第14話 凍てつく薔薇と陽だまり

「誰だ、私の馬車を止めたのは!」


 馬車の中から飛んできた怒号に、クリスティーナはため息を吐く。馬車を確認すると、ポーレット伯爵家の紋章があった。


「申し訳ございません、ロナルド様。子どもが飛び出してきまして…。」


 御者が事情を説明し始める。ロナルド・ポーレットは伯爵家の子息であり、クリスティーナは社交場での面識があった。だが馬車の中に居る彼には、クリスティーナを視認できていないらしい。


「申し訳ございませんでした、お貴族様!どうかお許しください…!」


 飛び出した子の母親が、子を抱きながらその場に跪く。しかし彼の怒りは収まらないようで、再び声を荒らげた。


「平民の子どもが、私の行く手を阻んだというのか?命が惜しくないようだな!」

「どうかお許しください!私が罰を受けますから、せめて子どもだけは!」


 母親が目に涙を浮かべながら訴える。しかし彼はそんな親子を馬車の小窓から見下ろし、妥協する気配を見せなかった。


「そんなに望むなら、二人まとめて罰を与えてやる!」

「そんな…!」


 子どもを守ろうと抱き抱える母親に、無情な罰を言い渡すロナルド。しばらく会話を黙って聴いていたクリスティーナだが、流石に見かねて前に出た。


「…落ち着いてください。大事にも至りませんでしたし、子供のした事でございます。どうかお許しください。この程度のことで騒ぎ立てて、伯爵家の家紋に泥を塗るおつもりですか?」

「なんだと?」


 クリスティーナは庇うように親子の前に立ち、馬車の小窓の奥に見えるロナルドに向かって言う。このまま騒ぎを続ければ、ポーレット伯爵家は狭量だという悪い噂が立ってしまう。クリスティーナからしたらどうでも良いことだが、悪い評判が貴族全体にまで及んでは困る為、こうして苦言を呈している。


「貴様、平民の分際で口ごたえする気か!」

「…。」


 どうやらロナルドはクリスティーナを未だに認識できていないらしい。クリスティーナは再び盛大にため息を吐くと、自分が身につけていたペンダントのトップを見せた。それはロケット型のもので、チャームを開くとウェルズリー家の薔薇の家紋が姿を見せる。


「その小窓から私の姿すら見えないのでしたら、早くそこからお降りください、ポーレット卿。」


 クリスティーナの口調は変わらず丁寧で淡々としているが、彼女が向ける視線は明らかに穏やかなものではなかった。


 見た者を射殺すかのように、鋭く冷徹な視線。相手が気圧されるような重く張り詰めた殺気。馬車の小窓や扉を貫くその冷たい空気に、ロナルドの背筋が凍った。


「あれは…ウェルズリー家の…⁉︎」


 ようやっとクリスティーナを認識したロナルドは、慌てて馬車から降りてきた。


「これはこれは…。大変失礼しました。ウェルズリー嬢とはつゆ知らず…。」

「別に構いません。」

「どうして貴女あなた様がこのような所に?」

「所用です。」

「そうですか…。」


 クリスティーナの簡潔すぎる受け答えに、ロナルドは引き攣った笑顔を見せるしかない。


「では、お詫びにそのドレスを弁償させてください。」


 そう言われてスカートを見ると、確かに土で汚れ、ところどころ破れていた。親子を救出した際のものだろう。


「これは事故ですから、ポーレット卿に弁償していただく必要はありません。この親子を許していただければ結構です。」

「おや…お知り合いですか?」

「いえ全く。」

「お優しいですね。たかが平民を、しかも見知らぬ者を庇うとは、“氷の薔薇”でも平民には情をかけるらしい。」


 実はロナルドは、過去にクリスティーナにちょっかいをかけてフラれている。クリスティーナが雰囲気を和らげたのでここぞとばかりに皮肉をぶつけるロナルドだが、一々それにムキになるようなクリスティーナではない。こういう時は気にせずスルーするのが正しい対処法である。


「子どもが可哀想だと思っただけです。特に被害者が出たわけでもあるまいし、幼子にせめを負わせることもないでしょう。」

「馬車を止められた私は、被害者ではないと?」

「お急ぎの用でもあったのですか?でしたら尚更このような事に構っている場合ではないのでは?」

「なっ…⁉︎」


 クリスティーナに突っかかった結果返り討ちに遭ったロナルドは、言い返せず言葉に詰まった。ちなみにクリスティーナの方は攻撃するつもりで言ったわけではない。


「…相変わらず手厳しいですね。貴女あなたの御眼鏡に敵う男性はいつ現れるのやら。」


 意訳すると、「そんな態度では婚期が遠のきますよ」である。


 クリスティーナの婚約について正式な発表はまだされておらず、つい最近決まったことなので噂もまだ新しい。

 故にクリスティーナが婚約した事実をまだ知らないロナルドは、強気な態度でクリスティーナを嘲っていた。



 そんな時、クリスティーナの背後から優しい声が聞こえた。


「では彼女と婚約できた私は、大変な栄誉をいただいたようですね。」


 颯爽と現れたのは、所用を済ませて戻って来たルイスである。


貴方あなたは…!」

「あら、ルイス様。御用はお済みですか?」

嗚呼あゝ。待たせてごめんね、“クリスティーナ”。」


 ルイスはわざと敬称を外してクリスティーナの名を呼び、非の打ち所がないような笑顔を見せる。社交場では仲睦まじく見せると事前に話していた通りに、ロナルドの前で振る舞って見せたのだ。


「こんにちは、ポーレット卿。」

「ぐ、グレンヴィル侯爵子息⁉︎なぜこちらに…。」

「少し用がありまして、彼女にも付き合ってもらったんです。」

「…ウェルズリー嬢とはどういう…?」


 ルイスの登場という想定外の出来事に、ロナルドはパニックで会話がぎこちなくなる。一方のルイスは至って冷静で、ロナルドの質問にニコリと笑って答えた。


「まだ公にはなっていないのですが、この度彼女と婚約することになりまして。」

「婚約⁉︎…こ、…ウェルズリー嬢が⁉︎」

「えぇ。」


 『氷の薔薇』と呼びかけたロナルドだが、口をく前に慌てて修正する。


「そのうち婚約祝いのパーティーの招待状をお送りしますので、ポーレット卿も良ければいらしてくださいね。」

「は、はい…。」


 茫然としていてルイスの話があまり頭に入っていないロナルドだったが、辛うじて生返事した。


「では、我々はこれで失礼しますね。…行こうか。」

「はい。」


 固まって動かなくなったロナルドを前に話を終わらせ、ルイスはクリスティーナを連れてその場を後にした。

 その後のロナルドは馬車を止めた子どものことはすっかり忘れてしまい、親子には何のお咎めも無かったという。



 ロナルドとの一悶着を終えて、クリスティーナとルイスは馬車の方へ戻る。その間のルイスは、クリスティーナを守るように後ろから彼女の肩を抱いていた。ロナルドのもとから離脱した時からそのままだったのだ。


「…ルイス様、もうそろそろ宜しいのでは?」

「そのようですね。」


 ルイスは周りを確認してから手を放すと、クリスティーナのスカートを見て苦い顔をした。


「すみません、私が待たせたばかりに…。今度代わりのドレスをお送りしますね。」

「とんでもございません。私が勝手にした事です。」

「だとしても待たせていた間の事ですから、それくらいはさせてください。もし心苦しいようでしたら、今日の貴女あなたに対する敬意の証とでも思ってください。」

「敬意…ですか?」

「はい。」


 ルイスの口から出た言葉に、クリスティーナは首を傾げる。今日自分がルイスに何をしたか考えるが、特にそれらしい事はしていない。

 クリスティーナのピンときていない様子を見たルイスは、にこりと笑って話す。


「親子を守り、ポーレット卿にも物怖じする事なく物申した先程の貴女あなたは、とても勇敢でした。貴女あなたのような素敵な女性と一緒に居られる私は、幸せ者ですね。」

「そんな…!」


 ルイスはクリスティーナの目を真っ直ぐ見て称賛する。先程ロナルドの前で見せた作り笑いではなく、自然な微笑みであった。

 突然誉め殺しに遭ったクリスティーナは、珍しいことに目を見開いてその頬をほんのり紅潮させた。しかしもちろん、目以外の表情はいつも通りのポーカーフェイスである。


「やはり貴女あなたは、“氷”とは程遠いようだ。」

「えっ…?」


 ルイスの言葉に思わず声が出る。

 今まで周りからは冷たい人間としか思われていなかったクリスティーナは、他人からそういった言葉を貰ったことがほぼ無かった。


 『氷の薔薇』は、暗殺者としての褒め言葉。

 しかしそれを否定するルイスの言葉もまた、クリスティーナの心に温かい何かをもたらすのであった。



 何とも言葉にし難い感覚を覚える中、クリスティーナは馬車に着いてルイスのエスコートを受ける。

 その時彼女達の頭上に広がる空は、すっかり赤色に染まっていた。

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