塵を恋しく思うのは難しいんじゃないか
俺は帰宅部だからこの時間に学校にいることは少ない。時計が指し示すのは午後五時。校庭からは硬球が金属バットに弾かれる音が響いてくる。体育館の中に居ても聞こえてくるのだから、その衝撃の大きさが思われるというものだ。
そして野球部の頑張りを貫いて、あるいはそれ以上の頑張りが、ここ体育館には響き渡っていた。
『――――――――――…………!』
応援部の喉を張り裂かんばかりの声。野太い声が腹の奥まで震わせて、勢いよく叩かれる和太鼓が心臓を鼓動させる。しかしよく聞いてみれば、もしくは見てみれば、彼らの中に幾人かの女子生徒が混じっていることがわかるだろう。
『――!』
その中でも群を抜いて高らかに伸びる声。いつもの
しかも何がすごいって、声だけでなく容姿までもがずば抜けているということだ。
周りの男子生徒や女子生徒とは根本から違う。
ひょっとすると種族まで違うのかも。
さらりと振るわれる腕は、まるで塵だとか軽いものが舞っているようで。
体育館の窓から差し込む西日がそれに反射して、綺羅びやかで幻想的な光景を作り出している。
まぁ本当に塵なんだけどさ。
「ひょっとすると」っていうか普通に種族が違う。
ぞっとするが種族まで違うのだ。悲しい。
俺は死んだ目を晒しながら体育館のフローリングに座っていた。応援部の面々はステージの上。観客が自分以外いない特別ライブ開演中。気まずくって帰りたい。けれども須佐美さんが「曜くんが見学していくで」と言ってしまったものだから、帰宅するのも申し訳ない。詰みである。そんな状況を作り出した須佐美さんの罪である。有罪判決。無期懲役。極刑保留四個(金色)。
しばらくして応援部の練習が終わると、汗を流している――のであろう動作を伴いながら――須佐美さんがステージを降りてきた。彼女は学ランの第一ボタンを外し、首にかけたタオルで額を拭う。
「どうやった?」
「すごかった」
「小学生みたいな感想やなぁ」
何分今まで「応援」の何たるかなど考えたことがないのだ。迫力があって素晴らしいことは理解できるのだが、では何がすごいのか説明してください、と言われても困る。小学生並みの感想がまろび出るのも無理はない。
「ほら、もっとあるやん。須佐美はんが可愛かったやら、格好良かったやら」
「応援部の練習ってこんな感じなんだなって思った」
「いけずやなぁ」
たまには素直に褒めてくれてもええで? と学ランの第一ボタンをしめた彼女は、細い息を吐きだすとステージに戻ろうとする。
その時。
「ねぇねぇ陽子」
「なぁに、田中はん」
「その男の子って陽子の彼氏?」
「なっ」
髪を薄く茶色に染めた女子生徒が須佐美さんの肩を叩いた。見覚えはない。他のクラスの生徒だろう。須佐美さんとの距離感を見るに同学年か。目元がぱっちりとしている、明るい印象を覚える女子だ。こうやって普通の人間であるだけで好感度が上がる俺は、ゲームに居たら三回くらいの交流で堕ちるちょろいキャラなのである。
少なくとも自分の色恋沙汰には困っていなさそうな容姿をしている彼女は、その分他の人の色恋沙汰に興味があるらしい。繊細なゴールドのラメが入ったアイシャドウで強調している涙袋を、さも驚いていますと言わんばかりに震わせ、悪戯気な笑みを口元に浮かべる。
「いつも落ち着いてる陽子がそんな反応するってことは……」
「ち、ちゃうで! 全然そんなことあらへんで!」
「怪しー。ねぇねぇ彼氏くん、こんなこと言ってるけど?」
「……………………」
ここで必死になって否定するのは初心者である。恋人と推定されている相手が化け物であることで、生理的な拒否感から強く否定したい気持ちもあるだろう。
しかし、ここは沈黙が正解。
あえて落ち着き払った反応を見せることで、からかってきた相手も冷静になること間違いなしである。
「何も言わないってことは事実ってことだね」
間違いだらけだった。
まさかそう来るとは。
顎に手を添えながら、今から泣きわめいて「こんなの恋人じゃないよぉ」と、遊園地で親に抱きかかえられる子供のような振る舞いをしようかと考えたが、これからの社会的な立ち位置と、「こんなの」呼ばわりされる須佐美さんのことを思えば不可能であった。いやまぁ塵だからギリギリセーフか。
俺は風見鶏よりも昨今の風潮に過敏だ。最近の個性を重要視する流れを汲めば、もしかすると化け物と付き合っているということすらも許容されてしまうかもしれない。それは避けたい。
なんとかして恋人でないと言わなければ。
各方面に傷を作らない言葉で。
「いやぁ陽子が男の子を連れてきた時点で怪しんでたんだよねぇ。だって陽子ってお淑やかな大和撫子って感じじゃん? それが男の子を! そんなの彼氏しかないじゃんね。激アツ演出だよ。確定だよ」
「そう簡単に1/319が引けると思うなよ」
「なぁ何の話してるん?」
「陽子には早い話」
えらいややこしいこと言っとるなぁ、と須佐美さんは首を傾げた。
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