タピオカってまだ生きてたんだ
ぎりぎりのところで、ぱーふぇくとな左利きに覚醒した俺は、「あーん」をすることによって社会的な死を与えようとしてくる菜々花から、命からがら逃れることができた。
九死に一生を得たせいだろうか。世界が美しく見える。
もはやボロボロの防球ネットに留まっているカラスですら、美術館で鑑賞する名画のよう。
そして、それが上等なものと認識されるならば、きっとゾンビも美しいはず。
「……何よその目は」
「A=B、B=CならばA=Cが成り立つのは数学だけなんだなぁ、と思って」
「本当に何を言っているの?」
雪花は馬鹿を発見した原住民のように眉を上げると、わざとらしくため息をついた。数字に慣れていないくせに、数学で例えをするなという警告かもしれない。破ったら最後、日の目を見ることはないだろう。
なぜ一般男子生徒である俺がゾンビと下校しているか。
理由は単純に彼女と下駄箱の前でばったり会ってしまったからである。
神は死んだ。そろそろストレスで髪も死にそう。
最近ではジガバチとかいう新たな脅威も出てきたし、間もなく平凡なラブコメ生活を送るという夢が破れるかもしれない。
肉塊がいても、まぁまぁ。
ゾンビがいても、何とかなる。
闇みたいな幽霊がいても、ぎりぎりか?
ジガバチまで出てきたら、完全にアウト。ゲームセット。
ラブコメの夢は儚く散った。
悲しい。
そんな感じで雪花と並んで歩いていると、前方に女子比率の異常に高い行列を発見する。俺は「お洒落にうるさい人物は、行列を見ると並びたくなる性質がある」という偏見を持っているのだが、彼女も例に漏れないようで、
「美味しそうね。並びましょう」
と口角を上げた。
また偏見の根拠が積みあがる。
あとちょっとで公式まで成長できるな。
「あれって」
「タピオカミルクティーね」
「タピ、オカ……?」
「何その終戦を知らされた日本兵みたいな反応は」
まだ生きていたのか。
最近めっきり見なくなったから、すっかり神の怒りを買って消されたと思っていたんだが。バベルの塔のごとく。
息を殺して世界にへばり付いていたらしい。
目の前にあるのはキッチンカーであった。
『カフェ:カンボジア&トルキスタン』と書かれた看板を背に、女子高生らしき二人組がタピオカミルクティーの写真を撮っていた。
不思議なことに店に並ぶ行列よりも、看板で写真を撮るために並ぶ行列の方が長いような。日本七不思議にぎりぎりランク外か。
「最近ダイエットしてたのよ」
「………………?」
唐突に「人喰ってません宣言」をかましてきた雪花に、俺は意図がわからず首を傾げてしまった。
もともと人間の範疇にはいない痩せ方をしているのだから、それ以上痩せたらいよいよ化け物をも凌駕してしまうのでは。
「十分痩せてるよ」
「それでも。女の子は些細なことも気にするんだから」
はぁ。
ゾンビという滅茶苦茶な欠点よりも重要視すべき些事があるんですね。
女の子というのはよく理解できない生き物である。
「……だから、ちょっと私お腹減ってるのよ」
「おやつ代わりにタピオカミルクティー?」
「えぇ」
彼女にとってのメインディッシュが人間であることは周知の事実であるが、ダイエットなどと抜かしたせいで、空腹のあまり俺がメインディッシュにされるのは避けたい。
タピオカミルクティーでもマリトッツォでもナタデココでも何でもいいから、とりあえず腹を膨らませてもらいたいところ。
ゆえに雪花も知っていて黙っているのであろう「タピオカミルクティーは種類によってラーメン一杯分のカロリーに匹敵する」という嫌な事実からは目をそらして、行列に並び始めた彼女を生暖かい目で見守ったのであった。
「久しぶりに飲むわ」
「……頼んでないんだけど」
「一人で飲むのは寂しいじゃない」
俺と雪花とが一緒に並ぼうものならカップルを見る目を向けられるのは明白なので、こちらは行列には向かわずに待っていたのだが。
ゾンビはその両手に蓋が丸いプラスチックのコップを持って、片方を差し出してくる。黒糖が入ってると思われる、水面から血のように落ちる赤褐色。
何のつもりだと首を傾げてみると、彼女は「寂しい」などというよくわからない理由をあげてきた。
しかし断るのも角が立つし、雪花の心遣いを無下にすることになる。
ここは大人しく受け取って後で何か返そう。
固く心に決めつつ、近くの公園に向かう。
もはやゾンビと並列していても違和感を抱かなくなってきたのだから、いよいよ自分の感覚もおかしくなってきたな。
手頃な二人用のベンチを見つけると木製の温かさに腰を下ろす。
「ふぅ」
雪花は小さなため息を一つ。
ぼぅ、と陶然とした目をタピオカミルクティーに向けた。
化け物のくせに結構似合っているのが悔しい。
「んっ」
そっと太いストローに口をつけ、ちうちうと吸い始める。
細い首筋が脈動する。か弱く滑った髪筋をさわりと耳にかけ、ほんのり赤くなった頬を冷やすように手で扇いでいた。
莫大なカロリーを接種することに抵抗を覚えていた俺は、彼女のそんな様子を眺めていて、こちらの視線に気づいたらしい雪花が眉を寄せる。
「…………何よ?」
「いや、美味しそうに飲むなぁって」
そう、と呟いた彼女に続いて、俺もストローを咥えた。
うーん……。
化け物とのラブコメが成立しないくらい自明ではあったのだが、黒糖入りのタピオカミルクティーは、やはり自分にとって気持ち悪くなるほど甘かった。
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