第11話 氷と温もり

 ガタン、ガタン…。


 クリスティーナとルイスは、車輪が土を踏む音を聴きながら、互いに何も喋らない何とも言えない雰囲気の馬車で対面して座っていた。


 何故こうなったのかと言うと、それはクリスティーナとルイスが侯爵邸にて衣装の打ち合わせをした後まで遡る。


***


 採寸や希望を出し、衣装に関する事が粗方決まった頃。その様子を見ていたダイアナが、一言声をかけた。


「ねぇ、ルイス。宝石商は今日呼んでいるの?」

「いいえ、呼んでいませんが…。」


 ルイスの返事を聞いて、ダイアナは口角を上げた。明らかに何か企んでいるような、含みのある笑みだ。


「なら、二人で街へ出て直接行っていらっしゃい。」

「え⁉︎」


 ルイスは驚きで間の抜けた声をあげる。しかし提案したダイアナは満面の笑みであった。


「せっかくクリスちゃんが来てくれてるんだから、今日終わらせちゃった方が良いでしょ?」

「確かにそうですがそんな急に…。」

「それに、公表の日まで大して時間も無いでしょう?早く終わらせてしまいなさい。」

「……宜しいですか?ウェルズリー嬢。」

「はい、構いません。」


 即答したクリスティーナに、ルイスは申し訳なさそうに会釈する。するとダイアナがルイスの腕を掴み、「ちょっと失礼するわね!」と言って出て行った。


 クリスティーナは一人取り残され、カップに残っていた紅茶を飲みきる。すると思ったより早くダイアナとルイスが戻って来た。

 戻って来たルイスの頬はなぜか赤く染まっていたが、ダイアナがそのまま放り出すような勢いで二人を送り出したので、クリスティーナは尋ねるタイミングを失ったまま馬車に乗るのだった。


***


 最初の方は多少の会話があったものの、クリスティーナの反応が薄すぎて会話が続かず、遂には互いにだんまりしてしまった。クリスティーナは沈黙が全く気にならないタイプなので、彼女から話しかけることは無く、ルイスも何も話さないままだった。


 中の沈黙などはお構い無しに、馬車は進む。クリスティーナが外を見ると、石畳の道に建物が点在している。裕福な平民の屋敷や、他の貴族の王都滞在用住居など、その役割は様々である。


「観察がお好きなんですか?」


 しばらくだんまりだったルイスが口を開いた。


「失礼。街を眺めている目ではなかったので。」


 ルイスの言う通り、クリスティーナは街をただ眺めていたわけではなく、立ち並ぶ建物やそこに居る人々を観察して情報を得ていた。視覚情報から様々な推測を立てるのは、彼女の癖であると同時に暇つぶしの手段であった。


「確かにそうかもしれません。癖のようなものです。」

「では、貴女あなたに隠し事をしてもすぐにばれてしまいますね。」


 ルイスはクスリと笑って言う。隠さなければならない事があるのか?この問いをクリスティーナが投げることは無かった。


 人間観察が習慣になっているクリスティーナは、確かに人の変化に敏感だ。しかし、今の彼女の行動からそのことを見抜いたルイスもまた、鋭い洞察力の持ち主。隙を見せてしまえば、彼女の秘密だってばれてしまうのかもしれない。


 互いに踏み込みすぎない。それがクリスティーナが出した一つの方針であった。


「実は、貴女あなたに謝らなければならないことがあるんです。」

「…と言いますと?」


 ルイスが話を切り出すが、先程の会話でやや敏感になっていたクリスティーナは少し身構えた。しかし、それが杞憂であることはすぐに分かった。


「初めてお会いした時の失礼をお詫びしたかったんです。」


 ルイスの話が唐突かつ心当たりが無かった為、クリスティーナは首を傾げた。


「失礼…ですか?」

「はい…。貴女あなたを『氷の薔薇』と言ったのを覚えていますか?お恥ずかしながら、あの時はあの呼び名の意味を知らずに口にしてしまったので、ご不快な思いをさせてしまったのではないかと…。」

「えっ。」


 「そんな事で?」と言いそうになったのを、クリスティーナは必死に堪えた。別に今に始まったことではないし、深く考えずに使う者は珍しくない。そもそも本来の意味で使う人からは悪意を感じられるため、クリスティーナ本人は全くと言って良いほど気にしていなかった。


「本当に申し訳ありませんでした。」

「とんでもない。グレンヴィル卿がお気になさることではございません。あの呼び名にはもう慣れておりますし、私は気にしていませんので。」


 実のところ、『氷の薔薇』という異名をクリスティーナは気に入っていた。その名は、クリスティーナの理想でもあったからである。


 暗殺者は、いかなる私情も懐いてはならない。だから社交場には出ても、誰かと親しくなることは無かった。誰がいつ標的になるか分からないからである。故に彼女は誰とも関わらず、馴れ合わない。

 氷のように冷たく、無情であれ。それが暗殺者としての彼女がいつも自分に言い聞かせていることであった。


「あの呼び名は、あながち間違いでもありません。」

「…そうでしょうか?」


 クリスティーナの言葉に、ルイスは首を傾げた。


「私は貴女あなたのことを、冷たいと感じたことはありませんが。」


 そう言って、ルイスは微笑んだ。彼がよく見せる愛想笑いではなく、今回は心からそう思っているような、優しいだ。


「それはきっと会って間も無いのでグレンヴィル卿がご存知ないだけです。」

「そうですか?私はこう見えて、人を見る目に自信があるんです。僕が見た貴女あなたは優しく温かい人だ。」

「ご冗談を。」

「冗談ではありませんよ?」


 ルイスは彼女に真剣な眼差しを向ける。


「初めて会った日のあの言葉。あれを何の躊躇いも無く言える人が、冷たいわけがないでしょう。」


 クリスティーナはあの時の自分の発言を思い出す。本人に全く他意は無く、ただ純粋に思ったことを言っただけなので褒められるような事ではないと思うのだが、ルイスはそれが嬉しかったらしい。

 イマイチピンと来ないような表情を見せるクリスティーナに、ルイスはふふっ、と笑った。


貴女あなたはやはり面白い方ですね。」

「はい?」

「いえ、こちらの話です。それよりも提案なのですが、お互いの呼び方を改めませんか?」

「呼び方ですか?」


 急に切り替わった話題に一瞬戸惑ったが、そんな様子を見せずにクリスティーナは話を聴く。


「はい。私達は婚約者同士なわけですし、外聞的に社交場では仲睦まじく見せた方が良いかと思いまして。」

「なるほど、分かりました。ではこれからはルイス様とお呼びします。宜しいですか?」

「はい、結構です。では私は…。」


 ルイスはクリスティーナを見て固まる。急に喋らなくなったので、クリスティーナは首を傾げた。


「どうかなさいましたか?」

「いえ、何も。…では普段はクリスティーナ嬢、社交場ではクリスティーナとお呼びしても?」

「はい。嗚呼あゝ、仲睦まじく見せるのでしたら、社交場では愛称の方が良いのでしょうか?」

「えっ⁉︎」


 クリスティーナが言った瞬間、ルイスの顔が一瞬にして紅潮した。


「大丈夫ですか?」

「はい?」

「ですが顔が赤くなっていますよ?熱でもあるのでは…。」

「違います!これは、その…。とにかく大丈夫です!」


 初めて会った時も同じようになったことを、クリスティーナは思い出す。自分が気づかずに何か彼の体調に影響することをしてしまったのだろうか?しかし何度尋ねても、彼は大丈夫だとしか言わない。


「えっと…とりあえず先程の通りに。愛称はまだ少し早い気がするので…。」

「承知しました。」


 ちょうど会話が終わったところで、馬車が停まる。馬車の扉が開くや否や、ルイスは逃げるようにそそくさと外に出た。

 ルイスのよく分からない行動に少し困惑しながらも、クリスティーナはエスコートしようとするルイスの手を取るのだった。

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