第3話 異世界転移といえばチート能力ーっ!

 逃げなきゃ!

 頭ではそう思ってるのに、体がちっとも動かない。


「新木!」


 流星君が叫んで、守るように私の体を抱きしめる。

 だけど猛スピードで迫ってくるトラックを、そんなものでなんとかできるかはわからない。少なくとも、この時私は、こりゃ二人ともダメだなと死を覚悟した。


 短い人生だったな。こんな事なら、もっとやりたいことをやっておけばよかった。

 今描いてる途中のマンガも完成させたかったし、来月は好きなマンガの新刊がたくさん発売されるんだよね。そのためにお小遣い貯めてたのにな。


 だけど、こんな事を考える暇はあるのに、この後来るはずの衝撃がちっともやってこない。


「あれ? もしかして、助かったの?」


 流星君に抱きしめられるような体制になっているせいで、視界が塞がってて、周りの様子が分からない。

 モゾモゾと体を動かしながらなんとか顔を出した私は、辺りを見て呆気に取られる。


「ここ、どこ……?」


 そこには、見たこともない世界が広がっていた。

 もう一度言うね。比喩でもなんでもなく、そこには、見たこともない世界が広がっていた。


 まず周りに見えるのは、さっきまでいた街中とは似ても似つかない、何本もの木が生い茂った森の風景。

 しかもさっきまで夜だったはずなのに、今は空高く太陽が登ってる。


「なにこれ、いったいどうなってるの? 私達、トラックに跳ねられるとこだったよね。それが何でこんなとこにいるの? って言うかここはどこ。もしかして天国? 死んじゃったの?」

「うるさい!」


 パニックになる私に、鋭い声がとぶ。流星君だ。


 だけど仕方ないじゃない。だって死んだと思ったら、いきなりどこだかわからない場所にいるんだよ。これで取り乱さない方がどうかしてるよ。


 だけど、冷静にいられないのは私だけじゃなかった。

 流星君もまた、周りを見ながら頭を抱えていた。


「俺だって何がなんだかわからないんだ。少しは静かにして、落ち着く時間をくれ」


 呆然として、顔面は蒼白。彼もまたしっかりこの状況に驚いているらしい。

 こんな流星君、初めて見たかも。


 けど、そうだね。ここは流星君の言う通り、まずは落ち着かないと。

 そう思ったその時、近くの繁みがガサガサと音を立てて揺れる。目を向けるとそこには半透明な青っぽい色をした、ゼリー状の物体が地面を這いずっていた。いや、もっとハッキリ言ってしまおう。あれはスライムだ。ゲームなんかで序盤のザコ敵としてよく出てくるアレだ。

 もちろん、現実にそんな生物なんていやしない。


「……いったい何がどうなっているんだ」


 私達に気づいて逃げていくスライムを見ながら、再び流星君が頭を抱える。どうやら落ち着くにはまだまだ時間がかかりそうだ。


 だけど私は、この一見意味不明な光景を見て、ある考えが浮かびつつあった。


「ねえ、今のこの状況に、心当たりがあるんだけど、言ってもいい?」

「これに心当たりなんてあるのかよ。まあいいや、何でもいいから言ってみろ」

「私達、もしかして異世界転移したんじゃないのかな。つまりここは、私達の住んでいるのとは別の世界ってこと。トラックに跳ねられるのは、どっちかと言うと異世界転生の方が多い気がするけど、それでも定番だからね。おまけにスライムまで出てきてるし───痛い痛い痛い!」


 話を終えるその前に、流星君の手が私の頭を掴み万力のようにキリキリと締め上げてきた。所謂、アイアンクローってやつだ。


「俺は真面目な意見を聞いてるんだ。そんなこと、現実にあるわけないだろ。こんな時くらい厨二病は封印しろ」

「だ、だって~」


 怒る流星君だし、私だって突拍子もないこと言ってる自覚はある。

 だけど、これでも一応言い分はあるんだよ。


「この状況自体が常識じゃ考えられないことなんだよ。どんなに考えたって、現実的な説明をつけるのは無理なんじゃないの!?」

「うっ、確かに。お前に諭されるなんて、なんかショックだ」


 とっても失礼なことを言いながら、肩を落とす流星君。

 だけど、今はそんなこと言ってる場合じゃない。


「仮に、あくまで仮にだが、ここが異世界だったとして、元の世界に戻る方法はあるのか。こういうのは、お前の方が詳しいだろ。一応、参考として聞いといてやる」

「って言われても、異世界に行く目的なんて、魔王を倒すって言う王道からのんびりライフまでたくさんあるからね。最後どうなるかも、元の世界に帰ったりそこに永住したり色々だよ」

「帰れず終わるもあるのかよ。異世界に行くって言っても色んなパターンがあるんだな」

「そうだよ。人気ジャンルだからこそ、みんなその中でオリジナリティを出そうと頑張ってるんだから」


 今や異世界に転移するって話は、マンガやラノベを合わせたらいくつあるかわからない。だから、一口にこういうものって言いきるのは難しいんだよね。

 けどそれでも、多くのもので使われてるお約束の設定ってのはある。


「異世界転移と言えば、あったら嬉しいのは、やっぱりチートかな」

「チート? なんだそれ?」

「簡単に言うと、もの凄く強い力や特殊能力のこと。異世界に行ったとたん、凄い魔法が使えたりするようになるの」

「ずいぶん都合のいい展開だな」

「それくらいトントン拍子に話が進んだ方が、読んでて気持ちいいからね。ってことは、私達も何かチート能力があるかも。私、魔法だったらいいな」

「そんな呑気なこと言ってる場合かよ」


 流星君はそう言うけど、実際にこうして異世界に来てるんだよ。チート能力だって、もしかしたらあるかも。


「よし、試してみよう」

「おい、本気か?」


 だって、試すだけならタダだもん。何かが減るってわけじゃないんだし、どうせなら思い切りやってみよう。

 むんと気合いを入れ、右手をつき出し、私の描いたマンガの主人公になったつもりで叫ぶ。


「此方より来たりし風よ、我が呼び掛けに応え刃となれ──」


 するとどうだろう。つき出した手に、何かの力が集まっていくような感覚がある。

 間違いない。私は今、チート能力を得たんだ。そして、呪文の最後の一節を言い放つ。


「切り裂け、疾風ウインドカッター!」


 予定では、ここで突風のごとき強い風が巻き起こり、辺りの木々を切り裂くはずだった。

 だけど……


「どうした? 何を切り裂くって?」


 流星くんがポツリと呟く。

 残念ながら、思い描いてたようなことはちっとも起きなかった。せいぜい、生暖かい風が吹いただけだ。


「どうだ。チート能力は使えたか?」


 そんなの見たらわかるでしょ!

 なのに流星君はわざわざ聞いてきて、冷ややかな視線を向けている。正直、心が痛い。


 だ、だけど、ここで挫ける私じゃない。

 さっき感じた不思議な感覚。それを信じて再び叫ぶ。


「な……なんの、まだまだ! 黒き暴君、万象一切を灰塵へと変えよ。黒龍煉獄波!」


 もっともっと!


「我が身に封印されし冥界の魔神よ。今こそ解放され暗黒の力にて森羅万象全てを虚無へと返せ。エターナルブラックホール!」


 しかし、いくら叫ぼうと、決めポーズをとろうと、肝心の魔法は一向に発動しない。ただ私の声だけが、辺りに虚しくこだまするだけだ。

 それがどれくらい続いただろう。とうとう呪文のレパートリーも底をつき、そして私はその場にガックリと膝をついた。


「は……はは…………どうやら、魔法チートじゃなかったみたいだね」


 そうして目を向けた先にいるのは、今までの一部始終をバッチリ見届けていた流星君だ。

 笑われるか、怒られるか。ビクビクしながら様子を見るけど、流星君の反応は、そのどちらでもなかった。


「ま、まあ、いきなりこんなわけのわからない状況になったんだし、現実逃避だってしたいよな。今見たことは誰にも言わないから、安心しろ」

「うわぁぁぁぁん! 優しい言葉がよけいに辛いよーっ!」


 途中から薄々無理だって分かっていたよ! だけど、何も起きないまま止めたら、ただのイタい人になるじゃない!

 いや、見事に何も起きなかったけど。イタい人になったけど!


「ああ言うセリフは、やっぱり書いてるマンガで使うために考えているのか? ポーズもキレッキレだったが、だいぶ練習していたみたいだな」

「お願い聞かないで! そっとしといて!」


 そりゃ、ああいう厨二病的技やポーズは大好きだけど、冷静な目で見られるとキツいの! だから、練習する時は一人か、同じくオタクで厨二病のお兄ちゃんの前でしかやらなかったのに。


 そういえばお兄ちゃん。私の練習に付き合ってくれた時、いつか異世界に行った時役に立つぞと言ってたっけ。

 嘘つき! 全然役に立たないじゃない!


「い、一応手に力が集まるような感覚はあったんだよ。もしかしたらほんの少しやり方が間違ってただけで、実はけっこういい線いってたのかも……」

「錯覚だ」


 せめてもの可能性にすがろうとしたけど、それさえもバッサリと切って落とされた。


「だいたい、ここが異世界だったとして、魔法なんてホイホイ使えるわけないだろ。何が『切り裂け、疾風ウインドカッター』だ!」


 私のマネをしてか、流星君が叫びながら適当に腕を振り上げる。その時だった。


 突如、流星君の手から一陣の風が放たれ、それがまるで刃のような形を成して飛んでいった。


「なんだ、今の?」


 流星君も私も、呆然としながら風の刃が進んでいった方角を見つめる。それに当たった細かな木の枝は見事に切断され、さらにその遥か向こうからは──


「ぎゃぁぁぁぁっ!」


 誰かの悲鳴があがるのが聞こえてきた。


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