第16話 外れない枷

※後半グロテスクなシーンがあります。ご注意ください。


***


 月日が経ち、遂にクリスティーナの婚約式前夜となった。明日に備えてウェルズリー家も準備に忙しく、着る予定のドレスや装飾品が並び、順番に点検されている。


「姉さんが遂にか…。娘を嫁に出す父親ってこんな気持ちなのかな?」

貴方あなたは弟でしょう。それにまだ嫁がないわ。」


 クリスティーナの的確なツッコミに、アランは不貞腐れたように口を尖らせる。


「だって、もう姉さんをエスコートすることも無くなるでしょ?最近は“夜会”も来てくれないし…。」

「“夜会”の話はお父様に文句を言いなさい。」

「分かってるよ…。」


 最近の暗殺家業は基本的にアランが担当しており、クリスティーナが行く回数は減っていた。アランやセシルでは心許こころもとない時に行かされるのだが、そういったケースはほぼ無い。嫁げば家業から手を引く事になる為、その準備段階といったところだろうか。


「お父様が褒めていたわよ、私無しでもしっかりできているらしいわね。」

「殺しなんて褒められても嬉しくないよ…。ま、姉さんに頼ってるようじゃ後で困るからね。姉さんも安心できないだろうし?」

「別に心配はしていないわ。貴方あなたはやろうとすればちゃんとできる子だもの。」

「流石、姉さんは僕の事分かってるな〜。やっぱりお嫁に行くのやめない?」

「一人でできるのかできないのかはっきりしなさい…。それにもう一度言うけれど、結婚はまだ先よ。」

「じゃあそれまでにルイス卿を消せば…。」


 アランが何かを企むような悪い顔を見せる。実際は何も持っていないが、短剣を出してもおかしくないような雰囲気だ。


貴方あなたは私を独り身にしたいのかしら?」

「まさか!もちろん冗談だよ?」


 今度は悪戯っ子のようにニッと笑う。クリスティーナも本気にした訳ではないが、自由すぎる弟に呆れるようにため息を吐いた。


「僕はそんなに馬鹿じゃない。」

「分かっているわ。」

「流石姉さん!そんな姉さんにきたいんだけど…。」


 アランが声のトーンを下げ、真剣な眼差しを向ける。クリスティーナと同じ紫色のその瞳は、どこかうれいを帯びていた。


「姉さんは…。」


 アランの言葉が詰まる。不思議に思ってじっと見ると、アランは躊躇するように俯いた。

 クリスティーナが何も言わずに待っていると、しばらくしてまた口を開く。


「…嫁いだら、“ウェルズリー”を捨てられると思う?」


 アランが口にした言葉に、クリスティーナは目を見開いた。その問いは予想より遥かに簡単で、それに見合わぬ険しい表情をアランが浮かべたからである。


「どうしたの、急に?私だけ抜け駆けすると思って止めたくなった?」

「そんなのじゃないよ…!僕は、ただ…。」


 その先の言葉を抑えるように、アランはぐっ、と拳を握り締める。


「心配しなくても、捨てられるわけないでしょう。“主人様マスター”に誓った事を忘れた?」

「っ…。」


 アランは傷ついたように一瞬だけ唇を噛む。しかしすぐに口角を上げ、ニコリと笑って見せた。


「姉さんなら、そう言うと思った!」


 笑っていると思えば唐突に険しくなり、暗いと思えば明るく笑う。そんな転々としたアランの心情が、この時のクリスティーナには理解できなかった。


「じゃあおやすみ、姉さん。明日の晴れ姿を楽しみにしてるね!」

「…おやすみなさい。」


 アランはそのまま話を切り、逃げるように部屋を出て行った。




「全く、読めない子ね。」


 何気なく呟いた自分の言葉に、クリスティーナはふと違和感を覚えた。



 自分はいつから、アランの事が読めなくなったのだろう…?



 同じ日に生まれ、共に育ってきた弟。幼少の頃は嬉しい時に笑い、悲しい時に泣くような素直な子だった。今のように他人に心情を読ませないような作り笑いとは無縁だったのだ。


 しかしいつからか、アランが見せる表情は笑顔だけとなった。頬を膨らませて怒るような仕草をしても最後には茶化すように笑うし、そもそも真の怒りを表に出すような事はしなくなった。

 それがいつからだったのか、クリスティーナは思い出すことができない。初めて作り笑いを見せたのはいつだったか?彼が泣かなくなったのはいつだったか?


 改めて考えてみると、彼女はどれについてもはっきりと覚えていないのであった。


 なんて情けない姉なんだろう。今までずっと近くに居たのに、自分は弟のことを解っていない。それまでアランを見てきた時間が、なんとも馬鹿らしく思えた。



『アランを守ってあげてね、クリスティーナ…。』



 頭の中で木霊する声に、ペンダントのロケットを握る。

 ベッドの傍で握った真っ白で細い手と、ぼんやりとしか思い出せない母を思い浮かべながら、クリスティーナは静かに目を閉じた。


 分かっている。ウェルズリー家の後継であるアランを守ることが、自分の生きる意味だと。そして自分が“ウェルズリー”から離れることは、決して無いのだと。


「…約束は忘れません、お母様。」


 母への誓いが忘れられる事は無く、終わりも無い。クリスティーナにとっては絶対的な信条であるが、それは永遠の呪いでもあった。



 そして、その誓いこそが自分の生涯を縛る外れない枷だという事に、彼女が気付く事は無いのであった。



***



「こちらは終わりましたよ、アラン様…って⁉︎」


 とある場所で夜の仕事にあたっていたセシルは、アランを見て顔を引き攣らせた。


「…ん?どうかした?」

「え、えっと…。」


 それもそのはず。セシルが目にしたアランはいつに無く返り血だらけで、標的ターゲットを馬乗り状態で滅多刺しにしている。しかも急所をわざと外しており、未だにピクピク動いている標的ターゲットには同情さえ感じる。

 極めつけはアランの無感情な目だ。何も考えずただ無心で人を刺す光景は、まさに狂気である。


「アラン様、そろそろトドメを刺しては…?」

「…嗚呼あゝ。」


 アランは深々とため息を吐き、思い切り振りかぶって一寸もずれる事無く喉仏を突き刺した。


「…地獄に堕ちろ。」


 そう呟いて短剣を抜くと、鮮血が勢い良く噴く。

 それを見るアランの目は変わらず冷めていたが、あまりの残忍さに流石のセシルも顔色を悪くした。


「アラン様怖い…。」

「…何か言った?セシル。」

「ひぃっ⁉︎」


 低い声で尋ねるアランに、自分が漏らした心の声を聞かれたと察する。アランに向けられる視線に耐え切れなくなったセシルは、いっその事、と思い切って言った。


「…そんなにクリスティーナ様のご婚約が気に食わないんですか?」

「は?」

「ゴメンナサイ。」


 アランの一声で硬直したセシル。それを見て知らず知らずのうちに自分の気が立っている事にようやく気付いたアランは、気持ちを落ち着けようとまた一つ息を吐いた。


「ごめん、セシル。自分がこんなに他人ひとに八つ当たりしてるとは気が付かなかった。」

「え、気付いてなかったの⁉︎……じゃなくて、僕は別に構いません。ただ、そんなにお召し物を汚して良いものかと思いまして。」

「別に良いさ。どうせ随分前から人の血が染み込んでるんだから。」



———月明かりだけが照らす薄暗い部屋。べっとり濡れた床の上に、誰かが横たわっている。

 そして自分の目の前には…。———



「…アラン様?」

「…っ‼︎」


 自分を呼ぶ声に、瞬時に我に返る。一瞬脳裏によぎった忌まわしくも愛しい記憶に、アランは下唇を噛んだ。

 セシルはその様子を見て何も言わないが、軽く首を傾げる。


「…さっさと帰ろう。」

「えっ⁉︎は…はい!」


 アランは黒い薔薇を置き、その場を立ち去る。

 後ろを歩くセシルには、その背中がどこか切なく、寂しいように見えた。

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