135,行動開始

 シャノンはすぐに動いた。

 傷口はまだ完全に塞がっていなかったが、とてもゆっくり寝ていられる状況ではなかった。なぜなら、いまこうしている間にもエリカの命が危険に晒されているのだから、とてもではないが気が気でなかった。

「すぐに地下牢へあいつを助けに行く。ヨハンはオレに同行してくれ」

「分かった」

「殿下、わたしも一緒に行きます!」

「いや、アンジェリカ。これはお前には頼めない」

 シャノンがきっぱり言うと、アンジェリカはちょっとショックを受けた顔をした。

「え? な、何でですか!? わたしだってエリカのこと心配なんです! 一緒に行かせてください!」

「お前の気持ちはもちろん分かる。だが、お前には別に頼みたいことがあるんだ」

「頼みたいこと……?」

「ああ。さっきも少し話したと思うが……オレは前世で死ぬ前、人魔大戦に関する機密文書をとある場所に隠した。お前にはその回収を頼みたい」

「わたしが、ですか?」

「そうだ。これは信頼できるやつにしか頼めないことだ。今後、その機密文書は必ず必要になるからな。それをお前に回収して来て欲しいんだ」

「……それは、エリカを助けることに繋がるんですか?」

「間違いなく繋がる。オレがこの国の王になった時、そいつでこの間違った世界を正してやる。そのために必要なものだ」

 あの資料が明るみに出れば、いまも世界の枠組みを決めている当時の戦争主導国連合軍構成国によって生み出されている世界の枠組みに大きな亀裂が入るだろう。

 そして、それは魔族を人類の〝敵〟と見做す価値観そのものにだって影響を与えるはずだ。

 シャノンの心の奥にある原風景――それはもういまこの世界に存在することのなくなった、人間と魔族が当たり前に共存する世界だ。

 かつてそういう世界が存在したということ。魔族は戦争を望んでなどいなかったこと。全ては人間たちの都合によってあの災厄が始まったこと。

 その真実を白日の下に晒すことは、必ず必要なことだ。いまの世界こそが間違っているのだと否定するには、それだけの根拠が必要になる。

 を考えれば、前世で隠した資料は絶対に必要になるだろう。それだけ大事なものを託せる相手は、今のシャノンにはそう多くない。けれど、アンジェリカにならば、その使命を託すことが出来た。

 アンジェリカはしばし悩むような顔をしたが、

「……分かりました。その任務、引き受けます」

 と、頷いた。

「すまないな、アンジェリカ。だが、あいつのことは必ずオレたちが助けるから安心してくれ」

「分かりました。エリカのこと、頼みましたからね」

「ヨハン、アンジェリカに三番隊を同行させてやってくれ」

 中央騎士団の三番隊はアンジェリカの父、ウォーレン・ドーソンが隊長を務める部隊だ。しかも姉である〝狂犬〟リーゼ・ドーソンも三番隊の所属である。

 三番隊は中央騎士団の中でも特に荒くれ者――もとい、〝精鋭〟として知られる部隊である。この部隊なら信頼もできるし実力も申し分ない。何よりアンジェリカ自身も父親や姉が一緒ならば安心だろう。

 色々とシャノンの意図を察したヨハンはすぐに承諾した。

「分かった。すぐ父上にも話を通して、そのように取り計らっておこう」

「頼む。詳しい場所についてはすぐに地図を用意する。それとヨハン、ついでにテディに今夜時間を作ってくれと言っておいてくれ。オレから直々にテディにも協力を仰ぐ」

「うん、伝えておくよ」

「それと――ブリュンヒルデ」

 シャノンはブリュンヒルデを振り返る。

お前の家ディンドルフ家にも正式に協力を頼みたい。急で悪いが、今日の夜、ここにお前の父親カールを連れてきてくれないか」

「お父様でいいの? お爺様に言えばきっと来てくれると思うけど」

「確かにガルフが味方になってくれるなら心強いが……ガルフももう歳だからな。足が悪いのにわざわざ来てもらうのも悪い。それに、今の当主はカールだ。頼むならカールにするのが筋ってもんだろう」

「分かったわ。必ずお父様を連れてくるわ」

 それぞれに指示を出し、手配を完了させたシャノンは、すぐにエリカを助けるために地下牢へと向かった。

 

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 アンジェリカとブリュンヒルデ、それぞれと分かれ、シャノンは行動を開始した。

 マギル邸の廊下を早足で歩きながら、ヨハンが訊ねた。

「シャノン、本当に身体は大丈夫なのかい?」

「大丈夫だ。人間は胸に穴が空いたくらいじゃ死なねえよ」

「いや、普通は死ぬけど……」

「前世だってブルーノに胸をざっくりやられたが、それもぎりぎり致命傷で済んだからな」

「致命傷じゃダメだろ!?」

 ヴァージルは過去のことを振り返りながら、やや苦笑を浮かべた。

「……まぁ何やかんやあってそれも死なずに済んだからな。とにかく、オレは胸に穴が空いたくらいじゃ死なねえ男なんだよ。なんせ本物の〝勇者〟なんだからな」

「……ブルーノ様が本物の勇者じゃなかったなんて、それが本当ならこの国の歴史はひっくり返るだろうな。いや、この国だけじゃない。君の言うことが真実なら……今のこの世界の歴史が全てひっくり返ってしまう」

「ああ、だろうな。だが、そんなもんは全部ひっくり返っちまえばいいんだよ。どうせ何もかも嘘っぱちなんだからな」

「けれど、それが真実だと示すためには、君が前世で隠したという資料が必要になるな……今も残っていると思うかい?」

「劣化しないように魔術道具に入れておいたから、きっと大丈夫だ。というか残っていてもらわないと困る」

「うーん、でもアンジェリカたちに見つけられるかな……?」

「本当はオレが自分で行ければそれがいいんだが……いまこのタイミングで国外へ行くのは無理だからな。あいつの〝鼻〟に頼るしかないな。まぁ詳しい地図も描いておいたし、精鋭の三番隊が一緒だ。きっと見つけてくれるだろうよ」

「そうだね。アンジェリカたちを信じよう」

「まぁその前に――オレたちはまず、世界より先にこの国をひっくり返す必要がある」

「それは確かにそうだ。それで、どうやってこの国をひっくり返すのか、その手立てはもう考えてあるのか、シャノン?」

 ヨハンが訊ねると、シャノンはふん、と鼻を鳴らした。

「ブルーノの次の代から、この国の王は聖剣グラムの正当後継者が王に選ばれるんだろう? だったら、話は簡単だ。オレがを引っ張り出してきて、そいつを見せつけてやればいいだけだ。ついでにあの偽物をへし折ってやれば文句はねえだろ」

「……ん? 偽物? 偽物ってどういうこと?」

「いま王族が儀式で使ってる聖剣は偽物なんだよ。形はそっくりだが、魔術道具としての性能がまるで違う。あれじゃただの鉄の塊だ。本物は神器クラスの〝兵器〟なんだからな」

「え? あ、あれって偽物なの?」

「ああ、本物と比べればただのナマクラだよ、あんなのはな。まぁそれもとりあえず後で考えればいい。今はあいつを助ける方が先決だ」

 館を出ると、二人はすぐにうまやに向かった。

 そこにはシャノンの愛馬がちゃんと用意されていた。

 シャノンは愛馬に跨がり、ヨハンも自らの機械馬マキウスに跨がる。

「それより、あいつは本当にまだ地下牢にいるんだろうな?」

「それは間違いない。彼女の身柄は騎士団で預かっている。異端審問会が何を言って来ても引き渡さないように見張りにも厳命してある」

「どうして異端審問会に引き渡さなかった? 異端者の身柄は異端審問会の管轄だろう? 何か言ってこなかったのか?」

「ああ、かなりうるさかったね。でも、こちらも簡単に応じるわけにはいかなかった。無論、事件の捜査には協力するつもりだ。身柄を騎士団が預かっているというだけださ。それなら連中が聴取する時にもこちらが同席できる。連中に完全に身柄を引き渡してしまったら何をするか分からないし、ありもしない証言をねつ造されかねない。それでは君の身も危ないと思ったから、こちらで彼女の身柄を確保させてもらっていた」

「そいつは良い判断だ、ヨハン」

 シャノンは言葉通り、心からヨハンの判断を賞賛していた。

 万が一、エリカの身柄が異端審問会に確保されていれば、かなり面倒なことになっただろう。

 とにかく、今は全てにおいてエリカの身柄を安全なところに移すことが最優先だった。

(まずはあいつをどこかに移送してちゃんとした治療を受けさせねえと……話はそれからだ。異端審問会やウォルターが何をしてきたって、オレが王になっちまえばこっちのもんなんだからな)

 シャノンにとって、王になることは目的のための手段でしかない。彼の目的はエリカを助けること、そして自分の身の回りの大事な人間たちを守るためだ。そのために王になる必要があるというだけのことでしかない。王という立場や地位そのものは、別にどうでも良いのだ。

「……シャノン。僕はあの時、本当にエリカさんのことを本気で殺そうとしてしまった」

 ヨハンは急にそんなことを言い出した。

 その顔には後悔がにじんでいた。

「君が刺されたのを見て、自分が自分でも抑えられなくなって……アンジェリカが止めてくれなかったら、もしかしたら僕は本当に彼女を斬ってしまっていたかもしれない」

「……アンジェリカが? どういうことだ?」

「エリカさんを斬るなら自分も斬れって言って、アンジェリカは僕の前に立ちはだかったんだ。それがなければ……僕は本当に、あの時エリカさんを斬っていただろう」

 ヨハンは頭を振った。

「……最初は彼女のことを信じるなんて言っていたくせに恥ずかしい話だ。でも、彼女に魔法で攻撃された時に、僕はこう思ってしまったんだよ。――って」

「……」

「結局、僕は彼女の外面しか見ていなかったということなんだろうね。だから、彼女の演技にあっさり騙されてしまった。いや、最初から僕は演技している彼女しか見ていなかったわけだ。つくづく自分が浅はかな人間なのだと思い知ったよ」

「……まぁ、あいつの外面は完璧だからな。それもしょうがねえよ」

「君は、僕を責めないのか? もしかしたら僕は、彼女を本当に殺していたかもしれないんだぞ?」

 ヨハンがじっとシャノンを見つめた。

 その瞳の中には色んな感情が浮かんでいるように見えた。

 その一つ一つを、シャノンは自分なりに読み取り、感じ取って――そして、そこに自分自身の後悔を重ね合わせた。

「……オレにはお前を責めるような資格はない。昔、オレは間違いを犯した人間だ。その経験から一つだけ言えることがあるとすれば――お前は誰かに謝るんじゃなくて、アンジェリカに感謝すべきだな。お前の間違いってやつを、手遅れになる前に全力で止めてくれたアンジェリカにな」

「……」

 ヨハンはしばし黙ってから、

「……そうだね。そうしよう」

 と言った。

 二人は機械馬マキウスを駆り、地下牢のある監獄へと全速力で向かった。

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