第2話 なぜ転校先にもモデルが?

 夏菜の急な絶縁宣言に俺はたじろぐ。


「な、夏菜!」

「だって藤前君も私と付き合うの嫌でしょ?」

「急すぎる! せめてなにか一言あってもよかったじゃないか!」

「……ごめん。できなかった」


 夏菜はただじっと視線を前に向けていた。

 この落ち着きようからして、その場の思いつきではないようだ。


「ふーん。覚悟はできたってわけ?」

「はい」


 マネージャーの敏治さんはいつもの陽気な態度はどこへやら、抑揚のない声で訊ねる。

 あご髭を等間隔で触り、もうスタジオを明け渡した後なのに、なんとなくの所作で時計の時間を確認していた。仕事人の癖だろう。


「覚悟ってなんのことですか……?」

「実は前々から神崎に相談を受けてたんだ。『これから飛躍するためには恋愛に現を抜かしている暇はない』ってね。まあ焚きつけたのは俺だからさ。藤前君は夏菜を責めないでやってくれよ」


 頭が追いつかなかった。

 ……夏菜はずっと前から俺に内緒で相談を受けていたのだ。

 もちろん仕事の話だから、おいそれと他人に話すのは自分の信用を下げる行為だとして相談しなかったのかもしれない。

 けれども、俺は他人じゃないだろ。

 本来ならば話の中枢に加われていないとおかしいはずだ。なんでこうして蚊帳の外にいるんだよ。


「ごめん」


 夏菜は謝罪を口にする。


「ごめんってなんだよ」

「別れること」

「……そうじゃなくて! いやそこもだけど! なんで言ってくれなかったんだよ!」


 会話を続けていくうちに語気が強くなる。

 俺は抑えられない怒りを言葉にしてぶつけていた。


「そこまでにしてくれないか」


 敏治さんの声が遮った。


「藤前君の気持ちは痛いほどわかる。でも神崎のことを考えてくれ。彼女は今がチャンスなんだ。少し前の雑誌がバズ……有名になって、SNSのフォロワーも急激に伸びている。これから先、ウチを出てステップアップする可能性が高い。もうすでに幾つか外部からも声をかけられている」


 机の上に名刺を滑らせる。

 素人の俺にはサッパリだが、業界の人からすれば一目を置くような事務所なのだろう。

 他にも幾つか名刺があったが、どれもモデル事務所からだった。


「……夏菜が有名になるには俺が邪魔ってことですか」

「そうだけどニュアンスが違うな。おそらくは藤前君が思っているよりも神崎は有名人だよ。もうとっくにね」


 敏治さんの携帯にはTwitterが表示されていて、#神崎夏菜のタグには何万ものコメントが寄せられていた。「夏菜って子。可愛くない?」という俺のような一般学生らしきコメントから、「夏菜ちゃんの個人写真集出してくれ! もやし生活になるまで買うから!」と社会人らしきファンのコメントも見受けられる。


「凄い人気ですね」


 俺は忌憚なく抱いた感想をそのまま呟いた。

 夏菜が学校でモテるのは十分知っていたけど、それが世間での人気とまでは中々結びつかなかった。

 が、こうしてネットの反応を見ると夏菜の人気を実感する。

 

「で、これを見てくれ」

「これは……俺と夏菜の写真?」


 神崎夏菜の検索ワードの下、そのサジェストには「神崎夏菜 彼氏」とあった。

 しかも一番上だ。たどっていくと、週刊誌が勝手に探りを入れていたことがわかり、顔はぼやけているが、俺の写真まで出回っている。


「藤前君がTwitterとかInstagramのアカウントを持っていなくて良かった。SNSで炎上を防ぐ一番早い方法がSNSに触れない、だからな」


 俺はネットが苦手だ。

 今でも電子書籍ではなく紙の本を愛読するくらいには遅れている。

 こだわりがあるわけでもないのに。


「……まあ、ウチさ。雑誌としてはぼちぼちだけど、まだほんと小さい会社なんだ。系列グループ大手のどこでもないし。神崎のプロフに関しても公式のウェブページにゆるく書いてあるだけで、情報発信は個人のアカウントに委ねてるんだよ」


 敏治さんは油が滲んだ髪をかき揚げると、煙草を吹かすようにフゥーっと息を吐く。

 そういえば、スタジオは禁煙だった。


「すいません。昔からの教育で、あんまりこういうの触れなくて」

「ああ、親御さんが厳しかったの」

「厳しいというか神経質な人で……」


 言葉を濁しながら伝えたが、敏治さんは察してくれたようだ。「たまにあるよね。そんなとこ」と深掘るようなことはせずに短く流してくれた。


「ま、そんなわけだ。お前らまだ高校生だろ? 結婚とか視野に入れてるわけじゃないんだよな? こんなこと言うのはアレだけど、仮に神崎が今こんな風になってなくとも別れてたと思うぞ。学生の恋愛って現実そんなもんだしな」


 それは人を斡旋する職に就く敏治さんだからこそ否定しづらい言葉だった。


「……そんなわけな——」

「ないなら否定しなよ」


 俺は夏菜を見た。

 たぶん自分でも引くほど情け無い顔をしている。

 夏菜はこの業界で生きていく覚悟を決めたんだ。

 それを踏まえて、俺に否定することなんて……


「聞いた話じゃ、お前らの仲ってだいぶ前から冷え切ってたってーんだ。藤前君も神崎とは上手くいってない自覚あったろ。そこでもう限界が来てたんだよ」


 その通りだった。

 敏治さんが言うように、夏菜が雑誌の目に止まってから、俺たちの関係は破綻した。

 夏菜には夢中になれるものが見つかったし、それが世間で肯定された。

 鉄は熱い内に叩いて伸ばさないといけない。

 俺みたいな「空気」に触れると、急に冷めて歪になる。そうなりかけているのが現状だ。

 このままだと、俺も夏菜も幸せになれない。


「君は間違ってないし、薄情なんかでもない。それは俺が保証するよ。だから黙って手を引いてくれないか?」


 有無を言わさない、生温くて変に耳心地よい言葉だった。

 

「でも、そんなことをしたって噂は簡単には消えないんじゃ……」

「そうだね。ネットは特にそう。デジタルタトゥーなんて言葉があるくらいだ。だから根本から徹底的に除去しなければならない」


 敏治さんはそう言って書類と学校案内のコピーを俺に手渡した。


「転校してくれないか?」

「——はい?」

「金は色をつけてこちらで工面させて貰う。口約束じゃない。ちゃんと社長にサインも書かせてある」

「いや、ちょ、話がまだ!」

「大丈夫だ! 藤前君は勉強が出来るんだろ? きっと君にとっては今の学校より居心地がよくなるはずだ!」




 —— こうして話は冒頭にまで遡る。


 自己紹介を終えた俺は席に着いた。


「で。なんでアンタがこっちに来てんのよ」

「それはこっちの台詞だよ!」

 

 一難去ってなんとやら。

 俺の教室には神崎と同じ『Light—moon』の読者モデル神原涼香がいたのだった。



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