第6話 婚約の是非

 アランの提案で、ウェルズリー家の庭にある東屋に来たクリスティーナとルイスだったが、二人きりになった空間には気まずい雰囲気が流れる。二人ともあまり社交的ではないのもあり、ルイスは微笑みを崩さないままクリスティーナの紅茶をすするしかなかった。

 しかし、一口紅茶を飲んだルイスは、ホッと息を吐いて口許を綻ばせる。


「良い香りですね。もしかして、薔薇のお茶ですか?」

「はい。」

「あぁ、やはり…。さすがはウェルズリー家の氷の薔薇ですね。」

「ありがとうございます。」


 ルイスの言葉を社交辞令として受け取ったクリスティーナは、特に表情も変えずに礼を言う。


 ルイスは優しく微笑んだものの、すぐに一転して神妙な面持ちに変わった。


「ウェルズリー嬢。この際ですから単刀直入にお伺いしますが…貴女あなたは、この婚約についてどのようにお考えですか?」


 クリスティーナに向けられた、鋭い眼差し。彼の表情は、当初と打って変わって真剣そのものであった。


「どのように、とおっしゃいますと?」


 クリスティーナはいつもどおりに淡々と訊き返す。


「既にお聞き及びかもしれませんが…。私は体が丈夫ではありません。持病があるわけではありませんが、季節の変わり目には必ず体調を崩すような虚弱体質です。」


 ルイスは申し訳なさそうに、はっきりと自分の事情を語る。彼の体質云々については風の噂でクリスティーナも知っていたが、彼女は彼の語る欠点よりも、それでも王都で自らの役目を果たし続ける強さに感心していた。

 王族の補佐は決して並の役目ではない。ましてや無能とされる王子の補佐なら尚更優秀なはずであり、仕事も少なくないだろう。

 虚弱体質というハンデがある中でも王都で活躍するルイスに、クリスティーナは悪い印象を抱くどころか尊敬していた。


 しかしルイス本人はそうもいかず。


「そのような私が婚約すれば、婚約者となる方に大きな負担がかかるのは目に見えています。何かの拍子で貴女あなたを未亡人にしてしまうかもしれません。」

「…。」


 確かに考えられない話ではない。病弱な彼であれば、流行病などで急に…となってもおかしくはない。

 しかし、クリスティーナは肯定も否定もしなかった。


貴女あなたのように引く手数多のご令嬢に、そのように暗い未来を歩んで欲しくはありません。どうか、よくお考えになってください。」


 クリスティーナは何も言えなかった。彼に考えるよう諭されたのがショックだったからではない。彼が先の未来を見据え、婚約相手のことまで考える人だったことに驚いていたからである。

 侯爵令息でありながら驕る態度は一切見えないどころか、謙虚すぎるが故に婚約を破断にしようとしている。貴族としては褒められたことではないのかもしれないが、そこには相手への思いやりがあった。


「…私は、この婚約に異論はありません。」


 クリスティーナは、きっぱりとそう言い切った。


「私の結婚は、この家の為のもの。父が貴方あなたとの婚約を望むのであれば、私は迷いなく従います。」

「でも…貴女あなたの意思もあるでしょう?」

「私の意思など、必要でしょうか?」


 クリスティーナは、結婚に自分の意思は無関係だと信じて疑わない。貴族令嬢の役割など、所詮は家のための駒。婚約だろうと暗殺だろうと、彼女が持つその前提は変わらない。


 しかし彼女の言葉を聞いたルイスは、驚きで目を見開いた。年頃の令嬢とは思えないほどのクリスティーナの諦観ぶりに、ルイスは動揺した。


「えっと…。よく考えてください?一生のことですよ?」

「生きている上で、困難を避けることはできません。それに、分かりもしない未来に怯えても何にもなりません。」


 彼女が今まで奪ってきた者達だって、明日自分が殺されるなどとは夢にも思わなかっただろう。明日が来るかは分からない。奪う側だからこそ、クリスティーナはその事をよく理解している。


「それに、仮に短かったとしても、貴方あなたのように婚約相手を思いやり、優しくしてくださる方の隣に居て、不幸せな者が居るでしょうか?」


 政略結婚に愛があることはまれである。愛が芽生えるとしても、それは長い時間が経ってからだ。会ったばかりの相手にも思いやりを持って接する事が出来る彼ならば、その伴侶となる者は幸せになれる。そうクリスティーナは思っていた。


 淡々と自分の意見を言い切ったクリスティーナに、ルイスは恥ずかしさで口許を抑えていた。貴族の令嬢にここまで直接的に賞賛されたのは初めてだったのだ。しかもクリスティーナは一切表情を変えない。それが下心ある言葉ではない事の何よりの証拠だった。


「大丈夫ですか、グレンヴィル卿?顔色が…。」

「いえ、大丈夫ですっ!」


 この時のルイスは、対面当初の白い顔と真逆で真っ赤に染まっていた。とりあえず紅茶に逃げようとするが、カップは空になっている。


嗚呼あゝ、もちろん私がお気に召さないのであれば、遠慮なくお断りしていただいて結構です。」

「いえ、そんなことは!」

「では、意中の方が?」

「全く居ません!」

「であれば…。グレンヴィル卿に異存が無いのであれば、私はこの婚約をお受けします。」

「本当に、それで良いのですか?」


 頬を紅潮させたまま、彼は尋ねる。


「えぇ。私では力不足でしょうが。」

「そういうつもりじゃないんですけど…。」


 ルイスは動揺しながらも、クリスティーナを見ながら考え込むように顎に手をあてる。しばらくして、意を決したように彼は口を開いた。


「分かりました。私も、この婚約を進める事にします。」


 ルイスは立ち上がって反対側に座るクリスティーナの前で跪き、彼女の手を取った。


「ウェルズリー嬢。本当によろしいですか?」

「はい。」


 クリスティーナは一瞬の迷いも無く即答した。


「では…これからよろしくお願いします。」

「こちらこそ、不束者でございますが。」


 クリスティーナは確かに、彼の手を取った。



 しかし、二人が知ることはない。この時点で、二人のあかい糸は既に複雑に絡まっていたということに。

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