第8話 婚約者と噂

 顔合わせの翌日のこと。


「どうだった?婚約者は?」


 王宮にて仕事中の王子・ウィリアムは、ルイスに尋ねた。


「関係ない話する前に、今日の仕事を済ませてくださいよ、殿下。」

「あ、殿下って呼んだ。やる気なくしたー。」

「はぁ…。」


 王子以前に成人男性とは思えない大人気おとなげの無さに、ルイスは頭を抱える。


「…お願いだからやる気を出してくれないかな?ウィル。」

「お見合いの話をしてくれたらやる気出るかもな〜。」


 上目遣いでねだるように言うウィリアムに、渋々ルイスは職務の手を止めた。


「で、どうだった、ウェルズリー嬢の印象は?」

「そうだなぁ…。なんていうか、今まで出会ったことのないタイプのご令嬢だったかな。」

「お前はそれ以前に出会いが無いだろ。」

「酷いな⁉︎まぁ否定はできないけど…。それでも並のご令嬢じゃないことが分かるくらいに個性的な方だったよ。」

「へぇ…。まぁルイスはモテるからな。冷たく突き放されるのは初めてか?」

「突き放される?…どういうこと?」

「え?」

「え?」


 何の事か分からないとでも言うように首を傾げるルイスに、ウィリアムもまたその顔に疑問の色を浮かべる。


「だって、『氷の薔薇』に会ったんだろ?」

「うん…。」

「だったらその名の通りに冷たくあしらわれたんじゃないの?」

「え⁉︎まさか『氷の薔薇』って…。」

「ルイス…。さてはその意味を知らなかったな?」


 『氷の薔薇』の“薔薇”はウェルズリー家の家紋であるとともに、社交界の殿方を魅了する彼女を表す良い意味の象徴である。その一方で、“氷”はクリスティーナが寄ってくる殿方を相手にせず、ポーカーフェイスの上に冷淡な姿勢を取る為にできた悪い意味の象徴だ。

 つまり『氷の薔薇』とは、『氷のような冷たさと棘を持つ美しき薔薇』なのである。


 ウィリアムの説明を聴いて、ようやくルイスは『氷の薔薇』という異名が持つ本当の意味を知るのだった。


「どうしよう…。だとしたら僕はとても失礼な事を言ったのでは…⁉︎」

「別にお前と同じ勘違いしてる奴は珍しくないし、本人も慣れてるだろ。」


 ウィリアムは何事も無いように淡々と言うが、ルイスは頭を抱える。


「だからって気にしないわけにはいかないだろう?いくら表情に出さない人だからって…。」

「へぇー。そんなに気にするのは婚約者だから?それともウェルズリー嬢が気に入ったから?」

「気に入ったなんて偉そうな…。そういうわけじゃなくて。…ただ、僕が見たウェルズリー嬢は、冷酷とは程遠かったから…。」


 ルイスはクリスティーナに会った日の事を思い出す。ルイスは自分の話を真剣に聴き、それでも迷わず受け入れた彼女の姿勢から、冷たさとは違うものを感じていた。


『仮に短かったとしても、貴方あなたのように婚約相手を思いやり、優しくしてくださる方の隣に居て、不幸せな者が居るでしょうか?』


 あの時にクリスティーナが淡々と語った言葉を、ルイスは忘れる事ができなかった。

 普通なら社交辞令だと思うような褒め言葉。しかし今回は、日頃から何を話すにも淡々としているクリスティーナだからこそ、その言葉が偽りではないのだと思えた。


「顔赤いぞ。大丈夫か?」

「えっ。」


 ウィリアムに声をかけられ、ルイスはやっと自分の頬が熱くなっていることに気がついた。

 ウィリアムが体調が悪いのかと心配し始めたので、思い返していた会話の一連の流れを話すと、ウィリアムは大笑いした。


「アハハハハッ。あ〜、お腹痛い!ウェルズリー嬢って男ははっきり断るけど、そういうのもはっきり言うんだな。確かにお前の言う通り、並じゃないわ。」

「ウィル、笑いすぎ。」

「だって俺が見てきたのと全然違うんだもん!何人の男が彼女に泣かされたか…。それにルイスをときめかせるなんて面白すぎるだろ。」


 ウィリアムがケラケラと笑う一方で、ルイスは一つため息を吐く。


「ごめんごめん。笑いすぎた。」

「本当だよ。こっちの気も知らないで…。」

「何?悩むことなんてあるか?」

「あるよ…。…考えれば考えるほど、彼女の婚約者が僕で良いのかなって。」

「ハァ…。うじうじする男は嫌われるぞ。」

「そう言われても…。」

「お前ってやけに自己評価低いよな。顔良しで侯爵家の跡取りとか、普通に考えて貴族令嬢からしたら優良物件だと思うんだけど。実際モテるわけだし。」

「…体質と性格は治せないからね。」

「それ、今までの縁談相手全員に言ったんだっけ。」


 ルイスは今まで、自分の虚弱な体質を理由に縁談を断り続けてきていた。


「ずっと思ってたんだけど、お前が縁談を断り続けた理由って、家の為か?」

「…。」


 ルイスは侯爵家の一人息子であり、万が一ルイスに何かあった場合はグレンヴィル家の親戚筋から跡取りを選ぶことを定められている。ルイスが結婚したとしても、子供が居なければその妻が実権を持つ事は無く、最終的には実家に帰されることになっているのだ。

 しかし子供ができてしまえば話は別。その子が跡取りになれば実質的にその母がグレンヴィル家を牛耳ることになり、家を乗っ取られることも考えられる。

 ルイスが縁談を断り続けたのは、それまで信用に足る人物に出逢うことが無かったからであった。


「ま、気持ちは分かるよ?ルイスが子供を儲けた後に突然死したって不思議に思う人間は少ないだろうし、簡単にお家乗っ取りが成せるからな。」

「…前例が無いわけじゃないからね。警戒するに越したことは無いだろう?」

「へぇー。じゃあ今回見事婚約成立したウェルズリー嬢は、信用に値すると思ったんだ?」

「信用…。」


 信用できるかと言われれば、できる方ではあるだろう。でも、だからと言って婚約相手に決めたわけではなかった。


 クリスティーナは基本的に申し分の無い令嬢だ。だがその一方で、クリスティーナの中にある危うさを、ルイスは薄々感じ始めていた。



『私の意思など、必要でしょうか?』



 家の為に自分の意思を捨てる姿勢。貴族としては望ましいものなのかもしれないが、それゆえにクリスティーナには何か大切なものが欠けているように思えた。


 ルイスがクリスティーナを選んだ決定的な理由は、完璧なスペックでも信頼感でも無い。彼女がなぜそれを欠かしてしまったのか。そして、いつかその欠けている何かを見つけた時に、彼女がどのように変わるのかが気になったからであった。


「…やっぱり、あのご令嬢は興味深いよ。」

「は?何だよ急に?」

「いや、ごめん。何でもない。ほら、そろそろ仕事を再開するよ!」

「え、嫌だ!」


 嫌な顔をしてごねるウィリアムをくすくすと笑いながらも、問答無用で仕事を始めるルイス。その笑みは不思議と嬉しそうだと、横目で見るウィリアムは思うのであった。

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