136,身柄

 監獄は王都の中心からは外れた場所にあった。

 まるで要塞のような外観の建物だ。空がどんよりと曇っているせいか、いつも以上に重苦しく陰鬱な場所に見えた。

 二人がやって来て顔を見せると、門番たちは慌てて門を開いた。

「こ、これはシャノン殿下にヨハン様!? す、すぐに中へご案内します!」

「いや、大丈夫だ。中の構造は分かるから。シャノン、こっちだ」

 門番の案内を断って、ヨハンが先導して歩き始める。

 監獄内に入ると、すぐに雰囲気が変わった。とても息苦しい空気が充満している。

 その空気を肌と鼻で感じると、シャノンの焦燥感はさらに大きくなった。とてもではないが、ここは怪我人がいていい場所ではない。

 だが、彼女が囚われているのはさらに奥深くにある地下牢だ。魔族を捕らえておくための専用の独房で、とんでもなく頑丈に、そしてかなり深い場所に造られている。地下深くにあるのは、魔法を使っても逃げられないようにするためだ。

 地下に降りていく階段を一歩ずつ下る。下れば下るほど空気はひんやりしていくが、それが逆にシャノンの肌と気持ちをより焦がした。

 彼がいま感じている時間は、実際の時間とはかけ離れていた。とにかく時間が長くてしょうがない。焦れば焦るほど、一秒がまるで十秒のように感じられるのだ。

 そうしてようやく辿り着いた先で彼らが見たのは――姿

「……え?」

 と、声を出したのは果たしてどちらだっただろうか。

 見張りは身ぐるみ剥がされた状態で手足を縛られ、床に転がっていた。

 その光景に始めは完全に虚を衝かれた二人だったが……先に我に返ったヨハンがすぐに慌てて彼らに駆け寄った。

「お、おい!? どうしたお前たち!? 誰にやられた!?」

「ぐ……ヨハン様、申し訳ありません。先ほど、いきなり異端審問会の連中に襲われました」

「異端審問会だと!? 連中が襲ってきたのか!?」

「は、はい……奥にいる魔族の身柄を引き渡せと言ってきたのですが、拒否した途端このような狼藉に……」

 呆然としていたシャノンが、ハッと気付いたように顔を上げた。地下牢の鉄扉が開いていたのだ。

 慌てて中を確認する。

 牢獄はもぬけの殻だった。

「おい、中にいた女はどうした!?」

「い、異端審問会の連中が連れて行きました」

「――ッ!!」

「あ、シャノン!?」

 シャノンはその場から飛び出すように地上へ戻った。

 そして、すぐにさきほどの門番たちのところへ戻った。

「おや? 殿下、もう用事はお済みなので?」

「――おい、異端審問会の連中がここを出て行ったのはいつだ?」

 恐ろしく低い声だった。

 門番は息を呑んだ。

 というのも、シャノンの形相がそれはもう凄まじかったからだ。まるで勇者の英雄譚に語られる魔王メガロスのような、とてつもなく恐ろしいものだったのである。

 本当に殺されるかもしれないと思ったのか、門番は脅えながら答えた。

「で、殿下たちが来られる1時間ほど前ですが――」

「くそッ!!」

 シャノンが乱暴に手を離すと、門番はぐえーと地面に倒れた。

 だが、彼はそんなことはまったくお構いなしだった。

 すぐに愛馬に跨がって、その場から駆け出そうとした。

「待て、シャノン!? どこへ行くつもりだ!?」

 今にも駆け出そうとした瞬間、目の前に後を追ってきたヨハンが飛び出してきた。

 シャノンは声を荒げた。

「どけ、ヨハンッ! 連中を追いかけるッ!」

「まさか異端審問会の本部へ行くつもりか!?」

「そうに決まってるだろうが! すぐにでもミオを連れ戻す!」

「待て、待つんだ! 君が異端審問会のところへ行けば相手の思う壺だぞ!? 連中は色んな理由をつけて君を拘束しようとするはずだ! いまこの段階で君が連中に捕まれば全てが終わりだぞ!?」

 シャノンが異端審問会に拘束されずに済んでいるのは、騎士団の庇護下にあるからだ。しかし、もしシャノンが単独で異端審問会に乗り込んでしまえば、待ってましたとばかりに彼を拘束するだろう。向こうにはいくらでも彼を拘束する口実があるのだ。そうならないように、ヨハンはシャノンの身柄を騎士団で保護していたのである。

「だが――」

 シャノンは、もうこうなったら本当に力尽くでエリカを奪い返そうかと、本気でそう思った。彼が本気を出せばそれは可能だろう。手負いとは言え、彼にはそれだけの戦闘能力はまだ残されている。

 ……けれど、それではダメだということは、シャノン自身も分かっていることだった。

 ここでエリカを救うために強硬手段に出れば、シャノンはやはり魔族の協力者だったということにされてしまうだろう。異端審問会にとって有利な状況になってしまう。

 今すぐにエリカを救うために、他を全て捨てるか否か。

 決断を迫られたシャノンは、

(それでもいい、それでもオレは――)

 意を決して馬を駆り、駆け出そうとした――その寸前で、歯を食いしばって思いとどまった。

 目の前にいるヨハンの顔が、彼の決断を思いとどまらせたのだ。

 ヨハンだけではない。他にも見知った人間たちの顔が、次々に浮かんできた。今ここでエリカを選ぶということは、彼らを見捨てるということだ。

 世界なんてどうなってもいい。

 この国のことだって知ったことではない。

 ……でも、自分が心を許した身近な人たちを、彼は簡単に切り捨てることはできなかった。

(――ミオ、すぐに、すぐに助けに行く。だから、もう少しだけ……もう少しだけ耐えてくれ……ッ!)

 全てを手に入れる手段はある。

 だが、それを成すにはもう少しだけ時間がかかる。

 シャノンは砕けそうなほど強く、奥歯を噛んだ。

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