149,もう一つの対話

 ……シャノンは部屋の中でじっとしていた。

 この数日、彼は寝る間も惜しんで動き続けていた。

 戴剣式はすでに二日後だ。

 そこで全てが決まる。

「……もうすぐだ。後もう少し、もう少しだけ耐えてくれ、ミオ」

 暗くなった室内で、シャノンは明かりも点けずただじっと祈りを捧げるように強く両手を握っていた。

【いったい誰にお祈りをしているの? もしかして〝神〟ってやつ?】

「ッ!?」

 急に〝声〟がした。

 シャノンが驚いて顔を上げると――目の前に〝影〟が立っていた。

 それは本当に〝影〟としか言いようがなかった。

 すぐ目の前にいるのに、なぜか気配が曖昧だ。本当にいるのかどうかさえよく分からない。

 何となく小さな女の子だということは分かるが、それ以上は何も分からない。本当に不気味な存在だった。

 シャノンはそいつのことをはっきりと覚えていた。

 〝夢〟の中で会っていた、あの奇妙な存在だ。

「……またお前か。今度は現実にまで出てくるようになったのか」

【あら? 今度はわたしのこと覚えてるの?】

「覚えてるさ。お前みたいな気味が悪いやつ、一度見たら忘れるもんかよ」

【あらあら、レディに失礼な物言いね。というか1度目は忘れていたくせによく言うわね、そんなこと】

「何の話だ?」

【何でもないわ。それよりまぁ、以前のことを覚えてくれているのなら話は早いわ。わたしはね、改めてあなたに忠告に来たのよ】

「忠告?」

【そう、忠告。以前、わたしは言ったわよね? あの女は死の〝特異点〟だと。あの女が生きている限り、いずれ再び大きな厄災が起こる。それはもしかしたら世界を滅ぼすかもしれない――って。なのに、どうしてあの女のことを助けようとしているのかしら?】

「どうしてか? そんなの決まってる。あいつを助けるのがオレの役目だからだ」

【その意気込みは素晴らしいとは思うけど、そのせいで世界がどうなってもいいわけ?】

「そうは思っていない。オレは周りのやつのことだって大事だ。だから、オレが王になってミオもみんなも救うんだ」

 ふむ、と〝影〟は思案するような様子を見せた。

【それはつまり……世界なんてどうなってもいいから、とにかく自分の手の届く範囲にいる人間だけは助けようってことかしら?】

「だったら何だ?」

 シャノンがそう答えると、〝影〟はほんの少し残念そうな声色で答えた。

【そう……まぁそうよね。普通の人間なら、そう考えるわよね。誰も彼も救っていたらキリがない。自分の手で救える相手には限界がある。それを見極めて生きていくことも必要だものね】

「何だか少し残念そうだな?」

【いいえ、別にそういうわけじゃないわ。でも……まぁ確かに過度な期待をし過ぎていたかもしれないわね。以前、わたしはあなたに〝昔〟と〝今〟どちらを選ぶのかと訊ねた。それに対するあなたの答えが――も選ぶこと。二つだったはずの道に、三つ目の道が出来た。あなたはあの女も助けるし、身の回りの大事な人たちも助ける。実際、やろうと思えばあなたにはそれが出来る】

「ああ、もちろんだ。やってみせる」

【でも……それじゃあ根本的な解決にはなっていないわよ?】

「どういうことだ?」

【だってそうでしょう? あの女が生きている限り、次の厄災は必ず起こるのだから。あなたは自分の世界を守るのと引き換えに、その他の全ての世界を切り捨てる――そう言っているのよね? まぁ確かに、あなたの〝力〟があれば、あなたの世界だけは守れるかもしれないけど――】

「……? 誰がそんな話をした?」

【え?】

 〝影〟は戸惑ったような声を出した。

 そんな相手に向かって、シャノンは真っ直ぐに目を向けながら言った。

「オレは最終的な目標は、ミオを幸せにすることだ。もちろん他の大事な人たちも救う。でも、オレが本当に望んでいるのは、ただ一つしかない。それはミオの幸せだけだ」

【でも、それは――】

「ああ、そうだな。お前の言い分だと、その目標と他の全ては相容れない。ミオの存在が世界を滅ぼすのなら、選択肢はやっぱり二つに一つだ。結局、世界かミオか、そのどちらかを選ばなければならない。……だがな」

 ぐっ、とシャノンは自分の拳を強く握った。

「またあんな凄惨な悲劇が起こったような世界で、ミオが幸せになれるか? なれるわけがねえ。ミオはまた苦しむだろう。また自分のせいだ――ってな。だったら今世は諦めてまた来世でやり直すか? いや、そんなの意味が無い。何度やったところで同じだ。お前が言う〝因果〟はずっとあいつについて回る。それじゃ何も変わらねえ」

【……】

「だったらよ、。ミオが幸せでいられるようにするには、ミオが存在するこの世界全てを丸ごと救うしか方法はない。オレは身の回りの大事な連中にも死んで欲しくないし、良くを言えば誰にも死んで欲しくない。全部が全部幸せにならないと、あいつは幸せになれない」

【つまり……あなたはこう言っているわけ? 一人の女を救うためだけに、世界を丸ごと全部救うんだって?】

「ああ、そうだ。オレは――最初からそのつもりだ」

 ……かつて、彼は間違えた。

 自分が本当に望んでいるものを手に入れるために戦い続け、最後に自分の手でそれを破壊した。

 彼にとって、元々世界なんてそんなものだった。

 〝彼女〟の存在と釣り合いなんて取れるわけがないのだ。

 世界なんてどうだっていい。

 〝彼女〟か世界か、どちらかを選べと言われれば、間違いなく彼は〝彼女〟を選ぶだろう。

 ……だが、〝彼女〟はきっとそれを喜ばないだろう。

 自分のせいで世界が滅んで、その滅んだ世界で自分だけが幸せになることなど、〝彼女〟は決して望まない。

 なぜなら、〝彼女〟はとても優しいのだ。

 彼はそのことを、誰よりもよく知っている。

 そう、全ては〝彼女〟のためだ。

「別にオレとしては本当に世界なんざどうだっていい。オレはオレの身の回りの世界さえ救えればそれでいい――だが、それじゃミオが幸せになれない。だったらオレはそのために全てを救う。因果だの特異点だの、知ったことじゃない。仮にそんなもんがあるんだとすれば、オレが全部ぶっ潰してやる」

【……ただの人間でしかないあなたに、それだけのことが出来るとでも?】

「なに言ってやがる。オレは〝勇者〟だぞ? 不可能なんざねえんだよ」

【ふ――ふふ、はは、あはははは!】

 急に〝影〟が腹を抱えて笑いだした。

 そのまましばらくひーひー言うまで笑っていたが、ようやく落ち着いた様子だった。

【はぁ、はぁ……もうわたしを笑い殺すつもり? これ以上死んだらどうしてくれるのよ】

「オレのせいかよ」

【当たり前でしょ。あなたみたいな馬鹿はで初めてよ……でも、そう。その答えはわたし個人の期待通り――いや、それ以上だわ。これでようやく、。これまで何度も何度も失敗してきだけど……今度こそ】

「……? 何の話だ?」

には関係のないことよ。それじゃあ、その結末とやらを楽しみに見させてもらうとするわ。頑張ってね、お兄さん】

 最後に笑うような気配を見せると、闇に溶けるように〝影〟は消えてしまった。

 後に残された彼の中には、まるで夢でも見ていたかのような不思議な感覚だけが残されていた。

「シャノン、大変だ!」

 その時、急にヨハンが部屋に飛び込んできた。

 ただならぬ様子だったので、シャノンは何かあったのかと身構えたように立ち上がった。

「どうした、何があった?」

「それが……さっきこんなお触れが出されたんだ。異端審問会の連中が街中でこれをバラ撒いていたそうだ」

 そう言って、ヨハンが一枚のビラをシャノンに見せた。

 それを見たシャノンは思わず目を疑った。

「……公開処刑、だと?」

 ……そこにはこう書かれていたのだ。

 戴剣式の日に合わせて、先日の襲撃事件を起こした首謀者の公開処刑を執り行う、と。

 新たな王となった、ウォルター自身の手で。

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