第7話 ウェルズリーの雇い主

 ルイスとのお見合いが終わり、客人も帰った。クリスティーナとルイスの婚約は、当人が同意したこともあってそのまま進められることとなった。


「なんだか疲れたわ…。」

「お疲れ様でした、お嬢様。お相手は良い方でしたか?」

「そんなことが気になるの?」

「もちろんです!将来お仕えすることになる方ですから。」

「あら、ついて来てくれるつもり?」

「当然です!私はお嬢様に一生ついて行く所存ですので!」

「そう…頼もしいわね。」


 クリスティーナがクスッと笑うと、アンナも嬉しそうに笑顔をみせた。


「アンナずるい!姉さんの傍にずっと居られるんだから。」

「アラン…。当然のように私の部屋に居るのは何なのかしら?それに貴方あなたはそもそも家に居ないでしょう。」

「行きたくて学院に行ってるわけじゃないもん。父さんが言うから行っているだけで。」

「当たり前でしょう…。貴方あなたは将来、ウェルズリー家の当主になるのよ?」

「姉さんまでやめてよ。…当主になるのだって、好きでなるわけじゃない。」


 アランが頬を膨らませて言う。その物憂げな様子に、クリスティーナは尋ねた。


「…嫌なの?」

「別に…進んでやりたくはないってだけ。ウェルズリーの当主になるとか、面倒すぎる。」


 貴族の当主になるには、それ相応の責任が伴う。当主はそれまで続いてきた重い歴史や領地、領民を背負うことになるのだ。そして特にウェルズリー家は国境を任される辺境伯家である上に、普通の貴族とは一風変わった家柄。アランが当主の役目を面倒がるのも無理は無い。


「まぁ、安心して。」


 黙り込んだクリスティーナに、アランは物憂げな表情から一変、ケロッとして目を合わせた。


「ちゃんとなるよ。だって、それが僕の役目だから。」


 そう言ってアランは、ニッと口角を上げて見せた。

 クリスティーナは、何も言わない。たとえ本当は当主になりたくないとしても、アランが自分で言った通り、それは彼の役目だ。この家に生まれた以上、避けられない運命なのだ。


 そしてそれは、クリスティーナもしかり。


「そうだ。父さんが、今夜出かける支度をしておくようにってさ。」

「また夜会?」

「いや、今日は雇い主様マスターに会うんだって。」


 “雇い主マスター”とは、暗殺貴族ウェルズリー家に仕事を回す依頼主。つまり、この国の王のことを指している。


「あら、珍しいわね。どうしたのかしら。」

「多分姉さんの婚約報告でしょ。この家は姉さんもよく知ってる通り、特殊だからね。」


 アランもクリスティーナも、国家直属の暗殺者だ。クリスティーナの婚約の決定は、彼女が足を洗う目処が立ったと同義であり、雇用主からの承認を要するのである。


「全く面倒な話だよね。そもそも急に姉さんをルイス卿と婚約させるだなんて、何か裏がありそうだけど…。」

「余計な詮索をすべきではないわ、アラン。」


 考察を始めかけたアランの言葉を、クリスティーナがぴしゃりと切る。まるで叱責するかのような鋭い視線を姉に向けられたアランは、口を噤んだ。


「私は駒に過ぎない。何も考えず、ただ命令されるままに動くだけよ。」

「……分かった。」


 何と哀しい答えかと、アランは思う。そう感じざるを得ないほどに、姉の言い分は酷く冷たいものであった。



***



 その日の夜。三人の暗殺者は、王宮の玉座の前に跪いていた。玉座には、黒い長髪を一つに束ねた細身の男性が腰掛けている。彼は低く落ち着いた声で、三人に声をかけた。


「三人とも、。」

「おはようございます、主人様マスター。」


 代表してハロルドが挨拶を返す。国王・アルバートは優しく微笑んで挨拶を受け、起立するよう合図した。


「ハロルドはともかく、二人は久しぶりだね。もちろん仕事ぶりは知っていたけれど、何事も無く成長しているようで何よりだ。アランも学院では成績優秀だとか。」

「恐縮です。」

「ふふっ。良い当主になることだろう。その時は頼むよ。」

「はい。」


 アルバートはずっとニコニコしているが、この笑みは明らかに裏の意図を感じさせる。そんな真っ黒な微笑みが、アランは少し苦手だった。アラン自身も似たような笑顔を見せるタイプなので、いわゆる同族嫌悪というものである。


「そして何よりクリスティーナ、婚約が決まったそうだね。おめでとう。」

「ありがとうございます、主人様マスター。」

「相手はグレンヴィル家の一人息子だとか。彼は体こそ弱いが、アランと同じく有望な青年だね。」

「はい。私には過ぎた相手かと。」

「そんな事は無いさ。君も立派な淑女だ。それにしても婚約とは…。君も私達の手を離れる日が近いようだ。」


 貴族の令嬢として、そして暗殺者として育てられたクリスティーナは、大人達の手駒であり、籠の中の鳥も同然。しかし女であれば結婚して家を出るのが普通であり、ウェルズリーであろうと例外ではない。


「そしてハロルド。それが今日の本題だね?」

「はい。娘の婚約を承認戴きたく参りました。」

「そうか…。」


 アルバートは玉座から立ち上がり、クリスティーナの前に立つ。彼から滲み出るプレッシャーに、クリスティーナは居住まいを正した。


「クリスティーナ。聡明な君なら分かっていると思うが…、今まで君がやってきた事は、相手が君のパートナーだろうと決して口外してはいけないよ。話してしまった時は君とその家族共々…この先は分かるね?」


 優しく穏やかなようでいて、隠れた恐怖を感じさせるような声に、隣に居たアランは悪寒を走らせた。

 クリスティーナも珍しく緊張するが、彼女の冷静さが揺らぐ事は無い。


「はい。たとえ家を出ようと、私は貴方あなた様の手駒です。全ては主人様マスターのお心のままに。」


 決まり文句のようにスラスラと忠誠を誓ったクリスティーナに、アルバートは微笑みを崩す事なく頷く。


「君を手放すのは惜しいよ。」

「光栄でございます。」


 アルバートはクリスティーナの頭を撫でると、もと居た玉座へ戻っていった。


「寂しくなるんじゃないか、ハロルド?」

「さぁ…本当に家を出る時には、そう感じる事もあるかもしれませんね。」


 そう言ったハロルドの表情は、後ろの二人に見えることはなかった。一方でハロルドを見下ろすアルバートは、ふっ、と口角を上げる。


雇い主マスターとして君の婚約を心から祝福するよ、クリスティーナ・ウェルズリー。」


 アルバートが宣言すると、クリスティーナは瞬時に跪く。


「恐悦至極に存じます。」


 この瞬間に暗殺者としてのクリスティーナは、暗殺組織としてのウェルズリー家を出ることを許された。


 しかし、玉座に座るアルバートの微笑みに含まれた本心を、その時のクリスティーナが知る由は無いのであった。

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