第18話 初めての気持ち

 教会での婚約式が終わって場所を移動した後、クリスティーナは夜の宴会に向けてアンナの手を借りながら支度を整えていた。


「今日は一段と人が多そうね。」

「もちろんです。グレンヴィル侯爵家もウェルズリー辺境伯家も名門ですから、注目が集まるのは当然かと。」


 ウェルズリー家は辺境伯なだけあって内政に関与する事はほとんど無いが、その分外政に深く関わるため、それなりの影響力を及ぼす。辺境伯の中でもウェルズリー家が治めるのは、度々衝突のある帝国・フェリシアと隣接している街なので、一際強い力があるのだ。

 一方のグレンヴィル家は言わずもがな。側近として王を直接支える立場のため、その影響力は凄まじい。ルイスは王太子の側近ではないが、だとしても強い影響力を引き継ぐのは間違い無いだろう。

 内政の中枢グレンヴィルと、外政の中枢ウェルズリー。この両家が結びつくことは、非常に重大な出来事なのである。


「ですがご安心ください、お嬢様。今日は今までのようにお誘いを断る言い訳をつくる必要もありませんよ。ルイス様を盾にすればよろしいのですから。」

「そのような言い方は失礼よ?否定はしないけれどね。」


 誰か一人でも誘いを受けると後を絶たなくなるため、夜会でのクリスティーナはいつもアランと最低限踊るだけだった。おそらく必要最低限なのはこれからも変わらないだろうが、下手な嘘を吐く必要も無くなる。『婚約者がいるので。』ただそれだけで済むのだから。


「社交場でルイス様をお見かけした事は無いのですよね?」

「そうね。あまり姿をお見せにならない方だから。」

「気をつけてくださいね?何せあれほどの美男子でいらっしゃいますから…。」

「気をつける?何を?」

「え⁉︎それはもちろん、他のご令嬢に取られないようにですよ!」

「取られる…?」


 既に婚約者が居る男性に目をつける人なんて居るだろうか?そもそも目をつけたところでどうしようもないだろうに…。


「もう!お嬢様は危機感が無さすぎます!」


 一向に意味を理解できない様子のクリスティーナを見て、アンナは盛大にため息を吐く。


「婚約しているから安全というわけではないんですよ⁈もしかしたら愛人を囲うなんてことも…。」

「別に構わないわ。」


 貴族ならありえない話ではないだろうが、ルイスの人柄からしてそういうタイプにも見えない。それに万が一そうなったとしても、そもそも恋愛感情など無縁な婚約なのだから気にすることではない。少なくともクリスティーナには、ルイスのプライベートに干渉する意思は無かった。


「お嬢様はドライすぎますよ…。」

「だってどうでも良いもの。」


 たとえ婚約者であろうと、他人の趣味や色恋に口を出すつもりは無い。どうせ婚約破棄など簡単にはできないのだ、気にする必要は無いだろう。


「それより、そろそろ時間かしら?」

「そうですね。少し外を見て参ります。」


 頃合いになれば迎えが来て、ルイスと合流する予定だ。

 アンナが扉を開けるとちょうど迎えの下僕が来ており、クリスティーナは最後の仕上げを終えてから部屋を出た。右手の薬指には、婚約指輪の宝石が赤紫色に輝いている。



 宴会場の入り口まで案内され、クリスティーナは扉の前に立っていた。ルイスは少し遅れているらしいので、大人しく待つ。


 アラン以外の男性と社交場に出るのは初めてのことで、クリスティーナは柄にも無く少し緊張していた。

 ルイスが来れば少しは落ち着けるのに…。そんな思考が脳裏に浮かぶ。彼女は自分でも知らず知らずのうちに、ルイスに心を許していたらしい。

 落ち着こうと大きく息を吐くところで、遠くから早い足跡が聞こえた。待ち人の登場である。


「申し訳ありません、クリスティーナ嬢!」


 ルイスは息を切らせながら走って来るなり、クリスティーナに謝罪する。一度は綺麗に整えたはずの正装が、少し乱れていた。


「お構い無く。私も来たばかりですから。」

「そうですか…。」


 いつもならすぐに微笑んで手を差し伸べるルイスだが、今回はクリスティーナを見るなり無口になり、そのまま立ち尽くしている。


「ルイス様。もしかしてお加減が悪いのでは?」

「えっ⁉︎」

「まだ息が整わないようですし、顔色も良くないようにお見受けします。」


 朝は陽の光のせいで気が付かなかったが、今日のルイスの顔色はいつも以上に白い。それに加え、大して長くない距離だったにも関わらずルイスの息は未だ荒れている。クリスティーナから見て、明らかに普通ではなかった。


「…貴女にはすぐに見抜かれてしまいますね。」


 ルイスは驚きと諦めの入り混じったような苦笑いを浮かべ、白旗を掲げた。


「気づかれない努力はしたのですが…。」

「様子が気になったもので。どこか上の空になっていたようですし。」

「あ、それは関係無いのですが…。」


 先程黙り込んだ原因も体調不良かと思ったクリスティーナだったが、ルイスは即座に否定した。


「あら、そうなのですか?では一体どうして…?」

「それは、その…。」


 ルイスは何かを言おうとしたが、恥ずかしそうに口籠る。ついさっきまで真っ白だった顔が、僅かに赤らんだ。


「あまりにも貴女の姿が綺麗で…見惚れてしまったんです。」


 ルイスの言葉に、クリスティーナは自分の格好を見る。

 今日のイブニングドレスは紺青色のオフショルダードレスで、胸元には小紫の薔薇の飾りがあしらわれている。長い銀髪は三つ編みでひとまとめにしてサイドに流しており、小さな花の髪飾りを一緒に編んでいた。

 このドレスは今日のためにルイスとも相談して作った物。なので予めデザインは知っていたはずなのだが、出来上がりは彼の予想を上回ったらしい。


「とても素敵です。」

「…ありがとうございます。」


 ルイスの優しい声音に、クリスティーナは自分の胸のあたりがざわつくような、何ともよく分からない感覚を覚えた。お礼の言葉もなぜか声が小さくなってしまったが、ルイスは気にしていない様子だ。


 初めての感覚に、クリスティーナは戸惑う。ルイスの褒め言葉は、今まで幾人もの男性から受けたものと変わらない社交辞令リップサービスのはずなのに、どうしてこうもくすぐったい気がするのだろう。


 そんなクリスティーナの気も知らないルイスは、いつものように手を差し伸べる。


「行きましょうか、クリスティーナ嬢。」

「…はい。」


 差し伸べられた手を取ると、クリスティーナの右手は腕を組む形でルイスの左腕を握った。

 すると先程から感じるざわざわとした感覚が一段と増し、思わず左手を胸にあてる。


「どうかしましたか?」

「いえ、何も…。」


 軽く自分で触診しても、異常は何も無い。

 この感覚は一体何なのか?その疑問を解消できないまま、クリスティーナは宴の場へ足を進めるのであった。

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