第19話 王子の悪戯
宴の場の扉が開かれると、来賓の視線が一気に二人に向けられる。思った通りの人の多さに、クリスティーナは内心ため息を吐きたくなった。
足を踏み入れるなり声をかけられ、順番に挨拶していく様子はほぼ流れ作業だ。だが大半のお目当てはルイスの方なので、クリスティーナがただ隣に立つだけで良かったのは救いである。
下級貴族はもちろん、名の知られた有力貴族までもがルイスを気にかける様子を見て、クリスティーナは改めてグレンヴィル家の影響力を感じる。王の側近の家柄となるとやはり別格らしい。
一通りの挨拶回りが終わったところで、ホールの扉が開いた。現れたのは、白い軍服に深緑のペリースをはためかせたウィリアムである。その場の貴族は居住まいを正し、それを見たウィリアムはにこりと笑顔を向けて言った。
「今日の主役は僕ではない。皆楽にしてくれ。」
普段はフレンドリーな人物だが、彼もれっきとした王子。正式な場では王族の振る舞いを忘れていない。彼は祝辞を述べるべくまっすぐにルイスのもとへ向かった。
ウィリアムが近づき、ルイスは頭を下げる。
「心から祝福するよ、グレンヴィル卿。そしてウェルズリー嬢も。」
「恐悦至極に存じます。」
ウィリアムの表面的な挨拶が終わると、その他の客は解散して談笑の続きを始める。それを見たウィリアムもまた、王族らしい振る舞いをルイスの前でやめた。
「こういう堅苦しい振る舞いはやっぱり嫌だね。せっかくのお祝いなのに息が詰まる。」
「王子なら我慢してください。」
「パーティーは楽しむものだよ、ルイス卿?」
「全く…。」
ウィリアムの奔放さに、ルイスが頭を抱える。
今まで見てきたものとは異なる二人の姿に、クリスティーナは意外性を感じていた。ルイスがウィリアムの側近であることは周知の事実であるが、以前少し聞いたエピソードも踏まえると、よほど仲が良いことが容易に推測できる。
「久しぶりだね、クリスティーナ嬢。いつも美しいけれど、今日は一段と綺麗だ。ルイスなんて霞んでしまうね。」
「滅相もございません。」
「変なことを言って彼女を困らせないでください。」
先ほどの威厳はどこへ行ったのか。ルイスを
「おや、アスター伯爵。こうしてお会いするのは久しぶりかな?」
ウィリアムが声をかけたのは、明るい茶髪の細身の男性。その隣には、ピンクのドレスに男性と同じ色の長い巻き髪の少女が居た。
「殿下、ルイス卿、ご無沙汰しております。」
「お久しぶりです。本日はわざわざご出席いただきありがとうございます。」
「他ならぬルイス卿のご婚約祝いですからね。お招きいただいて来ないわけには。」
その男性、アスター伯爵はにこやかに話す。アスター家はグレンヴィル領に隣接する土地を治めており、侯爵家との付き合いが長い。来賓の名簿に目を通し、関係もある程度把握していたクリスティーナだったが、アスター家との親密さが二人の会話から伺えた。
「婚約者のクリスティーナです。」
「どうぞお見知り置きを。」
「これはこれは…噂に違わずお美しい。」
「とんでもございません。」
アスター伯爵は気さくな人のようで、初対面のクリスティーナにもにこやかに話している。将来の侯爵夫人だから突然と言えば当然だが、いつも周りから受ける悪意や含意が一才感じられないことは、クリスティーナの気を楽にさせた。
「ははは…クリスティーナ嬢はお美しい上に謙虚でいらっしゃるようだ。これは娘のローズマリーです。」
「初めまして、クリスティーナ様。」
ローズマリーはにこりと笑顔を見せる。普段笑わないクリスティーナとは全く逆の、お手本のような笑顔である。美人と称されるクリスティーナとは違って可愛らしいという表現が似合うような、やや幼なげな顔立ちには
「じゃあ、ルイス。アスター伯爵と話もあるだろうし、ちょっとだけクリスティーナ嬢を借りていいかな?」
「えっ⁉︎」
「大丈夫、別に何もしないよ!」
「ちょっ…殿下!」
何を思い立ったのか、ウィリアムはクリスティーナの手を取ってその場を足早に去る。ルイスは焦った表情を見せたが、一向に気にせずにクリスティーナの手を引いた。
「ここら辺で良いかな。」
二人が止まったのはバルコニー。手すりまで寄ると、その隣の窓から会場の様子が見える。
「ウィリアム殿下、こんなことをしては変な噂が立ってしまうのでは?」
「どうせルイスが直接取り戻しに来るだろうし大丈夫。」
「なぜこのようなことを?」
「え〜?ルイスの焦った顔が見たいからに決まってるじゃん!」
ウィリアムの笑顔はいっそ清々しく、クリスティーナの前だというのにすっかり王族の振る舞いを忘れている。
ルイスの方を見ると、突然クリスティーナが連れて行かれたことに動揺しながらも、アスター伯爵やローズマリーと話をしている。
ローズマリーと親しげに話すルイスの姿を見て、クリスティーナの心臓がどくん、と跳ねた。ざわざわとした不快感に襲われ、無意識に両の手を握り締める。
この感覚は何なのか?最近は知らない感覚を覚えることが多くて困る。
「へぇ…これはさらに面白くなってきたねぇ。」
そんな中でウィリアムだけは、愉快そうに笑っている。
「何か?」
「いや、何も。」
明らかに何かあるのだが、それ以上は何も言わないウィリアムに、クリスティーナは問い詰めるのを止めた。
「ちなみに、ローズマリー嬢は一時期ルイスの婚約者候補だったんだけど、アスター伯爵の子どもが彼女しか居ないから白紙になったんだって。まぁ、伯爵は養子を貰っても良いと考えていたけど、ルイスがお得意の説得という名のお断りで回避したらしいよ。」
「なるほど…。ですが何故わざわざ私に?」
「現婚約者だからね。気になるかと思って。」
「私は別に…。」
「そっか。じゃあそういうことにしといてあげる。まぁこれからもお付き合いするだろうし、情報があるに越したことは無いでしょう?俺としては、何も知らないクリスティーナ嬢がルイスとすれ違うっていうのも見てて面白そうだと思ったけど…ルイスの一方的ってわけじゃなそうだし?」
「一方的…?」
ルイスの何が一方的なのか分からず、クリスティーナは首を傾げる。分かっているのはウィリアムだけで、何かを企むように不適な笑みを零していた。
「しかしウィリアム殿下は、ルイス様を随分と信頼なさっているのですね。」
クリスティーナが発した言葉にウィリアムは一瞬きょとん、とするとすぐに破顔した。
「何かおかしなことを言ってしまったでしょうか?」
「いや全然?まぁ、ルイスとは付き合いが長いからね。でもどうして急に思ったの?」
「ルイス様の前と他の方の前とでは、殿下の表情が全く異なるように思います。」
「へー、そう見えるんだ。どういう風に?」
「そうですね…無礼を承知で申し上げますと…。」
「いいよ、遠慮なくどうぞ。」
ウィリアムは笑顔で言う。王族に対して正直に物を言うのは普通気が引けるものだが、“氷の薔薇”のクリスティーナにはどうということは無い。
「ルイス様の前以外で、殿下の目が笑っていたことはございません。」
クリスティーナの言葉に、ウィリアムは目を見開く。暫しの沈黙が流れると、次の瞬間にウィリアムは勢いよく吹き出した。
「…ふっ、ははははっ!」
一人で爆笑し、腹を抱えるウィリアム。クリスティーナは何も言わず、ただその様子を見ていた。
「あはははっ…あー、お腹痛い…。やっぱり君は面白いね。」
ウィリアムは片手で目を覆いながら笑う。
「そうか、目が笑っていないか。だったら…。」
目を覆う指の隙間から、驚くほどに冷え切った笑わない目を覗かせた。
「もっと本気で笑うようにしなきゃ。」
クリスティーナが初めて聞くような低い声でウィリアムが言う。これが、いつも笑顔の王子様の素顔だった。
「普通のご令嬢であれば気が付きませんよ。」
「君はその中に入らないのかい?」
「他人の動きには敏感なもので。」
「なるほど。まぁ、君はそこら辺の能天気な箱入りお嬢様とは違うだろうね。だから信頼できる。」
「私をですか?」
「
ウィリアムは月の輝く夜空を背にしてバルコニーの手すりを掴んだまま寄りかかる。ルイスについて話す彼は、どこか得意げだ。
「あいつはああ見えて用心深いし、人を見る目がある。だからあいつがクリスティーナ嬢を選んだなら、それを信じるだけだよ。」
「それほどまでに…。」
「ルイスはこの世で唯一信じられる人間だからね。」
王子であれば敵も多い。王位継承問題の渦中に居ては、人を信用することも簡単ではないだろう。そんなウィリアムが唯一信じられると言うのなら、二人の関係は並のものではないらしい。
「クリスティーナ嬢、ルイスをよろしくね。」
唐突なウィリアムの言葉にクリスティーナは一瞬戸惑いながらも、カーテシーで返した。ウィリアムは感謝を表すようにまた微笑む。
そろそろ頃合いかと思われたところで足音が聞こえ、人影が浮かぶ。しかし二人が向けた視線の先には、予想とは異なる人物が居た。
「改めましてご機嫌よう、ウィリアム殿下。そしてクリスティーナ様。」
人影の正体は、男性ではなく少女。
ローズマリー・アスターであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます