸惑う。無視して人を呼びたいところだが、ルイスの手はかつて無く力強かった。


「発作のようなものなので…。しばらくすれば、落ち着きます。」


 痛みに耐えて安心させるように笑うルイスに、クリスティーナはそれ以上何も言えずに持ち上げていた腰を下ろす。


「でも少しだけ、肩を貸してください。」


 ルイスはクリスティーナの右肩に寄りかかる。少しは楽になったのか呼吸が和らいだが、いっそ横になった方が楽なのではないかとも思った。もっとも、今のクリスティーナは身動きが取れないためどうしようもないのだが。


 先程まで何食わぬ顔でダンスしていたのが嘘のように、今はすっかり病人の顔である。それでも自分を安心させるように微笑みを忘れないルイスに、クリスティーナは驚きを通り越して半ば呆れていた。

 彼はいつもそうだ。自分より相手を一番に考える。貴族の、しかも侯爵家の令息ならば自分を一番に考える傾向があっても不思議は無い。というかそちらの方が多いだろう。それなのに、彼はいつも自分は二の次。初めて出会った時からそうだった。


———もう少しくらい、自分に気を遣っても良いだろうに。


 クリスティーナは、自分の手を握ったままのルイスの左手を見る。その手は女性の手のように真っ白で華奢だ。持病は無いと聞いていたが、今の“発作のようなもの”を見るとただの虚弱体質という言い分も怪しい。


 ルイスには、絶対に何か秘密がある。だがあったところでそれに踏み込む権利は無いと彼女は解釈していて、詮索するつもりもなかった。

 しかし彼女の本心の奥にあるのは、漠然とした恐怖。触れてはならない…。なぜか本能がそう警鐘を鳴らしていた。


 クリスティーナは自分の手を掴んでいたルイスの手を一旦ほどき、包むように両手で握る。彼が快方へ向かうことを、心から祈っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る