138,化け物

「……シャノンは現在マギル邸にて治療中。エリカ・エインワーズの身柄は騎士団が確保し、現在は地下牢に幽閉――俺の元に入ってきている情報は今のところこんなところだ。で、ヘルムートよ。なぜこんなことになっているのか経緯を説明してもらおうか。俺は確か、二人の始末をお前に命じたはずだったが?」

 ウォルターの声が静かだが、不穏な響きがあった。

 現在、ヘルムートはウォルターに呼び出され、いつものように彼の自室までやってきたところだ。

 この部屋はもはや散らかっているのが当たり前の状態だった。なぜかウォルターはこの部屋をそのままにしているのだ。ここへ来る度に、ヘルムートはまるでこれが現在のウォルターの心情そのもののように思えてならなかった。

 散らかった部屋の真ん中にぽつんと置かれた椅子に座ったウォルターの前で、ヘルムートは直立不動になっていた。

 一言でも言葉を間違えば本当に殺される。

 そう感じたヘルムートは、滝のような冷や汗を流しながら、必死に言葉を選び、掠れた声で何とか答えた。

「は、はい。その、我々がエリカ・エインワーズを発見した際、魔法で抵抗されてすぐには始末できず……手こずっている間に、ヨハン・マギルたちが現れまして……」

「ふむ。つまり、後から現れた騎士団の連中にみすみす二人の身柄を横取りされて、貴様はそれをただ眺めていただけということか?」

「そ、それはその……もちろん最大限の努力はしたのですが……部下の連中がまったく役に立たず――」

「俺が得た情報によると、だ」

 ウォルターが突然、遮るように口を開いた。

 ヘルムートはハッとなって慌てて口を閉じた。

「エリカ・エインワーズは自身の容疑を完全に認めているようだ。魔族であることはもちろん、今回の襲撃事件の首謀者は自分だと言っている。その上で、自分が魔法でシャノンを洗脳していた――と、供述しているらしい」

「は、はい」

「死人に口なしというが……逆を言えば、生きてペラペラといらぬことを喋られると言うのも非常に厄介なものだ」

 ウォルターは立ち上がり、ゆっくりとヘルムートに近づいてきた。

 身長で言えば、ひょろ長いヘルムートの方がウォルターよりは頭一つ分くらい高いはずなのだが、不思議とウォルターの方が圧倒的に大きく見えた。

 ぴくりとも動けないヘルムートの真横に立って、ウォルターは独り言のように続ける。

「困ったことに、どこぞの使があの二人を始末し損ねたおかげで、俺にとってはとても不愉快な状況になっているのだ。あのまま二人が消え去っていれば、全てが都合良く片付いていたものを……今のままではシャノンは協力者ではない。ただの〝犠牲者〟だ。これでは俺にとって非常に都合が悪い」

「……はい」

「とは言え、まぁあいつの王位継承は消えたと言ってもいいだろう。洗脳されていたのが事実なのかどうかは知らんが、そんな経緯があった者をこの国の王にするわけにはいかぬからな。それに関しては良い。少し前の俺ならば、それでもまぁ良しとしていただろう――だが」

 突然、ウォルターはヘルムートの胸ぐらを掴んで、顔を引き寄せた。

 ヘルムートは驚いたが、声を出すことはできなかった。

 それと言うのも、ウォルターのとんでもない表情で自分のことを見ていたからだ。

 睨んでいる、というのも違う。

 見ようによっては、ただ無表情に冷めた目で見られているだけ――という感じにも思えた。

 だが、そうではない。

 怒りだ。

 ウォルターは間違いなく怒り狂っている。

 だと言うのに、それがまったく顔に出ていないのだ。

 どうやら人間というものは、感情の度が過ぎるとむしろ顔には表れないものらしい。

 ヘルムートはあまりの恐ろしさに、針の塊でも飲み込んだように喉がつかえてしまった。

はまったくそんな気分ではない。俺はシャノンのことをぶち殺してやりたくてたまらないのだ。できることならば自分の手で殺してやりたいくらいだ。なぜ俺がこんなにもあいつが憎いか分かるか?」

「……い、いえ」

「そうか、分からんか。なら教えてやろう……と言いたいが、実際のところ俺にもよく分からんのだ」

 ぱっ、とウォルターは手を離した。

 解放されたヘルムートは呼吸することを思い出したように大きく息を吸った。

 ウォルターはどこか遠くを見ながら続けた。

「最初はちょっとした不満だったのだ。なぜあいつは何をしても許されるのに、俺は許されないのだろうか――ずっとそう思っていた。俺の母上は、俺を徹底的に教育した。俺には何の自由もなかった。だが……あいつはいつだって自由に遊び呆けていた。その内、あいつには誰も何も言わなくなった。それはあいつが馬鹿で阿呆だったからだ。そんなやつには誰も期待しなかったし、〝責任〟を負わせようともしなかった。結局、俺はあいつの分まで色んなものを背負わされる羽目になった」

 ……本当に、最初はちょっとした不満だった。

 だが、そのちょっとした不満は、長い年月をかけて、まるで雪のようにずっと降り積もり続けた。

 いつからか、シャノンの顔を見るだけで憎らしく思うようにさえなった。シャノンが王族として果たすべき責務を果たさず、そのしわ寄せが自分に来る度、猛烈な腹立たしさを感じるようになった。

 もし、もし仮にだが……もう少し二人の距離が近くて、お互いの不満などを言い合える仲であれば、これほどの憎悪にはならなかったかもしれない。

 だが、溜まり続けた不満は、いつからか憎悪へと変わり、シャノンという存在そのものを嫌悪するまでになっていた。

 何よりウォルターが腹立たしかったのは、シャノンが本当はだということを知っていたからだ。

 本当の無能ならここまで意識することもなかっただろう。だが、シャノンはそうではない。シャノンは明らかに計算尽くで無能を演じているだけだったのだ。

 何もかも分かった上で自分に全ての〝責任〟を押しつけてくる存在。腹違いとはいえ弟には違いないが、こんな相手に肉親としての情など湧くはずもなかった。

 ただまぁ、それでも我慢していたのだ。

 せいぜい自分が王位を継ぐまで好きにしていればいい。王位さえ継いでしまえば、シャノンのことなどどうにでも出来る。そう思って我慢してきた。

 ……しかし、つい先日の出来事で、ウォルターの怒りは完全にたがが外れてしまった。

 ブリュンヒルデのことだ。

 ウォルターがブリュンヒルデのことを特別に意識したのは、もう本当にずっと昔のことだ。

 昔のウォルターは今よりずっと大人しかった。いつも母親の顔色ばかり窺っていて、びくびくしているような子供だった。そんな頃から、ウォルターはブリュンヒルデのことを意識していた。

 彼女は本当にいつも偉そうだった。そのせいで昔から周囲には敵が多かったようだが、それがむしろウォルターには眩しく見えていたのだ。

 ……もっと彼女と話すことはできないだろうか。

 子供ながらにそう考えたウォルターは、彼女の気を引きたいが為に色々と努力をした。母親の教育が厳しかったということもあるが、その努力の根底を支えたのは、ブリュンヒルデに対する見栄のようなものだった。

 けれど、いくらウォルターが努力しても、彼女が自分に興味を示すことはなかった。彼女の隣にはいつもシャノンがいたからだ。

 薄暗い部屋の中で勉強していると、王城の中庭から楽しそうに遊ぶシャノンたちの声がよく聞こえていた。それを見る度に、どうしてそこに自分はいないのかと本当に空虚な思いを抱えたものだった。

 気が付くと、ウォルターはいつからかシャノンに対する深い憎悪を抱いて生きるようになっていた。いつからここまで深い憎悪を抱えるようになったのか、ウォルターにさえ分からない。でも、今はもうどうしようもない深い憎悪が自分自身の中に根付いているのだ。それを無かったことになど、今さらできるはずもない。

 心の中に巣くっていた小さな化け物が、彼の不満をずっと喰らい続けた結果、本当にとんでもない巨大な化け物へと成長してしまっていたのだ。

 そして、先日のブリュンヒルデの婚約の話で、ウォルターの中にいた化け物が暴れ出してしまった。

 それを抑えることは、もはやウォルター自身にさえ不可能だった。

 シャノンを本当にどうにかしてしまわない限り、この感情が収まることは決してあり得ないのである。

「俺は今まで何一つ、自分が欲しいと思ったことを手に入れたことがない。なのに、あいつはいつも俺が欲しい物を手に入れていた。何もしてないくせに、何の努力もしてないくせに、何の〝責任〟も負っていないくせに……あいつは、俺が欲しいと思うものを全て横からかっ攫っていったのだ」

 突然、ウォルターが足元に転がっていた花瓶を踏みつけた。

 ヘルムートはぎょっとしたが、ウォルターは止まらなかった。

 彼はまるで癇癪を起こした子供みたいに、手当たり次第床に転がっているものを踏みつけて壊し始めたのだ。

 ウォルターはそれを息が切れるまで続けた。

 ようやくそれが収まったのは、床が破片で埋め尽くされた後だった。その間、ヘルムートは無言で破壊を続けるウォルターの背中をただ眺めていることしかできなかった。

「はぁ……ッ! はぁ……ッ! おい、ヘルムート」

 ぜいぜい、と大きくを切らせながら、ウォルターが振り向いた。

 ヘルムートは返事をしようとしたが、できなかった。むしろ声を飲み込んでしまっていた。

 ……それはもう、ウォルターの顔がどう形容していいのか分からないものになっていたからだ。ただ一つだけ言えるのは、もはやとしか言いようのない表情だった、ということだけだ。

「エリカ・エインワーズの身柄を何としても確保しろ。そして、そいつに証言させるのだ。シャノンが〝協力者〟であったとな。どんな手段を使ってもだ。それができなければ――もはやただ殺すだけなど生温い。お前を生きたままドラゴンのエサにしてやる」

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