肉塊と塵≒生前の姿と葬式後の姿

 その後も田中さんにからかわれ続け、ついに限界が来たらしい須佐美さんは「うち、もう帰るさかい」と俺の手を引いて体育館を出た。

 こちらとしては彼女には一人で帰宅してほしかったのだが、田中さんや他の応援部員の皆々様の視線が痛かったので、早々に退散。君子は危うきに近寄らず。



 夏が間もなくということで外はじっとりと暑い。

 少しせっかちな蝉の声を聞きながら、俺は斜陽を眺めていた。



「なぁ曜くん」

「ん」

「ちゃうで?」

「何が」



 んん、それは、その……。

 と須佐美さんは胸の前で指を合わせる。

 塵にそんなことをされても感情がまったく動かない。

 


「えーと、恋人やら、そないなこと」

「大丈夫。完全に理解してる」

「ほんま?」

「ほんま」



 完璧である。なぜなら彼女は化け物であるから。暴虎ぼうこ馮河ひょうがの行いは慎むと心に決めているのだ。ゆえに何億何兆何京回転生しようとも、須佐美さんとか草壁姉妹とか美穂とかが恋人になることはない。

 絶対の絶対にない。天地がひっくり返っても。



 乙女的に――塵を乙女と表現するのかどうかという問題はさておいて――俺のような冴えない一般的男子高校生と恋仲にあるなど、美少女扱いされている彼女にとって、そのような風評は避けたいだろう。

 ゆえに断言する。強く強く。タイヤ痕が残るほど強烈に。



 すると、なぜか釈然としなさそうに首を傾げながら、須佐美さんは「……安心したわぁ」とそっぽを向いた。

 


「……曜くん、よう乙女心がわからんて言われへん?」

「考える必要がある場面に出くわしたことがない」

「これからは凄い大事になるさかい考えてな」



 それって人間のヒロインが登場するってことですか。

 前提として化け物は乙女ではないので、乙女心を考える必要がない。

 しかし彼女は「凄い大事になる」と言った。

 すなわち乙女が登場するということ。

 人間の。



 超常の存在だから未来でも見えるのかしら、と若干浮かれた頭で須佐美さんに頷くと、俺は呉下ごかの阿蒙あもうのごとく――つまり学ばないということで――ずいぶんと見覚えのある化け物に出会った。肉塊である。何をどう勘違いしたのか、普通に日常生活を送っている肉塊である。



「おや、化野さん」

「…………おはよう」

「もう日が沈みますよ?」

「夜はこれからだぜ」

「なかなかに悪ですね」



 他称美少女かつ推定美少女こと草壁菜々花と不幸にも遭遇してしまった。彼女も帰宅部であるはずなのに。現在時刻はおそらく十八時を少々回った程度。学校に用事があるのでなければ、およそ縁のない時間だ。



「ふふふ、『一体なぜここにお前が……ッ!?』という顔をしていますね」

「そんな顔してる?」

「私は化野曜検定三級を持っていますので」



 勝手に自分に関する検定を作られていた。

 怖い。

 家に帰って寝ます。



「実は体育の先生にお呼ばれされていましてね」

「へぇ」

「『お前マラソンふざけてるのか?』とご立腹でした」

「その文脈で怒られることあるんだ」



 大体褒められるか頼まれ事をされていたのかな、と予想するところであるが、彼女の場合は怒られていたようだ。流石に鳥辺野村の暴走機関車は格が違う。見た目からしても格の違いが読み取れるしな。



 俺は隣から感じられる纏わりつくような「じとーっ」とした視線には意識を向けずに、自然に菜々花と別れようとした。

 右手を上げて、お手を拝借。

 はいさようなら。

 また会う日まで。



「曜くん?」

「何」

「えらい別嬪さんやなぁ」

「須佐美さんも可愛いよ」

「あ、そぉ? おおきに」



「って、ちゃうわ!」と須佐美さんは見えない何かを地面に叩きつけるような動きをする。まるで関西人のように。いや、京都出身というなら間違いなく関西人ではあるのだが、どちらかというと大阪人のようなノリツッコミ。

 適当を極めたような返答でもってこの場を逃れようとしていたのだが、どうにも彼女は逃がしてくれなさそうだった。



「えらい仲良さそうやなぁ」

「私と化野さんは大の仲良しですよ? 数日前にも一緒にアイスを食べに行きましたし、もはや幼馴染の域ですね」

「君は少し黙っていようか」



 肉塊の口がどこであるのかというのは非常に難しい疑問であるが、とりあえず人間のパーツに当てはめれば、多分ここにあるだろうという位置を手で塞いだ。菜々花は「むごー、むごー」と触手を荒ぶらせる。



 自分的には正当防衛のつもりであった。けれども、よくよく考えてみたらセクハラだったかもしれない。一応女子として扱うべきであった。たとえ見た目がどんなに人間とかけ離れていても。肉塊であっても。それはキツイわ。



 すぐさま彼女の口元から手を離すと、「ぷはっ」と息を吐き出したあと、



「あ、化野さん! 思い返してみればそちらからのスキンシップは初めてだったので、嬉しくないと言えば嘘になるのですが、それは雪花にするべきです! いや全然私にしてくれても構わないんですがねっ!? でもでも、雪花にこそするべきなんですよ!!!」



 などとほざいた。



 誰が好き好んでゾンビとスキンシップを取るのか。

 蠅またはネクロマンサーくらいしかやらないだろ。

 俺はそのどちらでもない。



 ゆえに謝罪の言葉と草壁雪花には同じことをしないと断言したところで、圧が増したように思われる視線。

 長年油をさしていないロボットのように振り返ると、悲しそうな雰囲気を演じている塵がいた。わざとらしく顔を指で拭っている。



「うちとは遊びやったんやな」

「えぇっ、化野さんこの人のこと弄んだんですか!? よくないですよ!」

「………………」



 なんだろう。



 あまりに混沌とした状況過ぎて、逆に思考がまっさらになって冷静になってきた。塵は「ちらっちらっ」とか口に出して覗き見てくるし、肉塊は肉塊で「今ならまだ間に合います! いや、でも別れてくれたほうが雪花のためにも……?」と訳のわからないことを言っている。



 もしかすると、いつかのゾンビとジガバチとのティーパーティーの方が楽だったかもしれないな、と。



 俺は暮れなずむ空に浮かぶたなびく雲を見上げながら、現実逃避気味に、その雲のように細い笑みを口元に浮かべたのであった。

 帰りてぇ〜。

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