137,追い詰められた男

 ……ヘルムートが目を覚ますと、目の前の状況は何だかよく分からない状態になっていた。

 最初は頭が少し寝ぼけていたが、身体を起こした途端にヨハンの姿が目に飛び込んでくると、彼はすぐにハッと我に返った。

 思わずぎょっとして――彼は反射的に、再びうつ伏せになって気絶したフリを続けた。

 だが、内心では思わずこう叫んでいた。

(げぇッ!? ヨハン・マギル!? な、なぜこいつがこんなところにいるのだ!?)

 騎士団が余計なちょっかいを入れてくる前にさっさとエリカ・エインワーズとシャノン・アシュクロフトの二人は始末しなければならなかったのに、これでは目論見が崩れてしまうではないか。

 しかも、周囲にはすでに部下の姿は一人もいなかった。目の前にいるのはヨハン・マギルとその部下と思わしき騎士が二人、そしてエリカ・エインワーズだけだ。部下の内、一人はアンジェリカ・ドーソンだと分かったが、もう一人の男エリオットの方はヘルムートには分からなかった。

 彼は焦ったが、しかし自分一人だけではどうしようもなかった。

(ぐ、ぐぬう……ッ!? 目の前に対象がいるのにこれでは手が出せん……というかわたしの部下はどこへ行ったのだ!? どいつもこいつも使えんやつばかりだな!?)

 うつ伏せで気絶したフリのまま、薄目を開けて状況を観察する。

「ね、ねえ、エリカ? 嘘よね? あんたが異端者なわけないよね? だって、わたしたち子供の頃から〝親友〟だったでしょ?」

 アンジェリカが一歩、エリカに向かって踏み出した。

 すると、エリカが〝何か〟を放った。

 それは間違いなく魔法による攻撃だった。何が放たれたのかまでは見えなかったが、魔術道具を使った現象ではないことは明らかだった。

「アンジェリカッ!?」

 すぐにヨハンが剣を構えて前に出た。

(くそ、これはどういう状況だ。わたしが気を失っている間に何があったのだ)

 何だかよく分からないが、いつの間にか現れたらしいヨハンたちがエリカを捕まえようとしているのは理解できた。

 このままではあの魔族の身柄を騎士団に持って行かれてしまう――ヘルムートの焦りは募った。そんなことになったら、本当にウォルターに殺されてしまう。

 その時だった。

「ミオッ!!」

 声がした。

 それは紛れもなくシャノン・アシュクロフトの声だった。

 木々の間から機械馬マキウスで現れた男は、飛び降りた勢いのままにエリカの前に立って両手を大きく広げた。

「ヨハン、待ってくれ! こいつは〝異端者〟なんかじゃないんだ! 話を聞いてくれ!」

 それはどう見てもエリカを庇おうとするものだった。

 そのまま、ヨハンとシャノンの二人が対峙する。

 二人の間にはすぐに一触即発の雰囲気が流れ始めた。

 その状況を見て取ったヘルムートは、すぐにこう考えた。

(こ、これはチャンスではないか? このまま二人が殺し合うことになれば、その隙にエリカ・エインワーズを始末できるかもしれない。あわよくば、ここにいる連中もまとめて――)

 ……と、そう考えていた矢先のことだった。

 本当に突然のことだった。

 シャノンが刺されたのだ。

 刺したのはエリカである。背後から、魔法の剣で胸を突き刺したのだ。

 呆気に取られたのはヨハンたちだけではない。ヘルムートも同じだった。

 気絶するフリも忘れて、思わず眼を見開いてしまっていた。

 シャノンが地面に倒れる。

「ふん、使えん愚物め。貴様はもう用済みだ。大人しく死ね」

 地面に倒れて動かなくなったシャノンに、エリカが冷たく言い放った。

 一瞬、まるで時間が止まったかのようにその場が静かになったが――すぐに悲鳴が上がった。

 アンジェリカだ。

「殿下、大丈夫ですか!? 殿下!?」

 すぐにアンジェリカがシャノンに駆け寄った。必死に呼びかけるが、返事はまったくない。身体はぐったりしたままだ。

 その様子は、誰が見てもすでに死んでいるようにしか見えなかった。アンジェリカもそう思ったのだろう。「そんな……」と、絶望的な顔で息を呑む様子が見えた。

 すると、次の瞬間にはもうヨハンが猛然と斬りかかっていた。

「貴様ああああぁぁぁッッ!!!!」

 ヨハンは怒り狂っていた。

 そのままエリカへと斬りかかっていく。

 いきなりの展開に思わず呆気に取られていたヘルムートであったが、我に返った途端、思わず喝采を上げそうになっていた。

(よ、よしッ!? いいぞ!? 何が何だかよく分からないが、あの女が勝手にシャノン・アシュクロフトを始末してくれたぞ!? これで後はあの女さえ死んでくれれば――)

 ヘルムートの元々の目的は、エリカとシャノンの二人を始末することだ。それが成されるのであれば、別に経緯はどうでもいい。これでウォルターに殺されなくて済む。

 一方、シャノンを手にかけたエリカはと言えば、まるで抵抗する様子を見せなかった。手にはシャノンを突き刺した魔法の剣が握られているが、それを構える様子はない。むしろ、ヨハンに殺されることを受け入れるかのように、己の身を無防備に晒していた。

 いけ!! 殺せ!! ヘルムートが心の中で叫んだ時、何者かがヨハンの剣を受け止めた。

「ヨハン様、待ってください!」

 アンジェリカだった。

「アンジェリカ、そこをどけッ!」

 ヨハンが見たこともない顔で声を荒げる。

 だが、相手は一歩も引かなかった。

「嫌です!」

「君もいま見ただろう!? そいつはシャノンを殺したんだぞ!?」

「それでも嫌です! エリカを殺すなら先にわたしを殺してください!」

 何を考えているのか、アンジェリカは必死にエリカのことを庇っていた。

 ヘルムートは目を剥いた。

(あ、あの小娘!? 余計なことを!?)

 せっかく事がうまく運ぶところだったのに、余計な邪魔が入ってしまった。

(ええい、何をしているのだヨハン・マギル!? もういっそその小娘ごと切り捨てろ!? 上官に楯突くなど軍法会議ものだぞ!? 殺したって構わんのだ!! やれ!!)

 ヘルムートは心の底からヨハンを応援した。

 しかし、ヨハンにも迷いが生じ始めているのが見て取れた。最初の激情に任せた一撃が止められてしまい、我に返りつつあるのだろう。

 ヘルムートがその様子を歯がゆそうに見ていると――ふと、エリカのことが目に入った。

 彼女はどこか呆然と、自分を庇うアンジェリカのことをじっと見ていたのだ。その表情を見れば、心情は分からずとも、エリカが本当に驚いているのだということが伝わってきた。

(ええい、もうこなったらいっそわたしの手で――)

 ヨハンに剣に迷いが生まれているのを見て、業を煮やしたヘルムートがぐっと自分の剣を握りしめた。

 そして、いざ立ち上がろうとした時、

「……あ、あのー」

 と、やや控え目な声がその場に響いた。

 それは、その場にいたもう一人のヨハンの部下だ。恐らく見習いだろう。若い男の騎士だ。

 そいつは地面に倒れたシャノンの傍にいて、胸元を手で押さえて止血していた。

 この切羽詰まった鬼気迫る状況下において、その見習いの控え目な声はなぜかよく響いた。

「で、殿下生きてるんですけど……えっと、殺し合う前に早く治療した方がいいと思うんですが……?」


 μβψ


「く、くそぉ……いったいウォルター殿下に何と報告すれば良いのだ……」

 王城に戻ってきたヘルムートの顔面は死人のように蒼白だった。

 元々胃腸が弱い彼は、すでに凄まじい腹痛に襲われていた。

 ……結果から言えば、ヘルムートは二人の始末に失敗した。

 シャノンはエリカに刺されて重傷を負ったが、死ぬことはなかった。情報によれば今はマギル邸に運び込まれて、医者の治療を受けているところだという。

 一方、エリカの方はと言えば、抵抗する様子もなくすんなりとあの場でヨハンたちに拘束されてしまった。いや、むしろ自分からヨハンたちに従っていたようにも見えた。本当に抵抗するような素振りは一切見えなかった。

 ……で、ヘルムートは最後まで気絶したフリをしたままだった。

 結局、彼は起き上がるタイミングを逃してしまい、全てをただ傍観していただけだった。

 いっそ本当にやぶれかぶれで剣を握って突撃しようかとも考えたが、自分の剣の力量を考えれば無謀が過ぎる。ヨハンはもちろんだが、アンジェリカというあの騎士見習いも相当な手練れという情報だ。文官上がりの自分が勝てるわけがない。

 ヨハンたちがその場を立ち去った後、ヘルムートは頃合いを見て起き上がり、こっそりと王都に戻って来た。それがつい先ほどのことだ。

 ヘルムートはひとまず異端審問会の本部にある自分の執務室に籠もり、どうすべきかをひたすら考えていた。

「くそ、どうする、どうすればいい……? シャノン・アシュクロフトとエリカ・エインワーズの始末に失敗したことはすでにウォルター殿下の耳に入っていると考えた方がいいだろうし……」

 ヘルムートは貧乏揺すりしながら必死に考えた。

 二人の身柄を騎士団が確保したことは、もうすでにウォルターは知っているはずだ。

 その時、部屋にノックの音が響いた。

 ヘルムートは心臓が飛び出るほど驚いた。

「だ、誰だ!?」

「あ、あれ? ヘルムート様、戻っておられたのですか?」

 ドアの向こうから、聞き覚えのある部下の声がした。やや驚いている様子だった。ヘルムートが戻って来ているとは思っていなかったのだろう。

 ヘルムートは腰を上げて、自らドアを開けた。

「何の用件だ!? わたしはいま忙しいのだ!」

「はっ、も、申し訳ありません! その、ウォルター殿下からの伝言で――」

 ウォルターの名が出た途端、ヘルムートの顔に脅えが混ざった。

「殿下からの伝言だと!? な、何だ!?」

「もしヘルムート様が王都に戻っているようであれば、すぐにでも自分のところに顔を出すように、と……」

「――」

 ……ああ、終わった。

 ヘルムートは本気で死を覚悟した。

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