桜の花言葉は

 俺は家事が得意なほうではないが、男子高校生にしては比較的上等だという自負がある。しかし現在の自室の様子からは、その誇りの欠片も見いだせなかった。観測できるのは部屋の隅に溜まる埃ばかりである。

 流石の妹もこれにはお冠。



『お兄ちゃんは男の子だから私に掃除されるの嫌でしょ? でも見過ごすには汚すぎるから、きちんと掃除してね』

『俺は大丈夫』

『そんなこと言ってハウスダストで鼻水が凄いの知ってるよ』

『いや花粉……』

『掃除してね』

『はい』



 などと初めて見る剣幕で詰め寄ってきた。

 化け物とガチ恋距離になって正気を保っていられるほど壊れていないので、そっと手で押し彼女と距離を取り。

 こうして俺は袋を手にしているわけなのだが……。



「いつの間にこんな」



 自覚症状がなかっただけで、もしかすると七百年くらい経っているかもしれない。それほどまでに部屋が汚れていた。

 浦島太郎の気持ちが理解できる。彼は村の様子が様変わりしていたことから気付き、俺は部屋の状態がエントロピー増大の法則に従ってしまっているせいで気付いた。そこに何の違いもない。

 


 足の踏み場もないとまではいかないが、それなりに動きづらい床。 

 四十五リットルのゴミ袋にいらないものを捨てていく。

 なぜ買ったのか理解できない剣のキーホルダー。

 中学時代の落書きだらけなノート。

 面白がって穴をあけた消しゴム。

 小学生かな?



 意外と自分の感性は幼いのかもしれないと驚きつつ、様々な障害物をどんどんゴミ袋に収納していった。

 やがて侵略の手はベッドの下まで及び、適当に肩まで差し込むと指先に謎の感触。



「段ボール……?」



 そこにあったのは漫画本くらいの大きさの段ボールだった。相当な年季が入っているのか、ところどころに黒ずみが目立つ。

 耳元で振ってみると「カラカラ」と軽い音。

 見覚えはなかった。別に他人の持ち物というわけではないのだから、誰に憚ることもない。開けてみよう。



 むわっとノスタルジーの塊みたいな空気が鼻を侵して、反射的にせき込む。

 涙が滲んだまなじりを擦っていると、その中身がはっきりとしてきた。



「………………これは」



 押し花、だろうか。

 青にも紫にも見える様相からして、紫苑しおんの。

 それが可愛らしい栞となって段ボールの中にちょこんと座っている。



 見た目からするとかなり時間が経っているはず。

 しばし首を捻ってみるが、やはり見覚えはなく。

 多分小さい頃に戯れで作った物だろう。



 特段栞に困っていることもないので段ボールに仕舞うと、何となく捨てるのも勿体なかったから、机の引き出しにそっと入れた。



「掃除って大変なんだな……」



 今までしてきてくれた母親や妹に頭が上がらない。

 俺はしゃがみ続けて痛みを発するようになってきた腰を宥めつつ、それから三十分ほどかけて掃除を終わらせたのだった。

 


 これからはずっと綺麗な状態を保とう。

 きっと一か月後には同じこと思ってるだろうけど。



 ◇



「化野さん、私カラオケに行ってみたいのですが」



 今日も今日とて肉塊は元気。

 順調に肉塊系美少女としての地位を確立していっている草壁菜々花は、放課後になって緩い雰囲気が流れる教室の中、ちょうど帰ろうと鞄を肩にかけた俺に話しかけてきた。



 少しばかり緊張しているのか触手が揺れる。

 にょろにょろとする様はイソギンチャクのごとく。

 菜々花と行動しすぎて、そろそろ俺が彼女の腰巾着と見なされないか心配だ。



「行けば?」

「一人で行くの心細いじゃないですかぁ」

「俺は一人でも結構行くよ」



 友達がいないわけじゃないが。

 間違っても友達がいないわけじゃないが、一人カラオケには。

 


「もう、女の子に言わせるんですか」

「何を?」

「『化野さんと一緒に行きたい』って言ってるんです」



 ははぁ。

 まるでヒロインのようなことを言いよる。

 這いよる脅威に涙が止まらない。

 俺は一応教室を見渡して、無事男子連中から嫉妬の目を供給されていることを確認した。こんななりでも美少女らしいからなぁ。



 ところで、俺が乗り気でないのには、もう一つの理由がある。

 昨日帰り道を共にした雪花から、



『お姉ちゃんに手ェ出したら殺すわよ』


 

 との連絡がスマートフォンに入っているのだ。

 ゾンビが言うと迫力が違う。

 彼女は確実に〝やる〟という気迫があった。

 漢字的には「殺る」である。怖い。



 しかし最近の雪花はどういうわけか丸くなってきているので、案外菜々花とカラオケに行っても問題ないかもしれない。

 ついに彼女にも新石器時代が訪れたのだろうか。がつがつと石を尖らせて過ごしていた旧石器時代から、石を研磨して過ごす時代に。

 


「いいよ」

「やったぁ」



 そのため深く考えず了承。

 菜々花は可愛らしい声を揺らして、ついでに体も揺らした。

 謎の液体が蛍光灯の光を反射してテカる。



 並んで下駄箱まで行くと、扉の向こうに植えられた桜の木が、間もなく完全に散ろうとしていた。

 おかげで気付く。もうすぐ四月が終わり、五月がやってくるのだと。



 …………そういえば、桜の花言葉には——。



 記憶の隅に引っかかるものがあったので、何となく脳の棚を引っ繰り返していると。



「化野さん化野さん」

「ん」

「私、高校にあがるときに田舎から出てきたので、カラオケ初めてなんですよ」

「へぇ」

「リードしてくださいね?」

「保証はしかねる」



 とんでもない爆弾発言を落としてくれたものだ。「リードしてください」だけを聞いたら、いかにも彼氏彼女が初めてのイベントをこなすよう。

 いや、カラオケに行くという行為をするのは初めてらしいが、他の人からすれば先程の会話はどう映るだろうか。答えはすぐにわかった。



 見てみなさい。おかげで周りの生徒が凄い目を向けてくる。

 もしかすると俺に明日は来ないかもしれない。

 月夜ばかりと思うなよ。

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