肉塊は緊張しい
肉塊と一緒にカラオケ。
字面だけ見ると凄惨な事件現場を想像せざるを得ないが、実際のところは普通に遊ぶだけである。
菜々花は楽しそうに鞄を揺らしていた。数歩分後ろを歩いている俺は、「初めてとはいえカラオケがそんなに楽しみなのか」と首をひねる。
「化野さん」
「ん」
二本の触手でもって鞄を背中――肉塊は円錐状の形をしているが、こちらから見て影になるほう――に回して、背後を見やる彼女。
ゲームなどだったら一枚絵が表示されていそうだ。おそらく血みどろのグロテスクなゲームだろう。間違ってもギャルゲーではない。
「緊張してきました」
「だからカラオケの前で五分くらい回ってたんだ」
「初めてって怖いですよね」
「男は度胸っていうから」
「私は女です」
肉塊を「女」と認めたら方方から文句を言われる気がする。
しかし菜々花は俺以外からすると美少女らしいので、客観的には彼女の発言が正しいのだろう。納得できるかどうかは別として。
そしてどうやら、楽しそうに鞄を揺らしていたわけではなく、ただ単に緊張から体が震えていただけらしい。きっと同じところを回っていたのも同じく。
見た目に反して猫みたいな習性が肉塊にもあるのかと思った。
「やっぱりここは経験者の化野さんにリードしてもらって」
「初学者を見守るのも年長の役目だよ」
「それは一般的に『見捨てる』と言うのです」
ずっと回っていたせいだろう、周りの人たちから不審者を観察するような視線を頂戴していた。そのため壁際まで菜々花を誘導して、何とか不審レベルを下げることに成功。ただしカラオケに入ること未だならず。
彼女の緊張がなくなる様子はない。ポンポンでも付けて「がんばれ♡」すれば解決するだろうか。
「せめて同時に入店しましょうよ」
「意味があるの……?」
「大いに」
大いに意味があるらしい。
横にいようが後ろにいようが変わらないような気もするが、本人が言っているのだからそうなのだろう。
駅前の雑居ビルに入っているためか扉が狭いカラオケに、肩を狭めながら二人で入る。ぴとりと制服越しに肉塊の感触。
謎の液体が付着する音が耳に飛び込んできたけれども、気にしないことにした。放っておけば数分後に蒸発しているから。季節外れの打ち水みたいなものだ。
苦言を呈するとすればまったくもって効果がないこと。制服に肉塊由来の液体を撒かれたところで、気温は一切変わらず、冷えるのは肝ばかりである。
店の前でぐるぐるしていたときに会員証は準備していたため、入室するのはスムーズだった。どうして入店するのに手間取ったのか理解できないくらいに。
「物事って最初が一番労力が必要じゃないですか」とは菜々花の談だ。
明らかに三人以上で入ったら狭すぎる部屋に二人で入る。
「……ほぇ。これがカラオケなんですね」
「とりあえずジュース持ってこようか」
「はい」
感動している様子の彼女を連れてドリンクバーへ。
適当にコーラを注いで「何がいい?」と質問。
少し迷ったあとに「……烏龍茶で」と言ったので、それを入れて部屋に戻る。
暗い部屋にはわずかに冷房が効いていた。おそらく春にしては高い気温のせいだろう。やはりさっきの打ち水は意味をなしていない。
電気をつけながらデンモクを取って、高校生でカラオケに来たらお決まりの採点を予約する。前のお客さんがとんでもない音量に設定していたせいで、体の芯にまで響くような音が鳴った。
「きゃっ!?」
鋭い驚きの声を上げた菜々花が抱きついてくる。
もはや化け物にも慣れてきたので無抵抗。
何の曲を入れようかなとデンモクを操作していた。
「ご、ごめんなさい……」
「別にいいよ。気にしてないし」
「それはそれで傷つくような」
どこか不満そうな彼女に首を傾げて「先に入れる?」と提案したところ、「初めてなので化野さんをお手本にします」と断られてしまった。
流行りの曲などはあまり聴かないので詳しくないのだが、大丈夫だろうか。
菜々花の控えめな手拍子を挟みながら一曲歌う。
大人数ならともかく、二人きりで手拍子をされると、ものすごく気まずい。
途中から彼女も赤くなっていた。肉塊だから元々赤いのだけれど、余計に。
「……別に、無理して叩かなくてもいいんだよ」
「…………そうですね」
モニターに表示される『82.934点』という微妙な点数を見つつ、二本あるうちの未使用のマイクを渡す。俺が歌っている時間で曲を決めきれなかった菜々花を眺めていると、「決めましたっ」と切腹でもするような覚悟を声に乗せて、デンモクに触手を突き刺した。
流れてきたイントロは聞き覚えのあるもの。
流石の俺でも知っている有名な曲だ。
おそらくこの歌手は自分の曲が肉塊に歌われるとは思っていなかっただろうなぁ、と考えると面白い。
「――――――」
化け物連中の声はおしなべて美しいという特徴があるが、それは歌にも適用されるらしい。声がよくても歌が下手というのは結構ある。けれども、菜々花の歌は初めてのカラオケとは思えないほど自信に満ちていた。
多分好きなのだろう。歌っているとき、彼女の姿からは「楽しい」というオーラが放射されていた。
「――はっ」
「上手いね」
「そ、そんなことは……」
謙遜するように頭――らしき部位――を掻くが、モニターに表示される『98.124点』は明らかに歌が上手い存在のみが取得できる得点だ。俺はその後も何曲か歌ったけど、やはり一曲も菜々花の得点を超えることはなかった。
二時間ほど楽しんだあとに店を出ると、彼女は思い切り伸びをして息を漏らす。
「楽しかったです」
「うん」
「カラオケだけじゃなくて、化野さんと一緒だったからですかね?」
「違うんじゃないかな」
自分に満足度を上げるほどの「何か」があるとは思えない。
単純にカラオケが楽しかっただけだろう。
そう言うと菜々花は頬を膨らませた(ような気がした)。
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